コメント
地方の女性の方が生き方も激しいですね。
(
yukariko
)
2015-01-07 22:25:46
その土地の勢力と婚姻によってつながりを持ち勢力とした父親の考えを体現したかのように、自分の血統を最大限に生かして熊野・新宮勢力を源氏方に一本化、主導権を握る事によって単なる地方勢力とは違うと鎌倉に認めさせた素晴らしい鳥居禅尼の胆の座った生き様は弟の新宮十郎行家の情けない生き方とは全く別物ですね。
(子供とは血が繋がった自分の手足でしかないと考えた?凄腕の政治力)
鎌倉時代の女流政治家の1人?
(
sakura
)
2015-01-08 15:16:24
当時、鎌倉には幕政を動かした北条政子が、
都では後白河法皇の愛妾丹後局が政治に介入していました。
熊野には鳥居禅尼がいて熊野別当家の最盛期を陰で支え、強大な勢力を維持していました。
その威勢がどんなに強烈であったかは、江戸時代、彼女の名が
水野氏の城の名前となり現在まで伝えられていることからも推測できます。
鳥居
(
shion
)
2018-11-17 11:28:06
拝見いたしました。
当方が抱いていた問題が解けるヒントと相成る
大変興味深いreportでございます。
誠に有難う存じました。
乱暴な申し上げよぅですが
源平合戦は「異父兄弟の母思慕の念・怨念」発の
よぅな…。
また闘鶏で「我が身がつく陣を決定」するなど
亀卜政治のまま…。
・【個人のビジョンがない】
・【為政者に邦形成の理念、その構想がない】
等は日本の継承文化?現代も同じ様子です。
さて
ペリーの【ペリー艦隊日本遠征記】には
▶︎【源頼朝】から【二頭政治】が形成された_
と、唯一氏名とともに詳細なる記載があります。
1)実際面=実践で政治を執る【征夷大将軍】
と
2)宗教面=民衆から【神にも勝る信奉を得る
上皇(本来は大王・後に書き換えた天皇)】
の【二人の統治者】を置き
▶︎【相互にスパイが綿密に行われ、相互に責任
を取らない】ための統治体制が敷かれたことが
記録されています。
1860年に日本へも米国から贈呈されています
が、日本では【アメリカ政府重要文書】として
1997年まで邦訳公開されていません。
しかし
1860年には欧米で出版されていた人気本!
欧州では漫画バージョンにまでなって出回った
日本の真実。
▶︎軍供与体制・遠征記(敵を討つために遠く迄
大軍を率いて出かけること丸二年間1853〜
54年琉球の泊大瀬投錨)と銘打つだけの、
実は【侵略虎の巻】
1942年、ペリーの【ペリー艦隊日本遠征記】
は米海軍心理戦戦略に載り、欧州の戦争屋にも
今日までそっくり活用されます。
・杉等の一本の樹木へ縄を巻いた「山の主大王」
による
・「太陽自然崇拝の縄文〜古墳飛鳥奈良」まで
・【鳥居は存在していない】と考察しておりまし
た当方、
▶︎【鳥居禅尼(丹鶴城跡)】を拝読させて戴き
まして大いなる納得を致しました。
有難う存じました。
Re:鳥居
(
sakura
)
2018-11-18 09:54:54
shionさまご訪問ありがとうございます。
私は平家物語に興味を持ち、そのゆかりの地や
史跡を訪ね歩いているだけの浅学非才の身ですので、
shionさまの御高説を理解するのはなかなか難しいのですが、
どうやら私の記事がご研究の一助になったように
拝察できて嬉しく思っております。
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(子供とは血が繋がった自分の手足でしかないと考えた?凄腕の政治力)
都では後白河法皇の愛妾丹後局が政治に介入していました。
熊野には鳥居禅尼がいて熊野別当家の最盛期を陰で支え、強大な勢力を維持していました。
その威勢がどんなに強烈であったかは、江戸時代、彼女の名が
水野氏の城の名前となり現在まで伝えられていることからも推測できます。
当方が抱いていた問題が解けるヒントと相成る
大変興味深いreportでございます。
誠に有難う存じました。
乱暴な申し上げよぅですが
源平合戦は「異父兄弟の母思慕の念・怨念」発の
よぅな…。
また闘鶏で「我が身がつく陣を決定」するなど
亀卜政治のまま…。
・【個人のビジョンがない】
・【為政者に邦形成の理念、その構想がない】
等は日本の継承文化?現代も同じ様子です。
さて
ペリーの【ペリー艦隊日本遠征記】には
▶︎【源頼朝】から【二頭政治】が形成された_
と、唯一氏名とともに詳細なる記載があります。
1)実際面=実践で政治を執る【征夷大将軍】
と
2)宗教面=民衆から【神にも勝る信奉を得る
上皇(本来は大王・後に書き換えた天皇)】
の【二人の統治者】を置き
▶︎【相互にスパイが綿密に行われ、相互に責任
を取らない】ための統治体制が敷かれたことが
記録されています。
1860年に日本へも米国から贈呈されています
が、日本では【アメリカ政府重要文書】として
1997年まで邦訳公開されていません。
しかし
1860年には欧米で出版されていた人気本!
欧州では漫画バージョンにまでなって出回った
日本の真実。
▶︎軍供与体制・遠征記(敵を討つために遠く迄
大軍を率いて出かけること丸二年間1853〜
54年琉球の泊大瀬投錨)と銘打つだけの、
実は【侵略虎の巻】
1942年、ペリーの【ペリー艦隊日本遠征記】
は米海軍心理戦戦略に載り、欧州の戦争屋にも
今日までそっくり活用されます。
・杉等の一本の樹木へ縄を巻いた「山の主大王」
による
・「太陽自然崇拝の縄文〜古墳飛鳥奈良」まで
・【鳥居は存在していない】と考察しておりまし
た当方、
▶︎【鳥居禅尼(丹鶴城跡)】を拝読させて戴き
まして大いなる納得を致しました。
有難う存じました。
私は平家物語に興味を持ち、そのゆかりの地や
史跡を訪ね歩いているだけの浅学非才の身ですので、
shionさまの御高説を理解するのはなかなか難しいのですが、
どうやら私の記事がご研究の一助になったように
拝察できて嬉しく思っております。