コメント
知らないという事は…!
(
yukariko
)
2008-11-22 10:36:38
宝寺(宝積寺)は桜の時期に二度ほど立ち寄りましたが豊臣秀吉関係だけが印象に残っています。
鐘楼も見て、その注釈も読んでいる筈なのに記憶にないのは「待宵の小侍従」がどういう人か知らなかったからでしょう(笑)
このような「追儺式・鬼くすべ」の事も全く知らなかったので、開祖行基以来続いている古さと、10cから形を変えて続いている儀式という説明に、このお写真を以前から準備なさっていたのだと感心しながらとても興味深く見せて頂きました。
前回の待宵の小侍従の碑と桜井の駅横の歴史記念館とこの鐘を見に行こうかと思います。
でも宝寺は来年の春の方がいいかも知れませんね。
何度たずねても気がつかないことが多いのは同じです!
(
sakura
)
2008-11-22 16:41:30
鬼くすべは寺伝によると706年行基が聖武天皇の疫病退散を祈ったのが最初で
寺が開かれた724年から毎年営まれているという。
大山崎在住の現・神戸大学教授の高橋昌明先生(「平清盛・福原の夢」「清盛以前」等の著者)は
「歴史ものがたり街道」の中で
追儺式の始まりは修正会(平安時代の年始めの行事)最終の龍天・毘沙門天が牛王杖を振るって鬼を追い回す法会とか
どちらにしてもこれらの法会が四堺祭に移行していき今日見るような祭の形になっていったのでしょうね。
秀吉ゆかりの宝積寺・三重の塔もとても興味深いのですが、
大山崎は古代より孝徳天皇の宮、行基の山崎橋・山崎院、河陽宮、山城国国府と何度も歴史の舞台になりました。
平家物語でも安徳天皇都落ちの舞台です。
宝積寺は17年の春たずねました。
あいにく小雨が降る肌寒い日だったので参拝者が少なかったのか、
沢山福餅を頂いてきました。
以前水無瀬・大山崎を歩くついでによく「大山崎ふるさとセンター」をたずねました。
近場の記事は嬉しいですね!
(
kazu
)
2008-11-24 23:30:00
歴史のことは良く分かりませんが、近場の知っている地名を聞くと嬉しくなります。
「鬼くすべ」覚えていたら来年福餅を頂きに行きたいと思います。
年々弱るのですから福をもらって元気になりたいものですね!
大山崎ふるさとセンターは編み物の発表会を見に何度も訪問しましたが、歴史説明ノコーナーは見ていませんでした!
お二人でたずねて頂いたので…
(
sakura
)
2008-11-25 09:10:11
説明板の写真で、あの場所も苔山と知りました。
名神の中央分離帯に据えられていた時の住所が、苔山になってたのですが、
今の場所も苔山なのですね!住所に加えておきます。
kazuさんの写真で「小侍従の碑続編」を見せていただいたような気分です。
今朝ふとお二人に福餅の写真を見て頂こうと
思いつきました、UPしておきます。
お近くですから節分でも鬼くすべでも、
機会があればユーチューブで祭の様子をお見せ下さい。
島本町にも立派な歴史館が立ちましたね。
また訪ねる楽しみが一つ増えました。
ぜひ来年は鬼のお顔撮影を・・・
(
kazu
)
2008-11-26 10:02:41
それと載せて頂いた福餅を頂いてUPしたいものです。
このsakuraさんのタグでストーリー風に見られて、説明書きで流れが良く分かり頭にインプットできました!
節分行事もあるとかで、2度福がもらえるのですね!
私も段々歴史の世界に入れそうな気がしだします。
自分の好きな分野が皆さんのブログUPのお陰で広がっていくのは有り難い事です。
珍しい写真を追加でUPして下さったのですね!
(
yukariko
)
2008-11-27 22:25:29
三福種餅というのは名前も変わっていますね。
「三福の種守」という看板が立っていたので、
それにあやかった名前でしょうね。
毘沙門天の「健康」と弁財天の「知恵」と大黒天の財産…三福の実がなる「宝寺の種守」と書かれていました。
実際に画像で見ると『なるほど!』と実感しますね。ありがとうございました。
kazuさんへ
(
sakura
)
2008-11-28 15:20:51
kazuさんに教えて頂いたsakuraさんのスライドショー
重宝させていただいています、
今回の写真にもストーリーが分かるかな?と使わせていただきました。
写真を沢山撮影してきたので、20枚にすれば儀式の流れがもっとよく分かっていただけたのにと、今頃後悔しています。
次回のkazuさんに期待します。
福もちは、食べきれないくらい沢山頂いてきました。
節分会には鬼をいぶすことはありませんが、
行法は鬼くすべと同じ(歴史ものがたり街道)と書かれています。
留守にしていたので、お返事遅くなってしまいました、すみませんでした。
yukarikoさんへ
(
sakura
)
2008-11-28 15:35:37
「三福の種守」という看板が立っていましたか?
気がつきませんでした。
次回参拝したら注意します。
阪急電車発行のtook17年4月号「宝寺行事案内」に
「健康」「知恵」と「金運」
三福が身につく福餅と書かれています。
蓬の矢と桃の弓で鬼を退治する。とも書かれているので、
白、ピンク、蓬色のもちの色はここからかも知れませんね。
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鐘楼も見て、その注釈も読んでいる筈なのに記憶にないのは「待宵の小侍従」がどういう人か知らなかったからでしょう(笑)
このような「追儺式・鬼くすべ」の事も全く知らなかったので、開祖行基以来続いている古さと、10cから形を変えて続いている儀式という説明に、このお写真を以前から準備なさっていたのだと感心しながらとても興味深く見せて頂きました。
前回の待宵の小侍従の碑と桜井の駅横の歴史記念館とこの鐘を見に行こうかと思います。
でも宝寺は来年の春の方がいいかも知れませんね。
寺が開かれた724年から毎年営まれているという。
大山崎在住の現・神戸大学教授の高橋昌明先生(「平清盛・福原の夢」「清盛以前」等の著者)は
「歴史ものがたり街道」の中で
追儺式の始まりは修正会(平安時代の年始めの行事)最終の龍天・毘沙門天が牛王杖を振るって鬼を追い回す法会とか
どちらにしてもこれらの法会が四堺祭に移行していき今日見るような祭の形になっていったのでしょうね。
秀吉ゆかりの宝積寺・三重の塔もとても興味深いのですが、
大山崎は古代より孝徳天皇の宮、行基の山崎橋・山崎院、河陽宮、山城国国府と何度も歴史の舞台になりました。
平家物語でも安徳天皇都落ちの舞台です。
宝積寺は17年の春たずねました。
あいにく小雨が降る肌寒い日だったので参拝者が少なかったのか、
沢山福餅を頂いてきました。
以前水無瀬・大山崎を歩くついでによく「大山崎ふるさとセンター」をたずねました。
「鬼くすべ」覚えていたら来年福餅を頂きに行きたいと思います。
年々弱るのですから福をもらって元気になりたいものですね!
大山崎ふるさとセンターは編み物の発表会を見に何度も訪問しましたが、歴史説明ノコーナーは見ていませんでした!
名神の中央分離帯に据えられていた時の住所が、苔山になってたのですが、
今の場所も苔山なのですね!住所に加えておきます。
kazuさんの写真で「小侍従の碑続編」を見せていただいたような気分です。
今朝ふとお二人に福餅の写真を見て頂こうと
思いつきました、UPしておきます。
お近くですから節分でも鬼くすべでも、
機会があればユーチューブで祭の様子をお見せ下さい。
島本町にも立派な歴史館が立ちましたね。
また訪ねる楽しみが一つ増えました。
このsakuraさんのタグでストーリー風に見られて、説明書きで流れが良く分かり頭にインプットできました!
節分行事もあるとかで、2度福がもらえるのですね!
私も段々歴史の世界に入れそうな気がしだします。
自分の好きな分野が皆さんのブログUPのお陰で広がっていくのは有り難い事です。
「三福の種守」という看板が立っていたので、
それにあやかった名前でしょうね。
毘沙門天の「健康」と弁財天の「知恵」と大黒天の財産…三福の実がなる「宝寺の種守」と書かれていました。
実際に画像で見ると『なるほど!』と実感しますね。ありがとうございました。
重宝させていただいています、
今回の写真にもストーリーが分かるかな?と使わせていただきました。
写真を沢山撮影してきたので、20枚にすれば儀式の流れがもっとよく分かっていただけたのにと、今頃後悔しています。
次回のkazuさんに期待します。
福もちは、食べきれないくらい沢山頂いてきました。
節分会には鬼をいぶすことはありませんが、
行法は鬼くすべと同じ(歴史ものがたり街道)と書かれています。
留守にしていたので、お返事遅くなってしまいました、すみませんでした。
気がつきませんでした。
次回参拝したら注意します。
阪急電車発行のtook17年4月号「宝寺行事案内」に
「健康」「知恵」と「金運」
三福が身につく福餅と書かれています。
蓬の矢と桃の弓で鬼を退治する。とも書かれているので、
白、ピンク、蓬色のもちの色はここからかも知れませんね。