難波宮 ッテ?
令和2年12月19日 補筆中
イヤー大化の改新の後 大阪に都を移したでしょ。
アー そーだったんですか。
エッ 日本史で習ったよね?
大学入試の選択科目じゃーなかったので。
高校で日本史の授業無かったんです。
エェー!! (゜o゜)
「難波の宮を知らないなんて、AKB47(?48 どっちだっけ)
のメンバーの名前を一人も知らないほど恥ずかしい事だよ。」
「大島裕子、前田え~と。」
「先輩、それもう卒業しました。」
(平成25年当時の若者と、年配者の会話。)
これが私の、「難波宮ッテ?」事件です。
永くサラリーマンをやってきて、定年間近になり、
定年後の長ーい時間をどう過ごすか?
迷っていたときに、私が古代史好きだった事を思い出させて
くれた瞬間でした。
かみ合わない若い社員との会話の中で、古代の日本について、
あまりに意識や、知識内容の違いが有ることに気づき、驚き
なにか光が見えたようで、楽しくなりました。
そう言いながらも、私自身も古代史の知識は教科書程度。
少し勉強してみようかと、定年後の今、老後の軍資金を、
警備のアルバイトで調達し、少しずつゆっくりと探訪して
行くきっかけでした。
図書館で歴史資料を読んでいる内、興味が沸いてきた疑問が
1)何故、当時世界最強の唐と、朝鮮半島の白村江で
戦をしたのか?。
2)唐に敗れた後、どうしたのか? どうなったのか?
3)そもそも、その時代の日本の政治統制の、歴史変遷は。
4)当然の疑問ですが、日本人って?
等でした。
難波の宮跡
{異次元世代会話}
「難波宮ッテ?」
世代の違いに驚かされる、会話集です。
1話目: 難波宮ッテ?
平成25年7月26日
私(団塊世代)
若手社員 北上君(独身30才)
「大阪市中央区の ボーケン(日本紡績検査協会)に
行きたいんですけど、何か目印にできる
ところ在りますか。」
「大阪市内に行ったら何処からでもよく見える、
大阪城があって、その前が 大阪府警で、馬場町の
交差点の処にNHKがあるから、あっそうそう、
NHK大阪の放送局コールサインを知ってる。」
「いえ知りませんけど。」
「J O B Kで 覚え方は J-ジャパン O-大阪 B-馬場町
K-角 や。」 (^_^)
「馬場町の角から南へ 難波宮 (ナニワノミヤ) 跡に沿って
いけばすぐや。」
「エッ 難波の宮 ッテ?」
「イヤー 大化の改新の後 飛鳥の宮から大阪に都を
移したでしょ。」
「アー そうだったんですか。」
「エッ 日本史で習ったよね?」
「大学入試の選択科目じゃーなかったので、高校では、
日本史の授業無かったんです。」
「エェー!!」 (゜o゜)
「君の同志社大学は日本史を無視したのか?」
「今たいてい大学の入試は、日本史ありませんから。」
「ちょうど、場所が大阪中央区の上町台地で高台に
なっているから、要衝の地で造り易かったんやろな、
その昔は、その場所には、仁徳天皇の難波高津の宮が
あって、難波の宮の後、戦国時代には、信長に亡ぼされた、
石山本願寺が造られ、その後に秀吉が、 今もその姿を誇る
大阪城を造ってるよな。」
「江戸時代に、作り直してるけどな。」
「本願寺ッテ? 京都ジャーなかったっけ。」(小さな声で)
「公園になって綺麗に整備されてるから、時間があれば
見てきたらいい。」
「入場料はいらないけど、駐車場は無いからな。」
「面白そうですね。」
「大極殿の基壇は復元されているから、登って前を
見たら、今にも、朝鮮の使者が貢物を持って遣って来る
光景が見えるようだよ。」
「エ? 朝鮮、 韓国からですか?」
「朝鮮の 高句麗、百済、新羅の使者やがな。」
「エ? 高句麗、百済、新羅って?」
「7世紀の朝鮮の国の名前ヤガナ。」
「 地域的には 今の北朝鮮が 高句麗で、
百済が 西南部 ソウル(京城市) 辺り、
新羅が南東部 慶州市辺りと習ったけどな。」
「今度彼女を連れて見に行ってみます。」 (^^♪
「付近に、大阪歴史博物館が出来ていて、出てきた遺跡品が
陳列され、その博物館の、上の階から難波の宮の全景が
望めるらしいよ。
あっ確か、大阪歴史博物館には、駐車場があったはずや。」
「博物館には、私は未だ行ってないけど。」
「随分前からあったんですかね。」
「確か、難波の宮の存在自体が疑われていて、どこか
分からなかった、と聞いてたよ。
それを 民間の学者が苦労して発見したのが、昭和30年後半で、
それから調査発掘を進めて、公園に整備されたと、
聞いたことがあるな。」
「昭和30年代って随分前じゃないですか。」
「昭和30年代は長い歴史の中では最近だろう。!」 (^_^;)
(俺が生まれた後だから古いことでは無い。強く言い切る!)
難波宮、大極殿の基段から、大阪城、大阪府警、
歴史博物館、NHKを望む。
大阪城
大阪府警察本庁
NHK大阪
大阪歴史博物館
ボーケン 現役時代お世話になった、
繊維品の最優秀品質検査財団
世代対話 第2話
「難波宮ッテ?」 事件の後、少し古代史をインターナット
などで調べて、古代日本にとって 朝鮮 唐との関係が、
大きく関係していると感じ出した。
2話目: 任那 日本府 本当ですか?
平成25年7月31日
私(団塊世代)
若手社員 古山君(新婚さん31才、帰国男子)
「今日のお客はどこの人?」
「韓国から来ていただきました。」
「お客様は 王様やから精一杯のおもてなしをしてあげてや。」
「「お客様は 神様」 じゃなかったですか?」
「神様は 間違ったことはしないし、
嘘を言ったりしないだろう。」
「はい?、タブン。」
「でも、お客様は間違ったことも自信を持って言うし、
自分に都合の悪いことは嘘もつくよね。
出入りの業者が自分にとって 都合が悪ければ
バッサリお手打ちや、出入り停止や。
だから お客様は王様、殿様として大事に大事に対応する
必要があるんや。」
「分かりました。十分気をつけて応対します。」
「ところで、韓国の何処から いらしたの?」
「韓国のプサンです。」
「フザン(釜山)か。」
「古代に日本の統治国 任那(ミマナ)日本府があったところ
だったかな。もう少し西側だったかな。」
「任那 日本府?? 日本の統治国が在ったって?
本当ですか?」
「エッ? 6世紀以前には 朝鮮南部で、日本の影響力が
及んでいた地区があって、それが 任那 日本府と
呼ばれていたと 日本史で習わなかった?」
「大学入試の選択科目じゃーなかったので、
高校で日本史の授業無かったんです。」
「エェー!! 君の関西学院大学は日本史を無視したか。」
「今たいてい大学の入試は日本史ありませんから。
センター試験でも、選択科目だし。」
「日本人が自分の国の歴史を知らずに、自分をしっかり
持っていなくて、本当に世界に出て行って良い仕事が、
でけるんやろうか。」
「文部省は ゆとり教育やらで学力を落として、
よっぽど日本を駄目にしたいんだな。」
「そんな大層な事では無いと思いますけど。」
「ま、想像通り、日本府については、韓国の一部の学者は
全面否定しているようだけどね。」
「その地区に日本固有の前方後円墳が存在したり、
古代日本の装飾品で新潟県糸魚川産出の翡翠(ヒスイ)の
勾玉(マガタマ)が見つかったりしてるらしいよ。」
(少し調べたところを 嬉しそうにお披露目)
「へーそんなことは少しも知りませんでした。」
「ま 6世紀以前は神話の世界になるから、歴史の時間では、
詳しく教えて貰えなかったけどね。」
「それで、任那 日本府はどうなったんですか?」
「新羅に取られてしまい、取り返しに、新羅を攻めて
取り返したりしたみたいだけど、結局、
百済に取られてしまったようだね。」
「へー 全然知りませんでした。」
「まあ テレビでも 流行小説でも、ゲームでも
ネタにされていないからな。
時代劇もゲームも 戦国時代までだからなあ。」
「興味がわいてきましたから 勉強させていただきます。」
「でも、新羅に取られたら取り返しに行くのに、
なぜ百済に取られても 軍を出さなかったんですかね?」
「それは、日本書紀 記述の謎の一つになっているよね。」
「一つの答えはあるんだけれど、これは右翼の人に
聞かれたら、怒られるから気をつけなあかんねんけど。」
「天皇の先祖が百済の王族と同じという説があるんや。」
「えー?? (顔がこわばる)そんなこと、
聞いたことがありませんよ。」
「ま それからの歴史を辿っていくと、
頷けることが多いんだよね。」
「あっ、それから、関連性はよく分かれへんねんけど、
サッカー ワールドカップの 日韓共同開催が在った年に、
今の 天皇陛下(平成天皇)が 会見で、天皇家の祖先は
朝鮮の百済王族と ゆかり があったと
発表されてたよね。」
「先輩、嘘言ってませんよね。」
「ま 勉強してみて、この辺の歴史は本当に面白いから。」
世代対話 第3話
難波宮ッテ? 事件の後、少し古代史をインターナットなどで
調べて、古代日本にとって 朝鮮 唐との関係が、大きく影響
していると感じ出し、年表を作って見た。
とても気になってきたのが、白村江の戦いの後 日本は
どうなったかだ。
難波宮関連 年表 参照ください。
3話目:唐と戦争した? それで負けた?
平成25年8月5日
私(団塊世代)
若手社員 市川君(新婚さん32才)
「韓国で見本市に出展していたんだって。」
「はい、韓国代理店のブースを貸していただいて、
新しい、5製品を出展していました。」
「どんな状況だった?」
「はい、耐火性関係が結構好評で、沢山ブースに
来ていただき、商談もいただけました。」
「今後の結果が楽しみだな。代理店との折衝、
機械の持ち込みなど、大変やったなあ、ご苦労さん。」
「韓国の何処で開催されてたの?」
「はい、インチョンです。」
「ジンセン(仁川)か。どんな処だった。」
「時間がなくて、観光しなかったもんですから、
あまりよく分からなかったんです。」
「ジンセンて、インチョンのことですか?」
「アッ、俺ら団塊の世代から前の日本人は、
そう言うと思うよ。」
「ソウルは、ケイジョウ(京城)、
プサンは、フザン(釜山)だよね。」
「へー初めて聞きます。」
想像すら出来なかった事を聞くような、不思議そうな顔。
こうなれば、私の世界だ。
「世代が違うからな、ジンセン(仁川)から南に行った、
錦江の白村江は知ってる? 日本が、唐と戦争して、
負けた場所。」
「唐と戦争した? それで負けた? 」
「西暦663年や、4万2千人の日本軍が全滅したんや。
エッ、日本史で習ったよね。」
「大学入試の選択科目じゃーなかったので、
高校で日本史の授業無かったんです。」
「エェー!! 君の立命館大学は日本史を無視したか?」
「今たいてい大学の入試は日本史ありませんから。
センター試験でも、選択科目だし。」
「大学入試の選択科目じゃあないと、みんなよく
言うんだけれど、クラブ活動や趣味の絵や音楽と、
同じに、歴史、特に日本史はやっていてほしかったな。」
「だって楽しいよ。その時代の、同じ日本人が
どう考えていたかな? と想像するのは、
とても面白いよ。」
「そうですね、高校時代は大学入試ありきで、
楽しいことは大学に行ってからって、
過ごして来ましたから。」
「自分の好きな分野の学問をする為に、
大学へ行くべきなんだけれどね。
何処かでおかしくなってるんだな。」
「それで、本当に、あの楊貴妃や玄宗皇帝のいた、
唐と戦争したんですか?
とても勝てるはず無いじゃあないですか。」
「それは、今の日本人の判断だよね、まず情報の量を
考えてみてみ。
当時は新聞も、TVもましてや、インターネットも
無いんだよね。」
「遣唐使を何回も派遣したり、
当時の朝鮮半島の国、高句麗、新羅、百済から
たまに来る使者の、情報が全てだよね。」
「この時の、戦いは、情報が多くある今の我々なら、
朝鮮半島 3ヶ国の紛争に巻き込まれたらヤバイと、
すぐに判断できるよね。」
「その当時、朝鮮半島は、3ヶ国に
分かれていたんですか?」
「古山君にも言ったことがあるんだけれど、
(第2話 参照ください。)百済とは妙に、友好的なんだよね。
その時の朝鮮半島の状況は、少しややこしいんだけど、
高句麗と唐の仲が悪く紛争が継続しており。
新羅は唐と、唐が高句麗に攻撃するとき、共に、
高句麗を攻めることを条件に、新羅にとっては
永く仲の悪かった、百済を合同で、攻めることを
条件に同盟を結んだんだよね。」
「何かすごく複雑ですね。でも今でもそんな国際状況が
ありそうな設定ですね。」
「人間のやることは今も昔も進歩してないよね。
唐と新羅に、攻撃され。あっさり百済は降参
してしまったんだよね。
王様や王族は、唐に無理矢理、連れて行かれて
しまったんだよ。」
「これに納得できない百済の残党が、倭王朝に、
助けを求めた、その要請を、なぜかアッサリ受け入れ、
百済への救援軍派遣という、今の我々から見たら、
暴挙としか見えない事を行った、というのが、
この「白村江の戦い」の構造だ。」
「馬鹿じゃないのって、話ですね。だって、
百済はアッサリ降参するような国なんでしょう。
かたや、当時世界最強最大の唐ですよね。」
「それで、百済の白村江に、3回に分けて、兵4万2千人、
船舶8百艘を派遣したんだ。それに対する、新羅は
兵5万人を、唐は兵13万人、船舶170艘
(中国のことだから、表現が大きく脚色されている
可能性があるけどね。)が出てきて、
戦闘になったんだよね。」
「結果は、倭の惨敗、あそうそう、倭の4万2千人だけれど、
その当時の倭の人口は5百万人~6百万人、
今の人口は、1億2千7百万人、単純換算 20倍とすると、
80万人以上、80万人の兵が全滅した。
確か、今の自衛隊の兵員数は約28万人、つまり、日本から
自らを守る、兵隊がいなくなったてことだよね。」
「大変じゃないですか、それで、どうなったんです。」
「さあ大変だ、唐が倭に攻めてくるかもしれない。
九州の守りを固めろ。という訳で急遽、九州の拠点
大宰府を守る、水城、大野城、基肄城などを、
造り始めたり、防人(さきもり)として地方から九州へ
兵を派遣したんだよね。」
「唐から、戦いで負けてから663年~666年
数度にわたり、2千人の使節団が来航したんだ。」
「来たー、2千人、現在換算 4万4千人!! 占領軍だ!
進駐軍だ! GHQだ!!だよね。」
「大変だ、ところで、進駐軍て? GHQて?」
「え? 知らないの。太平洋戦争で負けた後、アメリカから
日本を占領統治するために、派遣されてきた、
米国軍隊ヤガナ。」
「太平洋戦争で負けた、昭和20年から講和条約が
調印された、昭和27年まで、日本を統治君臨した
非道極悪の機関や。」
「まっ、私は、大阪やったから、悪さはされへん
かったけど、どこの国にも、いい人は居るんだけど。
どうしようもない悪いやつも居るからな、
今問題にされてる、韓国の慰安婦問題どころジャー
ないって、色々嫌なことを大人から聞いたけどな。
幼い時は、近所のお兄ちゃんにくっ付いて、米兵、
あっGI言ったけど、GIが来たゆうて、GIの乗っている
ジープの後ろについて、「ギブミーチョコレート」
言ってたら、チョコレートやドロップを投げてくれるんや。
2回ほど貰った記録があるな。」
「今から考えると早い話が モノモライや、恥ずかしい
ことやな。
でも、多分、団塊世代から上の日本人の中には、
もっと嫌な経験をしてる人は多いはずや。」
「まっ、絶対に戦争したらいかん、負けてしもうたら、
ドンダケ惨めなことになるかゆう事やな。」
「それでどうなったんですか? 倭は?」
「唐(中国)が、そのままにして置いて
くれる訳無いでしょう。」
「それが、もう一つ訳が分からんのや。もうすぐ定年やから、
いい調べ事が出来た思てるんや。」
「へー面白そうですね、何か分かったら、教えてくださいよ。」
「ありがとう、ブログ立ち上げるつもりやから、
また見て、感想を入れてや。」
古代史を求めての、のんびり紀行
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北九州 佐賀県吉野ヶ里遺跡
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斉明天皇の行幸宮を求めて、朝倉橘広庭宮跡 木の丸殿跡
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古代史の本筋、奈良飛鳥に初めて探索に。
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13.秋の連休、古代史散策 2日目
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白村江の戦いから ⇒ 壬申の乱の 史実を求めて。
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15.続「壬申の乱」を訪ねて 1日目
「壬申の乱」 散策の祟りを 払うために
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16.秋の奈良探訪-2015年 正倉院展再挑戦など
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17.「難波の宮」の時代の何で?
18.お正月奈良観光ー2016年 (制作中)
甘樫の丘 等
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20-1.「白村江の戦い」 の なんで? ― 前振り ―
20-2.「白村江の戦い」 の なんで? - 本編 -
21.「白村江の戦い」敗戦後
1300年前、朝鮮半島で、唐(中国)に負けて、
ドンナ目にあったか?
22ー1.「白村江の戦い」 「太平洋戦争」 敗戦後の考察
その1
22−2.「白村江の戦い」 「太平洋戦争」 敗戦後の考察
その2
22−3.「白村江の戦い」 「太平洋戦争」 敗戦後の考察
その3
難波宮関連 年表
◎ 古代史 のんびり散歩
スタートページ です。
(新作順表示)
◎ 目次ページ
(創作順表示)
◎ 「難波宮ッテ?」
古代史感のすれ違い
メイン ブログです。
すみません。私は、理系出身で物を知らないド素人の定年組みです。記載内容に、非常識な内容、不快な表現等があるかと思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。ご指摘頂けましたなら、早急に訂正変更いたしますので、ご指摘、ご指導お願いします。 記載内容に多少の大袈裟や、特に会話記載に省略や脚色を加えております。老人の戯言と、ご容赦下さいね。
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