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広島から兵庫津に勧請され今も見守っておられるのですね。 (yukariko)
2015-06-09 21:55:29
江ノ島、竹生島とともに日本三大弁天様というのならお参りに行ってみたい気もしますね。
御所の拾翠亭傍の池前にたつ花崗岩製の鳥居はこの兵庫厳島神社にあったのですか?
それとも他に祀られた厳島神社ですか?

廃仏希釈運動などにも負けずお宮が現在まで残っているのも凄い事ですね。
それに井戸の水脈まで復活とは…阪神大震災などで水脈が枯れた話は聞きますけれど!
 
 
 
この神社にあった鳥居です。 (sakura)
2015-06-10 07:36:47
京都の厳島神社について、「京の石造美術めぐり」「京都府の歴史散歩」(上)
「昭和京都名所図会」(洛中)には、「社伝によると、
平清盛が母祇園女御のために安芸国から摂津国・兵庫津に
勧請した厳島神社が始まり」とあり、「産経新聞」平成24年1月1日朝刊
「NHK大河平清盛権勢の面影」にも、やはり「清盛の母・祇園女御のために
安芸から摂津・兵庫津に勧請したのが始まり」と書かれています。

一方の兵庫の厳島神社の資料を見ると、安芸国の厳島神社より、
港の守護神として市杵嶋姫命を勧請し、兵庫に七つの弁才天を祀ったとあり、
現地駒札には「福原遷都、兵庫築港の行われた時、兵庫の町や
港の発展と住民の繁栄を祈願し云々」とあり、
京都と兵庫の厳島神社とでは、清盛が兵庫にこの神社を勧請した動機が明らかに違います。

違うといえば「なーんだ」と言われそうですが、
伝承の歴史も大切であって、そこからは江戸時代、清盛の母が
祇園女御であると信じられていたことが見えてきます。

寺や神社の由緒を調べていると、史実とはやや異なる伝承にぶつかることがよくあります。
京都の厳島神社では、「兵庫の祇園神社は清盛が母のために勧請した」と
伝えているのですから、それはそれでいいのではないでしょうか。
厳島内の大願寺の弁才天は、60年に一度開帳される秘仏でしたが、
現在では、毎年6月17日に開帳されるそうです。
 
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