コメント
伊勢平氏一門の墓が整備されて今も残るのは…。
(
yukariko
)
2017-08-10 21:12:00
三ヶ所四十数基は先祖、平氏にまつわる宝塔であると信じてこそ心を移し供花をなす。
…この言葉が滅んで800年後になってもその地元の人達がここに栄えた伊勢平氏を祖先と信じて哀悼する気持ちを表していますね。
でも平氏もずっと一本ではなく、傍流になってしまった武士で源氏の家人になった人もいたのですね。
それだけ地方の政治の力関係は複雑なのでしょうか。
伊勢平氏の一族
(
sakura
)
2017-08-11 08:27:30
維衡父子が致頼父子に勝利して、維衡流が伊勢平氏の本流となりましたが、
結果しだいでは致頼流が本流となった可能性が十分あります。
10C末はそんなはっきりとしない状況でした。
そして正盛、忠盛と中央政界での地位が高まり栄えていく過程で、
傍系の人たちはその郎党になっていったのです。
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…この言葉が滅んで800年後になってもその地元の人達がここに栄えた伊勢平氏を祖先と信じて哀悼する気持ちを表していますね。
でも平氏もずっと一本ではなく、傍流になってしまった武士で源氏の家人になった人もいたのですね。
それだけ地方の政治の力関係は複雑なのでしょうか。
結果しだいでは致頼流が本流となった可能性が十分あります。
10C末はそんなはっきりとしない状況でした。
そして正盛、忠盛と中央政界での地位が高まり栄えていく過程で、
傍系の人たちはその郎党になっていったのです。