コメント
湊川神社はお参りした事がありますが…
(
yukariko
)
2013-09-16 16:53:03
駅にも近いのに周りが繁華街過ぎて通り過ぎてしまっていますね。
お宮の背後の森はいつでも通れると思うのに、ここは1・15日と土日、祝日と制限されているのは保護の為でしょうか?
戻らぬ息子を思ってまたもやはるかに多い敵の中に分け入り、捨て身の戦いの中で発見した息子を励ましつつ、無事に自陣まで連れ帰る…並みの武勇の人ではできる事ではありませんね。
湊川神社は駅のすぐそこですね
(
sakura
)
2013-09-17 09:47:42
生田神社の一帯は繁華街で、駅から建ち並ぶモダンなお店を
眺めながら歩くと社はすぐそこ。
本殿背後の森は、公園程度の広さですが、史跡に指定された貴重なもので、
森には樹齢千年といわれる楠もあり保護が必要と思われます。
一ノ谷合戦の源氏軍を「吾妻鏡」や「源平盛衰記」には、五万六千騎、五万騎と記していますが、
実際はせいぜい三千騎程度だったといわれています。
一方の平家軍は十万余騎としていますが、実際には二万騎(六、七千騎とも)だったようです。
この半数が一ノ谷に陣取ったとしても、範頼軍の数倍の軍勢が
大手生田の森には配置されていたことになります。
戦闘の火ぶたをきった河原兄弟の戦死を聞いて、敵陣へ駆け入った梶原景時ですが、
大勢の敵に囲まれやっとのことで城外へ逃れます。
しかし行方不明の息子を探すため、決死の覚悟で敵陣に再突入。
息子を思う父親の情愛がそうさせたのでしょう。
はじめまして
(
kuniko
)
2013-09-18 09:34:52
ご縁がありこちらのブログを拝見させていただきました。私自身はまったく無知でお恥ずかしいのですが平家物語には昔から大変興味だけはもっておりましたので、時間をかけて開設以来からの御文を拝読
ようやく全文読み切り、思い切ってコメントさせていただきました.
なにより心打たれましたのは、深い学識に裏打ちされておられますのに、読者に理解しやすい平易な表現と、根底に流れる人間模様への優しさが滲む本当に素敵なブログと感動いたしております
三宮神社は数年前に仕事で訪れた場所ですが、そのときは何もしらなかったため見過ごしてしまいましたことを残念に思いながらスライドで懐かしく拝見させていただきました
これからも楽しみな日課として御ブログを愛読させてくださいますようお願い申しあげます
はじめまして
(
sakura
)
2013-09-18 16:50:26
身に余るお言葉をいただきましてありがとうございます。
数年前、kunikoさまは、三宮神社をお訪ねになったそうですね。
私も京都の近くに長い間住んでいますが、ブログの記事を書くために、
改めて京都の町を歩いて見ると、今まで見過ごしてきた事の多いことに驚いています。
そんなものなのかも知れませんね。
それから、もう8年位前になるのでしょうか。所属していますPC同好会の忘年会の席で、
全員ブログを開設しようということになりましたが、
日記など書いたことありませんし、本当に途方にくれてしまいました。
考えたあげく史跡案内だったらできそうな気がして、
会員の方に指導していただきながらやっと開いたブログです。
こんな事情ですから、大慌てで参考資料を読みながらの拙い平家物語の史跡案内ですが、
どうぞこれからもよろしくお願い申しあげます。
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お宮の背後の森はいつでも通れると思うのに、ここは1・15日と土日、祝日と制限されているのは保護の為でしょうか?
戻らぬ息子を思ってまたもやはるかに多い敵の中に分け入り、捨て身の戦いの中で発見した息子を励ましつつ、無事に自陣まで連れ帰る…並みの武勇の人ではできる事ではありませんね。
眺めながら歩くと社はすぐそこ。
本殿背後の森は、公園程度の広さですが、史跡に指定された貴重なもので、
森には樹齢千年といわれる楠もあり保護が必要と思われます。
一ノ谷合戦の源氏軍を「吾妻鏡」や「源平盛衰記」には、五万六千騎、五万騎と記していますが、
実際はせいぜい三千騎程度だったといわれています。
一方の平家軍は十万余騎としていますが、実際には二万騎(六、七千騎とも)だったようです。
この半数が一ノ谷に陣取ったとしても、範頼軍の数倍の軍勢が
大手生田の森には配置されていたことになります。
戦闘の火ぶたをきった河原兄弟の戦死を聞いて、敵陣へ駆け入った梶原景時ですが、
大勢の敵に囲まれやっとのことで城外へ逃れます。
しかし行方不明の息子を探すため、決死の覚悟で敵陣に再突入。
息子を思う父親の情愛がそうさせたのでしょう。
ようやく全文読み切り、思い切ってコメントさせていただきました.
なにより心打たれましたのは、深い学識に裏打ちされておられますのに、読者に理解しやすい平易な表現と、根底に流れる人間模様への優しさが滲む本当に素敵なブログと感動いたしております
三宮神社は数年前に仕事で訪れた場所ですが、そのときは何もしらなかったため見過ごしてしまいましたことを残念に思いながらスライドで懐かしく拝見させていただきました
これからも楽しみな日課として御ブログを愛読させてくださいますようお願い申しあげます
数年前、kunikoさまは、三宮神社をお訪ねになったそうですね。
私も京都の近くに長い間住んでいますが、ブログの記事を書くために、
改めて京都の町を歩いて見ると、今まで見過ごしてきた事の多いことに驚いています。
そんなものなのかも知れませんね。
それから、もう8年位前になるのでしょうか。所属していますPC同好会の忘年会の席で、
全員ブログを開設しようということになりましたが、
日記など書いたことありませんし、本当に途方にくれてしまいました。
考えたあげく史跡案内だったらできそうな気がして、
会員の方に指導していただきながらやっと開いたブログです。
こんな事情ですから、大慌てで参考資料を読みながらの拙い平家物語の史跡案内ですが、
どうぞこれからもよろしくお願い申しあげます。