コメント
 
 
 
蝉丸神社も線路が前を横切っていましたが… (yukariko)
2014-05-23 22:18:58
東海道線が総門とお寺の中を分けているのにはびっくりしますね。
有力御家人の梶原景時も勢力争いに敗れて鎌倉を追われ、催告に赴く途中に北条時政の意向を受けた豪族に襲われ、自害したと書いて下さってますね。
梶原景時の最後がどうだったかを知りませんでした。

出家した熊谷直実以外にも有力御家人同士の勢力争いで滅ぼされた武士達が幾人もいますね。本当に熾烈ですね。
上手に最後まで残ったのは北条氏、源氏自体も直系は三代で消えるのだから裏で糸を引いて上手に立ち回ったのは鎌倉政権を最初から支えた政子の実家、妥当なところなのでしょうか?
 
 
 
ちょっと驚きのロケーションです。 (sakura)
2014-05-24 15:48:34
それにお寺の景観も損なわれますね。

頼朝が亡くなると、北条氏はライバルを次々に蹴落としていきます。
その最初の犠牲者が鎌倉幕府の草創期、源頼朝を支え、重用された梶原景時です。
頼朝没後、景時は頼家の乳母夫として頼家を支えますが、
頼家は頼朝のように景時を買ってなく、両者はあまりうまくいかなかったようです。
有力御家人たちが景時を弾劾する弾劾状を頼家に提出した時、
頼家は景時を庇おうとせずに弾劾状を呑んでいます。
駿河国は北条氏の所領であるため、景時謀殺は北条氏の
手の者によるとの味方が有力です。
 
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