(写真:グリニッジ天文台のドーム)
2007年5月1日
旅に出てから実に3日ぶりにまともなベッドで眠ったので、朝から気分爽快。
スコットランド名物のボリュームたっぷりの朝食も旨い。
「脂っこくて臭くて凄い」と名高い名物料理のハギスもあったので試してみる。羊の内臓を香辛料やらその他よく分からないものと混ぜ合わせて茹でたものなのだが、臭みもそれ程なくて案外食べやすい。
「案外いけるじゃないか。英国料理は世界一マズイと聞いてたが、そんなことないな」
そう、英国料理はそんなに酷いものではなかったのである、この日までは。。。
朝食を済ませてからホテルのすぐ隣のインヴァネス駅へ。
いよいよ英国鉄道最北端への旅が始まる。
インヴァネス10:39発、Thurso/Wick行き列車に乗車。昨日エディンバラからここまで乗ってきたのと同じタイプの2輌ユニットのディーゼルカー。車内は遊びに繰り出す若い連中や家族連れの行楽客で賑やか。最北端へと向かう最果て列車というイメージではない。
この列車、「トーマスクック時刻表」によると全車2等車とあるが、僕の伝家の宝刀「ブリティッシュ・レイルパス(1等車用)」を見た車掌氏は「隣の“サロン”に行きなさいな」と運転席の後ろの小部屋のドアを開けて手招きする。行ってみると車両の端の区画を仕切った小さな1等席部屋があった。座席は隣の2等と同じものだが、他に誰もいないので静かだし気を使わなくて済むから助かる。
列車は定刻にインヴァネス駅を発車。駅構内で大きくカーブを切り、一路北に向けて走り始めた。
列車は入り組んだ湾に沿って北上する。
かなりの高緯度地域を走っているのだが、夏至間近のスコットランドは陽光に満ち溢れ風景も光り輝いている。今がまさに一年で一番いい季節なのだろう。
海と平野(牧草地か荒野)を交互に見ながら、列車は快走する。
海岸は石ころだらけの磯が続いていたが、所々には砂浜もあった。夏場は海水浴客で賑わうのだろうか。北海の水は冷たそうだけどな。
途中駅で列車交換。
擦れ違う列車は重厚な茶色の豪華車両。オリエントエクスプレスホテルズ社が運行するクルーズトレイン「The Royal Scotsman」だった。車内には優雅なダイニングにカクテルグラスが並んでいるのが見える。
この列車、スコットランド各地を1週間!もかけてゆっくり観て回るツアーを組んでいるらしい。一度は乗ってみたいものである。
延々と続く平原と荒地、樹が生えていない小高い山地、そして牧草地。
羊の親子とうさぎが遊びまわる、絵本のピーターラビットの世界そのままの風景の中をひたすら北上。
時々「♪ラララ~ララ~」と御機嫌に鼻唄をうたいながらやってくるワゴンサービスのおっちゃんから紅茶やビスケットを買って(この列車のワゴンサービスは1等サロンの乗客からも紅茶代1.55ポンドを徴収する。ちょっとセコイ)スコットランドの汽車旅を満喫する。
やがて平原の向こうから線路が近付いてきて合流したところで分岐駅Georgemasに到着。列車はここからちょっと面白い運行をする。
インヴァネスから英国最北端を目指す路線は、その最先端部がY字型に分岐していて終着駅が2つある。文字通り英国最北端のThurso駅と、やや南下して北海に臨むWick駅とがあるのだが、列車は先ずThurso駅へと向かった後でスイッチバックして分岐駅まで戻り、改めてWick駅へと向かう「行ったり来たりダイヤ」が組まれているのだ。
こういう運行は日本では考えられない。鉄道好きには堪らん愉快な列車運用だ。
分岐駅に到着した列車の運転士が、最後尾の運転席へと移動する。JR九州の肥薩線大畑駅・真幸駅や豊肥本線立野駅でもお馴染みのシーンだ。
折り返した列車は牧草地の中をゴロゴロ走り、Thursoに到着。
ここは名の知れた観光地らしく、殆どの乗客が下車。
最北端の駅、といっても日本の稚内駅のようなどん詰まり感は全くない、あっけらかんとしたThursoを折り返して、さっき走った線路を再び通り分岐駅へと戻る。改めて、終着駅Wickを目指す。
Wickは観光とは縁のない地味な街のようで、寂寥感の漂う終着駅に列車は静かに到着した。
「着いた…ここが英国鉄道の終着駅だ。」
Wickの駅舎は小奇麗に整備されているが、乗り場は1面1線しかない。駅舎を出てみると、駅舎の周りには広大な駅構内の遺構が広がっていた。
「ここはきっと昔は賑やかな駅だったんだろうな…ヤードの跡があるから貨物列車がたくさん発着していたんだろうな。今はこの路線は貨物の扱いはやっていないようだが…何だか筑豊や北海道のターミナル駅に似てるな」
実際、この駅は北海道の没落した幹線のターミナル駅…根室駅や様似駅、増毛駅とか…に雰囲気がよく似ている。
折り返し列車の発車まで小一時間程あるので、Wickの街を歩いてみる。
駅は病院か工場のような大きな建物の裏にあるので寂しかったが、ちょっと歩くとそれなりに繁華な通りに出た。河沿いに坂の多い街並みが続いている。河はすぐに北海に注ぐ河口になっているようで、港が見える。漁港と北海油田の基地になっているのだろう。
港があるので、活きのいい魚があるだろう。フィッシュアンドチップスでもつまもうかと思い商店街を歩くが、既にランチタイムを過ぎているせいか店には売り切れの看板が出ている。
本屋兼文房具屋で絵葉書代わりにグリーティングカードを買って(イギリス人はちょっとした手紙を書くのが大好きなようで、文具店には膨大な種類のカード類が揃っている)、さあ帰ろうか。
再び最北端のThurso駅まで行ったり来たりして、インヴァネスへと帰る。
もう午後も遅い時間になったが、陽の光はギラギラ強いままゆっくり傾いていく。余り遅い時間まで明るいと、何か気だるくて却ってメランコリックな気分になるという事に気がついた。
帰りの車中でも鼻唄親父のワゴンサービスから紅茶を買ってまったり過ごす。
まだまだ明るいが、流石に遊び疲れたのか牧草地で羊の仔が眠りについている。
午後8時、インヴァネス駅に到着。
インヴァネス駅ではちょうどロンドンからの直通特急が到着し、それを待っていたロンドン行きの寝台列車が発車するところだった。
ロンドン・キングズクロス駅からやってきた特急は昨日乗ったフライングスコッツマンと同じ系統だが、エディンバラから先は非電化区間を走行するのでディーゼル機関車が使われる「インターシティ125」と呼ばれるタイプ。ちなみに125とは最高速度時速125マイルで走るという意味らしい。125マイル≒200キロだから、ディーゼル機関車の癖にとんでもない俊足である。
丸っこくて愛嬌のあるインターシティ125の機関車。近づくと地響きのようなディーゼルエンジンの咆哮が身体に響き、車体を包む煤煙に思わずむせる。
それにしてもこの機関車、僕が小学校に入ったばかりのころ学校図書室で見た「世界の鉄道」という本に写真が載っていたから既に相当年季が入っている筈なのに、よく手入れされているので状態が良くてまだまだ現役バリバリという風情だ。
イギリス人は物を捨てるということを知らない、と言われるが、この徹底的に使い倒す精神は「モッタイナイ」という言葉を忘れかけている我々日本人も見習いたいところ。
ロンドン行きの寝台列車の発車を見送ってから、昨日も行ったドラッグストアで「ホッピー」のような不思議なアルコール飲料を買ってホテルに戻り、英国鉄道最北端到達を祝って独りで乾杯。
2007年5月2日
今日はインヴァネスを後にして、イギリスを南下。
スコットランドで一番の大都市グラスゴーへと向かう。
列車に乗り込む前にホテルの朝食ビュッフェで腹ごしらえ。昨日味を占めたハギスを大盛りにして頬張ると「ん?昨日のとちょっと風味が違うな。なんか少し生臭いような…」
果たして、ホテルをチェックアウトして列車に乗り込むと猛烈な腹痛。
「ヤラレタ…」
結局、乗り換え駅のアバディーンに着くまでずっと座席とトイレを往復する羽目に。身体中の水分を搾り取られたような酷い気分。
「昨日は何ともなかったのにな…ハギス恐るべし!まあ身体が疲れ始めているせいもあるだろうが…」
アバディーンは「花の都」と呼ばれる美しい街らしいが駅から出る気力も失せ、さっさとグラスゴー行きの列車に乗り換える。
グラスゴーは6年前に初めてイギリスに来た時に、道中知り合った人と一緒に飛び込みでチェックインした懐かしいホテルを予約してあり楽しみだったのだが、体調が最悪なので思い出深い街並みを見ても感慨もへったくれもない。
それでもホテルの部屋で暫くベッドに横になっていると段々気分が良くなってきた。
「ハギスを身体から追い出したからもう大丈夫かな。せっかくブリティシュ・レイルパスを持ってるんだからエディンバラに遊びに行こう!」
スコットランド一の大都会グラスゴーからスコットランドの首都エディンバラまでは小一時間でアクセス出来るし、往来も盛んなので直通列車が1日中ひっきりなしに往復している。
グラスゴーに2つあるターミナル駅の一つ、クイーンストリート駅から郊外電車に乗って出発。学校帰りの制服姿の中高生やサラリーマンが多数乗車する庶民的な路線で、例えるなら博多から小倉まで特急「ソニック」や「有明」で移動する感覚に近い。
遅い午後の陽射しの中、エディンバラ旧市街を散策。
6年前にもこの通りを歩いて、その重厚な雰囲気に圧倒されて感動したものだが、今こうして再び歩くと「所謂観光地だな」としか思わない。昔の自分は純真だったのかも知れない。
夕陽に照らされたエディンバラ城を眺めてから帰途に着く。
帰りは別路線を通って行こう。
駅の発着案内を見ると、グラスゴーのセントラル駅行きの特急列車がある。これに乗るか。
フライングスコッツマンの発着するホームで待つ事暫し。現れたのは…
ヴァージン鉄道の新型車両「ボイジャー」だった!
航空会社から金融、レコード店、コーラの製造販売まで手掛ける英国ヴァージングループは鉄道業界にも進出しているが、いかにもヴァージンらしいお洒落でぶっ飛んだサービスを展開するので注目されている。
この「ボイジャー」は地方路線の品質向上を目論んで投入されたもので、コンセプト的には日本のJR九州が展開する新型特急に近いと思われる。即ち、「高品質な車両」「耳目を集めるデザイン=目立ったもん勝ち!」「上質な車内サービス」といったところか。
そう思って見るとこの「ボイジャー」、JR九州の「ソニック883」と雰囲気がそっくりなんだよな。名前もNASAの外惑星探査機と同じでカッコいい。
「ボイジャー」はエディンバラで殆どの乗客を降ろしてしまい、ガラガラで発車。
車内は無機質にまとめられていて非常にスッキリしている。ヴァージンメガストアの店内のような雰囲気と言えばいいのだろうか(福岡店にしか行ったことがないからよく知らないけど)。
到着したグラスゴー中央駅はホテルのすぐ横なので、そのまま帰って就寝。早く体調を戻さないと。
2007年5月3日
今日はグラスゴーからさらに南下して、ロンドンへと戻る。
グラスゴー中央駅から乗車したロンドン・ユーストン駅行きの西海岸線経由の特急列車は、昨日の「ボイジャー」と同じくヴァージンの運行する列車。最新式の振り子電車「ペンドリーノ」だ。
ヴァージンの列車らしく、原色の赤や黄を大胆にあしらったデザインで、フェレットの顔を想わせる愛嬌たっぷりの先頭車が何とも可愛らしい。東海岸線を走る特急「フライングスコッツマン」が伝統と格式を感じさせる英国紳士のような濃紺の重厚ボディなのと好対照だ。
グラスゴー中央駅を静かに発車した「ペンドリーノ」は郊外に出ると振り子機構をフル作動させて車体を小気味良く傾けながら、凄まじい勢いで疾走していく。軽く時速200キロ以上は出ているんではないだろうか?
疾走する列車の1等車内では、お洒落な真っ赤な制服の車掌氏による検札が済むと優雅にプルマンスタイル(座席まで食事を運んできてくれる)の朝食サービスが始まった。座席に置かれたメニュー表によると「ペンドリーノ」では時間帯ごとに数パターンの食事サービスが実施されているらしいが、午前中発の列車では「軽い朝食(PENDOLINO LIGHT BREAKFAST)」サービスが実施される。ちなみに早朝便では「本格的な英国式朝食」、昼以降はランチメニュー、以後アフタヌーンティーと更にフルコースの夕食…と続く模様。
さて「軽い朝食」とはどんなものかと思ったら、山盛りのスクランブルドエッグにベーコンとソーセージが鎮座した皿が出てきた。更にバスケット一杯のパンと飲み物はアルコール類を含めて飲み放題である。「どこが“軽い”朝食なんだよ!」
とか何とか言いながら、しっかり朝からワインをお替りする。
朝食が済む頃に、ようやく最初の停車駅カーライルに到着。すると駅発車後に今度はサンドイッチが出てきた。その後、プレストンとどこかに停車した筈だが、その都度ケーキやら何やら新しいメニューがワゴンで運ばれて来る。
結局、ロンドン・ユーストンに到着するまでひたすら食べ続け飲み続けたのであった。。。これで食事代はすべて乗車券込みだから、「ブリティッシュ・レイルパス」で乗車している僕は完全にタダ食いしてる感覚である。それにしても、これだけの食事サービスを僕のような予約していない乗客にまで徹底的に提供する体制は凄い。ヴァージン恐るべし!である。これだけのサービスが受けられるなら、スコットランドとロンドンを旅行する人はヴァージンに乗りたがるよなぁ。。。これがヴァージンの「サービス戦略」か。
食べ放題特急は昼下がりのロンドン・ユーストン駅に到着した。昨日、食中りを起こしたばかりなのにまた飽食したせいで体調が悪い(当たり前だ)。すぐに地下鉄で予約してあるホテルへと向かう。また初乗り900円の切符を買うのは癪なので、殆ど値段の変わらない1日乗り放題券を買ってチャリングクロス駅近くのホテルへ。部屋で暫く休憩してから、チャリングクロス駅から出る郊外電車に乗る。向かうのはロンドン郊外、本初子午線の通る丘。
テムズ河畔のグリニッジ駅で降りて、大学のキャンパスを通り抜け、グリニッジパークの中の小高い丘の上に建つ、グリニッジ天文台。
経度0度、世界標準時の基本となる地だ。
ハレー彗星の軌道計算で知られるエドモンド・ハレーもかつて台長を勤めたことで知られるこの天文台、宇宙探査好きとしては是非一度訪れてみたかったのだ。
念願叶って辿り着いたグリニッジ天文台はハイキングに来たら最高に楽しめそうな芝生が気持ちのいい公園のど真ん中にあった。実際、ピクニックがてら遊びに来たような観光客が多い。芝生に立って天文台のドームを見上げていると、リスが木から降りて来てズボンの裾を引っ張り餌を催促する。
残念ながら開館時間は終了していたので建物の中には入れなかったが、中庭に1本の線が引いてあるのが柵越しに見えた。あれが正真正銘の本初子午線、経度0°0′0″だ。
本初子午線は当然ながら中庭を突っ切り、グリニッジ天文台の外へと延びている。天文台の塀には本初子午線の位置を示す線が刻印されている。その線に日本から持参した「SEIKO鉄道時計」をあてがって記念撮影。
でも、よく考えると今イギリスではサマータイムを使用している時期だから、正確にはグリニッジ標準時のお膝元では標準時より1時間先行しているんだよな。とか考えながらも、満足してロンドンに帰る。そのまま地下鉄に乗ってロンドン名物の時計塔「ビッグベン」の鐘の音を聴きに行って、時計尽くしのロンドン観光は終了。
2007年5月4日
今日の夕方のヒースロー空港発香港行きキャセイパシフィックに乗って、再び南回りで日本に帰る。
時間があるので、ホテルをチェックアウトしてから荷物を預かってもらい(預かり賃を取られた。ロンドンは何かとカネのかかる街だな…)、大英博物館へ。
大英博物館は世界有数の規模を誇る一大ミュージアムなので、とても帰国前の数時間で見てしまえるものではない。「また今度、ゆっくり来るさ…」と割り切って、めぼしいところだけを駆け足で見て回る。それでも膨大な展示が波のように押し寄せてきて、すっかりクタクタになる程。
一番の目玉展示は、やはりロゼッタストーンだろうか。
周囲を取り囲む人の群れは途切れる事がない。その人垣の中に紛れていると、あちこちから日本語が聞こえてくる。
古代ヒエログリフの謎を現代に伝えてくれたこの石碑は、一人旅の男に故郷の言葉も届けてくれる。
「ふるさとの訛りなつかし ロゼッタストーンの人込みの中に そを聞きに行く」
日本を紹介したコーナーを見に行くと、入り口に巨大な日本地図の衝立があった。西洋製の物ではなく、江戸期以前に日本国内で作成されたもののようだ。毛筆でびっしりと各地の地名が書き込まれている。覗き込んでよく見ると、僕の住む熊本の田舎町の旧地名もしっかり書かれていて驚く。
すると横に立っていた初老の白人紳士から「読めますか?」と流暢な日本語で話しかけられる。
「はい、読めます!…ここに、僕の住んでいる町の名前が書いてありましたよ。」
今から経度130度の彼方にあるこの町まで、地球の丸さまで体感しつつ遠回りして帰るとしよう。
今日のはやぶさ:提供 宇宙航空研究開発機構(JAXA)
天燈茶房TENDANCAFEは日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています
2007年5月1日
旅に出てから実に3日ぶりにまともなベッドで眠ったので、朝から気分爽快。
スコットランド名物のボリュームたっぷりの朝食も旨い。
「脂っこくて臭くて凄い」と名高い名物料理のハギスもあったので試してみる。羊の内臓を香辛料やらその他よく分からないものと混ぜ合わせて茹でたものなのだが、臭みもそれ程なくて案外食べやすい。
「案外いけるじゃないか。英国料理は世界一マズイと聞いてたが、そんなことないな」
そう、英国料理はそんなに酷いものではなかったのである、この日までは。。。
朝食を済ませてからホテルのすぐ隣のインヴァネス駅へ。
いよいよ英国鉄道最北端への旅が始まる。
インヴァネス10:39発、Thurso/Wick行き列車に乗車。昨日エディンバラからここまで乗ってきたのと同じタイプの2輌ユニットのディーゼルカー。車内は遊びに繰り出す若い連中や家族連れの行楽客で賑やか。最北端へと向かう最果て列車というイメージではない。
この列車、「トーマスクック時刻表」によると全車2等車とあるが、僕の伝家の宝刀「ブリティッシュ・レイルパス(1等車用)」を見た車掌氏は「隣の“サロン”に行きなさいな」と運転席の後ろの小部屋のドアを開けて手招きする。行ってみると車両の端の区画を仕切った小さな1等席部屋があった。座席は隣の2等と同じものだが、他に誰もいないので静かだし気を使わなくて済むから助かる。
列車は定刻にインヴァネス駅を発車。駅構内で大きくカーブを切り、一路北に向けて走り始めた。
列車は入り組んだ湾に沿って北上する。
かなりの高緯度地域を走っているのだが、夏至間近のスコットランドは陽光に満ち溢れ風景も光り輝いている。今がまさに一年で一番いい季節なのだろう。
海と平野(牧草地か荒野)を交互に見ながら、列車は快走する。
海岸は石ころだらけの磯が続いていたが、所々には砂浜もあった。夏場は海水浴客で賑わうのだろうか。北海の水は冷たそうだけどな。
途中駅で列車交換。
擦れ違う列車は重厚な茶色の豪華車両。オリエントエクスプレスホテルズ社が運行するクルーズトレイン「The Royal Scotsman」だった。車内には優雅なダイニングにカクテルグラスが並んでいるのが見える。
この列車、スコットランド各地を1週間!もかけてゆっくり観て回るツアーを組んでいるらしい。一度は乗ってみたいものである。
延々と続く平原と荒地、樹が生えていない小高い山地、そして牧草地。
羊の親子とうさぎが遊びまわる、絵本のピーターラビットの世界そのままの風景の中をひたすら北上。
時々「♪ラララ~ララ~」と御機嫌に鼻唄をうたいながらやってくるワゴンサービスのおっちゃんから紅茶やビスケットを買って(この列車のワゴンサービスは1等サロンの乗客からも紅茶代1.55ポンドを徴収する。ちょっとセコイ)スコットランドの汽車旅を満喫する。
やがて平原の向こうから線路が近付いてきて合流したところで分岐駅Georgemasに到着。列車はここからちょっと面白い運行をする。
インヴァネスから英国最北端を目指す路線は、その最先端部がY字型に分岐していて終着駅が2つある。文字通り英国最北端のThurso駅と、やや南下して北海に臨むWick駅とがあるのだが、列車は先ずThurso駅へと向かった後でスイッチバックして分岐駅まで戻り、改めてWick駅へと向かう「行ったり来たりダイヤ」が組まれているのだ。
こういう運行は日本では考えられない。鉄道好きには堪らん愉快な列車運用だ。
分岐駅に到着した列車の運転士が、最後尾の運転席へと移動する。JR九州の肥薩線大畑駅・真幸駅や豊肥本線立野駅でもお馴染みのシーンだ。
折り返した列車は牧草地の中をゴロゴロ走り、Thursoに到着。
ここは名の知れた観光地らしく、殆どの乗客が下車。
最北端の駅、といっても日本の稚内駅のようなどん詰まり感は全くない、あっけらかんとしたThursoを折り返して、さっき走った線路を再び通り分岐駅へと戻る。改めて、終着駅Wickを目指す。
Wickは観光とは縁のない地味な街のようで、寂寥感の漂う終着駅に列車は静かに到着した。
「着いた…ここが英国鉄道の終着駅だ。」
Wickの駅舎は小奇麗に整備されているが、乗り場は1面1線しかない。駅舎を出てみると、駅舎の周りには広大な駅構内の遺構が広がっていた。
「ここはきっと昔は賑やかな駅だったんだろうな…ヤードの跡があるから貨物列車がたくさん発着していたんだろうな。今はこの路線は貨物の扱いはやっていないようだが…何だか筑豊や北海道のターミナル駅に似てるな」
実際、この駅は北海道の没落した幹線のターミナル駅…根室駅や様似駅、増毛駅とか…に雰囲気がよく似ている。
折り返し列車の発車まで小一時間程あるので、Wickの街を歩いてみる。
駅は病院か工場のような大きな建物の裏にあるので寂しかったが、ちょっと歩くとそれなりに繁華な通りに出た。河沿いに坂の多い街並みが続いている。河はすぐに北海に注ぐ河口になっているようで、港が見える。漁港と北海油田の基地になっているのだろう。
港があるので、活きのいい魚があるだろう。フィッシュアンドチップスでもつまもうかと思い商店街を歩くが、既にランチタイムを過ぎているせいか店には売り切れの看板が出ている。
本屋兼文房具屋で絵葉書代わりにグリーティングカードを買って(イギリス人はちょっとした手紙を書くのが大好きなようで、文具店には膨大な種類のカード類が揃っている)、さあ帰ろうか。
再び最北端のThurso駅まで行ったり来たりして、インヴァネスへと帰る。
もう午後も遅い時間になったが、陽の光はギラギラ強いままゆっくり傾いていく。余り遅い時間まで明るいと、何か気だるくて却ってメランコリックな気分になるという事に気がついた。
帰りの車中でも鼻唄親父のワゴンサービスから紅茶を買ってまったり過ごす。
まだまだ明るいが、流石に遊び疲れたのか牧草地で羊の仔が眠りについている。
午後8時、インヴァネス駅に到着。
インヴァネス駅ではちょうどロンドンからの直通特急が到着し、それを待っていたロンドン行きの寝台列車が発車するところだった。
ロンドン・キングズクロス駅からやってきた特急は昨日乗ったフライングスコッツマンと同じ系統だが、エディンバラから先は非電化区間を走行するのでディーゼル機関車が使われる「インターシティ125」と呼ばれるタイプ。ちなみに125とは最高速度時速125マイルで走るという意味らしい。125マイル≒200キロだから、ディーゼル機関車の癖にとんでもない俊足である。
丸っこくて愛嬌のあるインターシティ125の機関車。近づくと地響きのようなディーゼルエンジンの咆哮が身体に響き、車体を包む煤煙に思わずむせる。
それにしてもこの機関車、僕が小学校に入ったばかりのころ学校図書室で見た「世界の鉄道」という本に写真が載っていたから既に相当年季が入っている筈なのに、よく手入れされているので状態が良くてまだまだ現役バリバリという風情だ。
イギリス人は物を捨てるということを知らない、と言われるが、この徹底的に使い倒す精神は「モッタイナイ」という言葉を忘れかけている我々日本人も見習いたいところ。
ロンドン行きの寝台列車の発車を見送ってから、昨日も行ったドラッグストアで「ホッピー」のような不思議なアルコール飲料を買ってホテルに戻り、英国鉄道最北端到達を祝って独りで乾杯。
2007年5月2日
今日はインヴァネスを後にして、イギリスを南下。
スコットランドで一番の大都市グラスゴーへと向かう。
列車に乗り込む前にホテルの朝食ビュッフェで腹ごしらえ。昨日味を占めたハギスを大盛りにして頬張ると「ん?昨日のとちょっと風味が違うな。なんか少し生臭いような…」
果たして、ホテルをチェックアウトして列車に乗り込むと猛烈な腹痛。
「ヤラレタ…」
結局、乗り換え駅のアバディーンに着くまでずっと座席とトイレを往復する羽目に。身体中の水分を搾り取られたような酷い気分。
「昨日は何ともなかったのにな…ハギス恐るべし!まあ身体が疲れ始めているせいもあるだろうが…」
アバディーンは「花の都」と呼ばれる美しい街らしいが駅から出る気力も失せ、さっさとグラスゴー行きの列車に乗り換える。
グラスゴーは6年前に初めてイギリスに来た時に、道中知り合った人と一緒に飛び込みでチェックインした懐かしいホテルを予約してあり楽しみだったのだが、体調が最悪なので思い出深い街並みを見ても感慨もへったくれもない。
それでもホテルの部屋で暫くベッドに横になっていると段々気分が良くなってきた。
「ハギスを身体から追い出したからもう大丈夫かな。せっかくブリティシュ・レイルパスを持ってるんだからエディンバラに遊びに行こう!」
スコットランド一の大都会グラスゴーからスコットランドの首都エディンバラまでは小一時間でアクセス出来るし、往来も盛んなので直通列車が1日中ひっきりなしに往復している。
グラスゴーに2つあるターミナル駅の一つ、クイーンストリート駅から郊外電車に乗って出発。学校帰りの制服姿の中高生やサラリーマンが多数乗車する庶民的な路線で、例えるなら博多から小倉まで特急「ソニック」や「有明」で移動する感覚に近い。
遅い午後の陽射しの中、エディンバラ旧市街を散策。
6年前にもこの通りを歩いて、その重厚な雰囲気に圧倒されて感動したものだが、今こうして再び歩くと「所謂観光地だな」としか思わない。昔の自分は純真だったのかも知れない。
夕陽に照らされたエディンバラ城を眺めてから帰途に着く。
帰りは別路線を通って行こう。
駅の発着案内を見ると、グラスゴーのセントラル駅行きの特急列車がある。これに乗るか。
フライングスコッツマンの発着するホームで待つ事暫し。現れたのは…
ヴァージン鉄道の新型車両「ボイジャー」だった!
航空会社から金融、レコード店、コーラの製造販売まで手掛ける英国ヴァージングループは鉄道業界にも進出しているが、いかにもヴァージンらしいお洒落でぶっ飛んだサービスを展開するので注目されている。
この「ボイジャー」は地方路線の品質向上を目論んで投入されたもので、コンセプト的には日本のJR九州が展開する新型特急に近いと思われる。即ち、「高品質な車両」「耳目を集めるデザイン=目立ったもん勝ち!」「上質な車内サービス」といったところか。
そう思って見るとこの「ボイジャー」、JR九州の「ソニック883」と雰囲気がそっくりなんだよな。名前もNASAの外惑星探査機と同じでカッコいい。
「ボイジャー」はエディンバラで殆どの乗客を降ろしてしまい、ガラガラで発車。
車内は無機質にまとめられていて非常にスッキリしている。ヴァージンメガストアの店内のような雰囲気と言えばいいのだろうか(福岡店にしか行ったことがないからよく知らないけど)。
到着したグラスゴー中央駅はホテルのすぐ横なので、そのまま帰って就寝。早く体調を戻さないと。
2007年5月3日
今日はグラスゴーからさらに南下して、ロンドンへと戻る。
グラスゴー中央駅から乗車したロンドン・ユーストン駅行きの西海岸線経由の特急列車は、昨日の「ボイジャー」と同じくヴァージンの運行する列車。最新式の振り子電車「ペンドリーノ」だ。
ヴァージンの列車らしく、原色の赤や黄を大胆にあしらったデザインで、フェレットの顔を想わせる愛嬌たっぷりの先頭車が何とも可愛らしい。東海岸線を走る特急「フライングスコッツマン」が伝統と格式を感じさせる英国紳士のような濃紺の重厚ボディなのと好対照だ。
グラスゴー中央駅を静かに発車した「ペンドリーノ」は郊外に出ると振り子機構をフル作動させて車体を小気味良く傾けながら、凄まじい勢いで疾走していく。軽く時速200キロ以上は出ているんではないだろうか?
疾走する列車の1等車内では、お洒落な真っ赤な制服の車掌氏による検札が済むと優雅にプルマンスタイル(座席まで食事を運んできてくれる)の朝食サービスが始まった。座席に置かれたメニュー表によると「ペンドリーノ」では時間帯ごとに数パターンの食事サービスが実施されているらしいが、午前中発の列車では「軽い朝食(PENDOLINO LIGHT BREAKFAST)」サービスが実施される。ちなみに早朝便では「本格的な英国式朝食」、昼以降はランチメニュー、以後アフタヌーンティーと更にフルコースの夕食…と続く模様。
さて「軽い朝食」とはどんなものかと思ったら、山盛りのスクランブルドエッグにベーコンとソーセージが鎮座した皿が出てきた。更にバスケット一杯のパンと飲み物はアルコール類を含めて飲み放題である。「どこが“軽い”朝食なんだよ!」
とか何とか言いながら、しっかり朝からワインをお替りする。
朝食が済む頃に、ようやく最初の停車駅カーライルに到着。すると駅発車後に今度はサンドイッチが出てきた。その後、プレストンとどこかに停車した筈だが、その都度ケーキやら何やら新しいメニューがワゴンで運ばれて来る。
結局、ロンドン・ユーストンに到着するまでひたすら食べ続け飲み続けたのであった。。。これで食事代はすべて乗車券込みだから、「ブリティッシュ・レイルパス」で乗車している僕は完全にタダ食いしてる感覚である。それにしても、これだけの食事サービスを僕のような予約していない乗客にまで徹底的に提供する体制は凄い。ヴァージン恐るべし!である。これだけのサービスが受けられるなら、スコットランドとロンドンを旅行する人はヴァージンに乗りたがるよなぁ。。。これがヴァージンの「サービス戦略」か。
食べ放題特急は昼下がりのロンドン・ユーストン駅に到着した。昨日、食中りを起こしたばかりなのにまた飽食したせいで体調が悪い(当たり前だ)。すぐに地下鉄で予約してあるホテルへと向かう。また初乗り900円の切符を買うのは癪なので、殆ど値段の変わらない1日乗り放題券を買ってチャリングクロス駅近くのホテルへ。部屋で暫く休憩してから、チャリングクロス駅から出る郊外電車に乗る。向かうのはロンドン郊外、本初子午線の通る丘。
テムズ河畔のグリニッジ駅で降りて、大学のキャンパスを通り抜け、グリニッジパークの中の小高い丘の上に建つ、グリニッジ天文台。
経度0度、世界標準時の基本となる地だ。
ハレー彗星の軌道計算で知られるエドモンド・ハレーもかつて台長を勤めたことで知られるこの天文台、宇宙探査好きとしては是非一度訪れてみたかったのだ。
念願叶って辿り着いたグリニッジ天文台はハイキングに来たら最高に楽しめそうな芝生が気持ちのいい公園のど真ん中にあった。実際、ピクニックがてら遊びに来たような観光客が多い。芝生に立って天文台のドームを見上げていると、リスが木から降りて来てズボンの裾を引っ張り餌を催促する。
残念ながら開館時間は終了していたので建物の中には入れなかったが、中庭に1本の線が引いてあるのが柵越しに見えた。あれが正真正銘の本初子午線、経度0°0′0″だ。
本初子午線は当然ながら中庭を突っ切り、グリニッジ天文台の外へと延びている。天文台の塀には本初子午線の位置を示す線が刻印されている。その線に日本から持参した「SEIKO鉄道時計」をあてがって記念撮影。
でも、よく考えると今イギリスではサマータイムを使用している時期だから、正確にはグリニッジ標準時のお膝元では標準時より1時間先行しているんだよな。とか考えながらも、満足してロンドンに帰る。そのまま地下鉄に乗ってロンドン名物の時計塔「ビッグベン」の鐘の音を聴きに行って、時計尽くしのロンドン観光は終了。
2007年5月4日
今日の夕方のヒースロー空港発香港行きキャセイパシフィックに乗って、再び南回りで日本に帰る。
時間があるので、ホテルをチェックアウトしてから荷物を預かってもらい(預かり賃を取られた。ロンドンは何かとカネのかかる街だな…)、大英博物館へ。
大英博物館は世界有数の規模を誇る一大ミュージアムなので、とても帰国前の数時間で見てしまえるものではない。「また今度、ゆっくり来るさ…」と割り切って、めぼしいところだけを駆け足で見て回る。それでも膨大な展示が波のように押し寄せてきて、すっかりクタクタになる程。
一番の目玉展示は、やはりロゼッタストーンだろうか。
周囲を取り囲む人の群れは途切れる事がない。その人垣の中に紛れていると、あちこちから日本語が聞こえてくる。
古代ヒエログリフの謎を現代に伝えてくれたこの石碑は、一人旅の男に故郷の言葉も届けてくれる。
「ふるさとの訛りなつかし ロゼッタストーンの人込みの中に そを聞きに行く」
日本を紹介したコーナーを見に行くと、入り口に巨大な日本地図の衝立があった。西洋製の物ではなく、江戸期以前に日本国内で作成されたもののようだ。毛筆でびっしりと各地の地名が書き込まれている。覗き込んでよく見ると、僕の住む熊本の田舎町の旧地名もしっかり書かれていて驚く。
すると横に立っていた初老の白人紳士から「読めますか?」と流暢な日本語で話しかけられる。
「はい、読めます!…ここに、僕の住んでいる町の名前が書いてありましたよ。」
今から経度130度の彼方にあるこの町まで、地球の丸さまで体感しつつ遠回りして帰るとしよう。
今日のはやぶさ:提供 宇宙航空研究開発機構(JAXA)
天燈茶房TENDANCAFEは日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています