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平等院は昔に何度も訪ねているのに! (yukariko)
2008-08-05 22:28:12
今までは藤原頼道(道長の子)の別荘と知るだけで、他の故事来歴を知らずにぼうっと鳳凰堂を眺めていただけ…という事ですね!

頼政の史跡の写真と載せて頂いた地図で確かな手がかりを頂いたので、是非行かなくっちゃ!(笑)

藤の時期もいいけれど、見事な蓮のお写真を見ると、暑くてもこの夏に行きたくなりますね。

でも次々と新しい史実を教えて頂けるので、もう少し進んでからの方がいいかも…などと欲張りは思案をしています。

頼政の辞世の歌
「♪埋もれ木の花さく事もなかりしに 身のなるはてぞ悲しかりける」に対し、
後世の子孫が建てた歌碑
「♪花咲きて実となるならば後の世に
もののふの名もいかで残らむ」を知って嬉しかったです。

時代の流れに巻き込まれ悔しい思いを残して亡くなった頼政とそのご一党に対し、はるか後世に歴史となった出来事を学んだ人間が「無駄じゃない!」と言ってあげたかった気持ちがよく分かります。
 
 
 
そうですね、平等院は頼道の別荘だったのですね! (sakura)
2008-08-06 14:04:01
その昔、平等院の地には源融が宇治院を営み(平等院・浄土院境内左のしだれ桜は「源融遺愛の桜」)、

それを藤原道長が別荘にし、道長から頼道に、頼道は別荘を、
後、寺にし平等院と名づけました。

「源氏物語」宇治十帖は、宇治院を背景に書かれたといわれています。

平等院は春の桜、初夏の藤、ツツジ、夏の蓮、秋の紅葉と
見事なお花に目を奪われてしまいます!


平等院へ行く前、「昭和京都名所図会」を読んでいきました。
「釣殿が観音堂」と書かれていたので、少々感激しました。
背景、舞台が分かると物語を膨らませる楽しみができます。

次回は平等院・浄土院内に残る頼政ゆかり史跡を一つ紹介させて頂きます。

頼政の末孫の歌にはやさしさといたわりの気持ちが込められていますね。
頼政のことを誇りに思ってらっしゃるのでしょう。

先日の産経新聞に道灌酒造
(太田道灌を祖先に持ち大地主だった太田家が、所有していた田畑から
納められる近江米を有効利用しようと明治時代に創業)
の記事が掲載されていました。(太田道灌は頼政の子孫)

蓮の花は法金剛院でyukarikoさん、
昨年はkokoさんと素晴しい腕前を見せていただいたのでお恥ずかしい…


 
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