コメント
 
 
 
立派なお宮ですね。 (yukariko)
2017-02-26 11:41:44
川の中の鳥居は見たような記憶がありますが、原尻の滝周辺を何もしらずに連れて行ってもらっただけでした。立派なお宮とお祭りがあるのですね。
神輿が山を下り、川を渡って集い、神楽や宴があった
…とか。
今は二日間だけれど江戸時代は九日間ものお祭りで、地元の尊崇を受けてしっかりと根付いた信仰なのですね。

豊後地方は緒方三郎惟栄が滅んだ後、源氏の系列は誰が?地方豪族なのかと勝手に思っていましたが、大友能直(もしかして落胤)が守護職に任命され、その後400年大友氏が支配、秀吉の時代に改易されたとの記述を読んでなるほど…。
 
 
 
二宮は立派なお社です。 (sakura)
2017-02-26 15:58:57
この境内に親子の神様が年に一度集うなんてロマンですね。
祭礼は800年以上も続いているそうです。

大友氏は宗麟の嫡男、吉(義)統(むね)の出来が悪かったようです。
吉(義)統は数年前のNHKの大河ドラマ軍師官兵衛にも登場しました。

朝鮮出兵では、官兵衛の嫡男黒田長政の指揮下に入り出陣しましたが、
小西行長がすでに戦死したという誤報を信じて撤退、
行長がこれを秀吉に告げ口し、秀吉を激怒させ幽閉されました。

秀吉の死後、許され豊臣家に再び仕え、家康と石田三成の対立が深まると、
大友義統は西軍につき、かつての領地豊後(黒田家の領地となっていた)に出陣し、
お家再興を目ざしますが敗れてしまいました。

 
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