コメント
畠山重忠の名前はあんまり知識のないyukarikoでもどこかで聞いたなと思います。
(
yukariko
)
2017-06-18 18:26:38
知性と武勇を兼ね備え、鎌倉武士の鑑と讃えられたのなら源氏方としては声を大にしてその様子を広めた事でしょう。
前線で武勇を上げた武士の中には手柄を立てて恩賞にありつこうとする地方の豪族以下の武士集団が多かったでしょうから、手柄を立てた話を読んでも何となく顔をしかめてしまう物語の読者(聞き手)にとっても、このように力持ちで(馬を背負ったのは眉唾ですが)武勇に優れているだけでなく、武蔵国における棟梁の地位にあった名門の嫡子で今様歌など都の文化も身につけていたとなると『源氏にもそういう人はいたのね!』とホッとして見直したりしますね。
源氏にも素晴らしい人がいましたね
(
sakura
)
2017-06-19 09:57:43
数々の美談を残している重忠は、慈円の史書「愚管抄」に
傍の人があぐらを汲めないほどの謹直な人柄であったと記されていますし、
「義経記・巻6・鶴岡八幡宮の舞」によると、
静御前の舞の舞台に身支度をして現れた重忠は
「世に知られた美男だったので、まことに立派に見えたが、
まだ23歳であった。」とあり、いずれも称賛しています。
頼朝の計らいでしょうが、重忠は北条時政の娘とも結婚し、
六郎重保が生まれています。このことからも頼朝に信頼されていたことが察せられます。
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前線で武勇を上げた武士の中には手柄を立てて恩賞にありつこうとする地方の豪族以下の武士集団が多かったでしょうから、手柄を立てた話を読んでも何となく顔をしかめてしまう物語の読者(聞き手)にとっても、このように力持ちで(馬を背負ったのは眉唾ですが)武勇に優れているだけでなく、武蔵国における棟梁の地位にあった名門の嫡子で今様歌など都の文化も身につけていたとなると『源氏にもそういう人はいたのね!』とホッとして見直したりしますね。
傍の人があぐらを汲めないほどの謹直な人柄であったと記されていますし、
「義経記・巻6・鶴岡八幡宮の舞」によると、
静御前の舞の舞台に身支度をして現れた重忠は
「世に知られた美男だったので、まことに立派に見えたが、
まだ23歳であった。」とあり、いずれも称賛しています。
頼朝の計らいでしょうが、重忠は北条時政の娘とも結婚し、
六郎重保が生まれています。このことからも頼朝に信頼されていたことが察せられます。