コメント
 
 
 
寺の僧と権力を笠にきた目代の争いが発端だったとは… (yukariko)
2012-08-26 19:24:36
武士といってもその部下はならず者の集まりに近かったのでしょうか、後のことも考えずに平気で寺に火を放ちますね。
平家の軍勢が放った火が般若寺・興福寺の堂塔、東大寺では大仏殿はじめ伽藍の大半が灰燼に帰したのもそうでしたね。
権力者と縁続きになれば何をしても許されると思い、勘違いして傍若無人な振る舞いをやる下っ端が多いからこそ、平氏はあれほどまで悪しざまに言われることになったのでしょうか。
叡山や興福寺、三井寺の僧兵も武力を後ろ盾に、お互いごり押しのやりあいが通ったからこそ、大事に発展してゆくのですね。
 
 
 
寺院勢力 (sakura)
2012-08-27 14:21:02
清盛が独裁的な権力を振るい始めた頃、二条天皇の死によって後白河法皇や近臣・西光・藤原成親たちの勢力も強まります。そこにもう一つの勢力延暦寺や興福寺の寺院勢力が介在します。
この勢力は、政権争奪には直接に関りはありませんが、強力な武力をもち度々強訴をくりかえして、その要求を朝廷に突きつけてきます。
「平家による南都焼討について」南都は以仁王を支援して反平氏の立場を明確にした過去があり、清盛は富士川の合戦で頼朝軍に大敗し、つづいて起こった近江国の内乱、それに呼応して南都勢力が上洛準備をしているという知らせがあったために打撃を加える必要があったのでしょう。以仁王の乱を鎮圧直後の福原遷都は一つには京周辺の寺院勢力を回避するために行なわれたとされています。
 
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