コメント
 
 
 
長い間判官贔屓だったもので (yukariko)
2010-10-25 10:38:06
「梶原景時」が頼朝の窮地を救う人物として描かれ、鎌倉幕府で大活躍するきっかけがここで出来たのですね。九死に一生を得させた相手ですか

でも、お書きのように源義経と対立して頼朝に告げ口し、兄弟仲たがいの原因をつくった人物として長い間憎らしいと思い込んできましたから
今更いい人とは思えません(笑)
義経も苦労した割には人間が出来ていたとは思えないから、手柄争いで諍いもあったでしょうしね。
頼朝にとっては最大の恩人でしょうから彼の意見は絶対に聞いたでしょうし…。

頼朝に賭けた「梶原景時」の予想は大当たりだったし、この場に彼がいなかったら頼朝の命と鎌倉幕府成立は夢と消えたかもしれないと思えば、運命のターニングポイントだった訳ですね。

それにしても本当に頼朝は運が強い!
時代が彼を必要としていて、何があってもと、死なせなかったのでしょうか?
 
 
 
憎まれ役 (sakura)
2010-10-25 10:39:45
梶原景時と義経の争いでよく知られているのが「逆櫓」屋島に向けて船出する際、景時は船を自由に動かせるように逆櫓をたてることを、義経に進言するが用いられず対立。
壇ノ浦でも景時は先陣を任せてほしいというが、義経に拒まれ激しく論争、あやうく同士いくさとなりそうになります。合戦後、景時はこれらのことを頼朝に報告し、義経失脚の原因を作ったと平家物語は語っています。
景時の役職は侍所の所司。侍所の所司とは侍所の次官。御家人の統率、進退、賞罰を扱う重要ポスト。戦況報告、誰が手柄をたて、誰が規律違反をしたかということを頼朝に知らせる役目です。景時は義経だけでなく他の御家人の違法行為も、きまじめに逐一鎌倉に報告したため、頼朝にとっては至極便利な人物だったのでしょうが、後家人の中には景時を恨んでいた者も多く、頼朝の死後、御家人連名の弾劾状をつきつけられ、鎌倉を追われ謀反人として非業の死を遂げています。
 
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