コメント
 
 
 
「積翠園」の木立の深い緑が涼しげですね! (yukariko)
2007-08-24 22:14:48
「武士の棟梁」の「総領」というには惟盛は「貴族の甘やかされた坊ちゃん」?
父親が早世すると思ったことはなかったでしょう。
源氏三代を見ても妻の実家が絶大な発言力を有しますから、重盛が42歳で世を去った後、代わりに指導力を発揮したのが藤原氏ではなく清盛の妻時子で、出身も平氏・国母の母親なら影響力も大きくて当然ですね。
ここでも「栄枯盛衰」を地で行きますね。
 
 
 
ごめんなさい!「維盛」の字が違っていました! (yukariko)
2007-08-24 22:20:08
変換の時に確認を怠りました。すみません。

でも西八条第と小松殿は物理的にも離れていますね。
交通の要所を押さえる意味や景色を好んだのもあるのでしょうが…?
 
 
 
こんな病院はあまりないでしょう! (sakura)
2007-08-25 16:42:19
四季折々にいろいろなお花も咲くようです。
重盛もこの庭を眺めていたのかしら?等と思いながらの撮影でした。

平氏一族が邸宅をかまえていた六波羅は
北は今の松原通りより南は正面通りまで、
西は鴨川より、東は東山山麓に及ぶ広大な地域にあたり重盛邸も六波羅屋形に含まれます。

こんな風に別々に取り上げると重盛邸と六波羅邸は離れているように思いますが、西北部に清盛邸、東南部に重盛邸があってその間に一族郎党の屋敷があったようです。
少し西八条第には遠いかも知れませんが、
馬町辺は交通の要所だったようです

重盛邸は一説には積翠園辺りから正林寺あたりまでの小松に満ちた広大な屋敷だったようで
歩いてみるとその広さが実感できます。
さすが嫡子!

維盛については後日、記事にしたいと思ってますので簡単に

維盛は光源氏と見間違うほどのハンサムボーイ、
その上、笛や朗詠の名手だったようです。
しかし”戦下手”だったのです。
武門の家に生まれ、まして嫡子となると致命的です。

富士川の合戦では清盛を随分激怒させています。
 
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