コメント
北条政子
(
揚羽蝶
)
2018-04-08 23:54:47
政子さんは、源平池をつくらせたが、その理由に執念を感じました。
鎌倉幕府のために尽力したと思いますが、実朝暗殺事件あり、承久の乱あり、波乱万丈だったと思います。
源氏将軍は、三代で断絶し鎌倉幕府は、北条氏が、実権を握ったのですね。
まさに おごれる人も久しからずです。
Re:北条政子
(
sakura
)
2018-04-09 10:08:52
鶴岡八幡宮の境内入口に源平池が造られたのは、
寿永元年(1182)4月といいますから、
ちょうど源平合戦の真っ最中だったのです。
当時は方丈池と呼ばれて今の3倍くらいの広さがあったようです。
頼朝だけでなく、子供にも先立たれた政子は、
頼朝の後家として実権を握り尼将軍と呼ばれました。
政子が頼朝の妻であったから実家の北条氏が力を持ち、
北条氏は鎌倉幕府において非常に長い期間権力の座にありましたね。
その昔八幡宮にも参拝しましたが…
(
yukariko
)
2018-04-10 22:05:06
通り一遍の知識しかなかったのでそれほどの感慨もなく、友人達と時間と体力の許す限り、北鎌倉までも歩きまわっただけでした。
解説を読みながら写真を見せて頂くと、よく知った今ならもっと味わい深いだろうなあと思いますが、もうそれだけの気力はないですね。
このブログで見せて楽しませて頂きます。
ありがとうございます。
同じ気持ちです
(
sakura
)
2018-04-11 09:04:52
取材に行く前に簡単な下調べはするのですが、
参考資料を読み込むところまではとてもできません。
記事を書きながら理解しているという有様です。
今であれば数ある史跡を違った角度から見て楽しめたと思います。
Yukarikoさまにブログを勧めていただき、
何とか今日まで試行錯誤しながら書き続けることができました。
こちらこそありがとうございます。
コメントを投稿する
名前
タイトル
URL
コメント
※絵文字はjavascriptが有効な環境でのみご利用いただけます。
▼ 絵文字を表示
携帯絵文字
リスト1
リスト2
リスト3
リスト4
リスト5
ユーザー作品
▲ 閉じる
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
鎌倉幕府のために尽力したと思いますが、実朝暗殺事件あり、承久の乱あり、波乱万丈だったと思います。
源氏将軍は、三代で断絶し鎌倉幕府は、北条氏が、実権を握ったのですね。
まさに おごれる人も久しからずです。
寿永元年(1182)4月といいますから、
ちょうど源平合戦の真っ最中だったのです。
当時は方丈池と呼ばれて今の3倍くらいの広さがあったようです。
頼朝だけでなく、子供にも先立たれた政子は、
頼朝の後家として実権を握り尼将軍と呼ばれました。
政子が頼朝の妻であったから実家の北条氏が力を持ち、
北条氏は鎌倉幕府において非常に長い期間権力の座にありましたね。
解説を読みながら写真を見せて頂くと、よく知った今ならもっと味わい深いだろうなあと思いますが、もうそれだけの気力はないですね。
このブログで見せて楽しませて頂きます。
ありがとうございます。
参考資料を読み込むところまではとてもできません。
記事を書きながら理解しているという有様です。
今であれば数ある史跡を違った角度から見て楽しめたと思います。
Yukarikoさまにブログを勧めていただき、
何とか今日まで試行錯誤しながら書き続けることができました。
こちらこそありがとうございます。