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いよいよ本編が始まりましたね。 (yukariko)
2010-05-04 23:50:41
北条政子との結婚が1177年頃としたら鎌倉幕府成立が1192ですから20年後ですね。
以仁王の令旨が源頼朝に届き、1180に守山八幡宮に源家再興を祈り挙兵してからは敗戦やら色々あって北条館に暮らした頼朝夫妻にとっても平穏な時はほとんどなかったのでは?
大姫を育てるのは乳母がいたでしょうから、大きな仕事をしようとしている頼朝を支える政子も配下の人心掌握など細かい苦労があった事でしょう。

初めは平氏の目を盗んで密かに勢力拡大をはかって源氏の棟梁頼朝の名を広め、後には平氏に対抗する一大勢力として関東近辺の武士団をまとめあげた力量は凄いですが、きっと大変な苦労があったでしょうね。 
 
 
 
政子には別の苦労もあったようです (sakura)
2010-05-06 16:14:23
都育ちの頼朝は、貴族の生活を見たり聞いたりしていたので妾をもつことをあたり前のようにして次々浮気をします。
頼朝の父義朝もあちこちに側室をもっていましたね。
一方、大豪族でもない北条時政の娘として政子は伊豆の片田舎で育っていますから、一夫多妻はあり得ないことだったのでしょう。度々家庭争議が起こっています。

頼朝が謀反を考えるようになったのはいつ頃からかわかりませんが、平家物語には同じく伊豆に流されていた文覚が頼朝に逢って挙兵を促したと書かれています。
石橋山の合戦で壊滅的な打撃をうけた頼朝が小舟で海上へと逃れて、房総半島に上陸し、しだいに軍勢の数を増やして、挙兵から僅か二ヶ月足らずで東国を支配しながら鎌倉へ入ります。
頼朝挙兵のいきさつ、安房の国に上陸してから小競り合いこそあったものの、戦わずして大軍を集めることができた事情など後日ゆっくり読んでいきたいと思います。
 
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