コメント
 
 
 
国難の時には国神も一緒に戦ったとは! (yukariko)
2018-10-03 13:32:07
「弘安の役の際に剣を博多の櫛田神社に送れ」との託宣で博多へ宝剣を移して異賊退散を祈り、霊験(戦功)あってモンゴル軍が退いた。
との記事を読んで、国難時、神や仏に祈願祈祷するだけでなく、それに応えて神も戦ったのかと感心しました。
その後、武士に所領も奪われ困窮荒廃し、神々と住民の結びつきも薄れて行ったのでしょうか?
今も総鎮守として崇められているのでしょうね。
 
 
 
神々の戦功 (sakura)
2018-10-04 09:45:25
蒙古襲来の時に働いたのは、武士だけではなかったのです。
そのため幕府は、異国調伏の祈祷を行った全国の寺社に対しても
報わねばならなかったのです。

各地の寺社はそれぞれに神託や怪異を作りだし、
勝利は「霊神の征伐、観音の加護によるものなどと
主張し、恩賞を要求しました。

一方、幕府は恩賞を与えることで異国調伏の神として、
その神々の世界を自分たちの権力体系の中に組み込む政策をとりました。

しかし、異国からの敵を追い払っただけですから、
恩賞にあてる没収地は発生しないわけで、
幕府は寺社のさまざまな要求に滅亡するまで悩まされ続けます。

当社では、1月15日のお火たき神事、 厄除節分祭、
建国祭、七五三祭、新嘗祭など地元住民に結びついた祭礼が行われています。
 
 
 
佐賀を知ろう (大仁和 弘二)
2019-10-29 06:20:53
明治維新での素晴しい功績だけではなく、佐賀には素晴しい歴史遺産が沢山あります。吉野ヶ里遺跡やその近くの和に神社、鹿路の後鳥羽神社、櫛田神社、日宋貿易の
基地でもあった神埼の荘(朝廷の院領として財政を担っていた)等々、地元の人達も知らないような歴史を勉強しましょう。福岡の人も博多ドンタクの櫛田宮の本社が
佐賀の神埼にある櫛田神社である事は知らない話です。
佐賀の人は佐賀には何もないと言いますが、自然も豊かだし、海や山の恵みも美味しいし、災害も少ない住み易さでは自慢できる所です。佐賀に行きましょう。
 
 
 
大仁和 弘二さま (sakura)
2019-10-30 08:02:37
ご訪問ありがとうございました。
九州の北西部に位置する佐賀県は、古くから大陸や半島との交流が深く、
弥生時代の集落跡として日本最大級を誇る「吉野ヶ里遺跡」や
磁器発祥の地として知られる「有田焼」等々、
魅力的な観光スポットがたくさんありますね。

 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。