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伊豆からの帰りはいつも三島大社の前を通るのに… (yukariko)
2010-05-28 21:43:39
昔何度も友人と伊豆旅行をしているのですが目一杯予定を組んでいるので三島から新幹線で帰る時刻が迫っていて三島大社には寄れた事がありません。
さすが伊豆一宮だけあって立派ですね。

昔読んだのは分かりやすい読み物、源平盛衰記かなと思うのですが、今も記憶にうっすら残っている武将達の名前が出始めました。

でも込み入った系図や政治的背景を詳しく丁寧に読み解いて理解させて下さるので、単なる戦記物をするすると読むのとは全く違い、大きな世の中の流れを知る楽しさです。
 
 
 
『藤戸』の能を別件で読んだので思い出しながら (yukariko)
2010-05-28 22:03:45
能の事はあまり分からないのですが、藤戸の謡蹟に関して書かれているサイトがあり、現地の写真が沢山載せられているので興味深く読みました。

sakura様はもちろんよくご存知と思いますが、これから先で又見る事になるであろう藤戸源平古戦場跡の地図などです。

謡蹟めぐり 藤戸
http://www.harusan1925.net/0617.html
 
 
 
伊豆も広いですね (sakura)
2010-05-30 12:51:15
旅行に行かれたのは中伊豆の修善寺や東伊豆の天城方面だったのでしょうか。
三島大社について梅原猛「京都発見」(1)新潮社には「三島明神は全国に三つの有名な社を構えている。愛媛県の大三島(大山祇おおやまつみ)神社それに静岡県の土地そのものが三島となった三島神社、そして三大三島社の元宮といわれる摂津の三島鴨神社」、

三島鴨神社史(三島鴨神社発刊)にも「『日本の三つの三島』として、わが三島神社と、瀬戸内海の大三島の大山積神社と伊豆の国の三島神社が有名です。大三島も、伊豆も、ともに元宮はわが三島神社です。」と書かれています。今では伊豆や大三島の方がすっかり有名になり社殿も立派ですが、元宮は高槻の三島鴨神社だそうです。
(三島鴨神社は当初淀川の中州に社があったが洪水で流され現在の地に、伊豆の国の三島神社も三宅島や大島に祀られていた社が現在の地に移された。いずれも当初は島に祀られていた。)
東国武士の名が出始めましたね。名字のほとんどが所領の名で現在も地名や駅名として残っているものもあって案外覚えやすいかもしれません。
読み本系「源平盛衰記」は平家物語の異本といわれ48巻あります。語り物系「平家物語」が12巻ですから、全体的に「源平盛衰記」の方がずっと詳しく書かれています。
特に頼朝挙兵から敗戦、再起のいきさつが「平家物語」には「大庭が早馬の事」という章に書かれているだけです。簡単すぎて私には分かりにくいので
「吾妻鏡」や「源平盛衰記」も読みながらすすめたいと思っています。
「源平盛衰記」といえば巻20(八牧夜討の事)にこのように書かれています。
「(前略)ここに加藤太光胤(かとうだみつたね)、加藤次景廉(かげかど)兄弟二人あり。『都をば霞と共に出でしかど秋風ぞ吹く白河の関』といふ秀歌詠みたりし能因入道には四代の孫子なり。云々」とあり
この景廉が頼朝から拝領した長刀で山木兼隆を討ち取った。能因といえば伊勢の作風を慕って摂津古曽部に住みここを拠点に各地を旅し優れた和歌を残したことはよくご存知だと思います。

藤戸古戦場のサイトご紹介ありがとうございました。
このサイトの管理者高橋様は、謡曲仲間の団体で行かれたようですね。藤戸も交通の不便な所にあってまだ行ったことがないのですが、
機会を見て是非訪ねたいと思っています。その時また参考にさせていただきます。



 
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