【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会会長代行 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

「火神」主宰 「俳句大学」学長 「Haïku Column」代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

国際俳句の改革 ~二行俳句の推進とその展開~

2020年09月02日 17時09分04秒 | 国際俳句

新薩摩学15 古閑章編

古閑章教授退職記念号

2020年8月20日発行

発行所 南方新社

ーこれからの学問のエッジを極めるー

 

【第十六章】

国際俳句の改革

~二行俳句の推進とその展開~

                           永田満徳

 

俳句大学国際俳句学部では、四年前に国際俳句交流のFacebookグループ「Haiku Column」を立ち上げ、私は俳句大学の代表として、また、向瀬美音氏はHaiku Columnの主宰として「Haiku Column」を管理している。

現在、参加メンバーは二一〇〇人を越え、一日の投句数も二〇〇句に及ぶ。瞬時に交流できるFacebookという国際情報ネットワークの恩恵を受けているのも特色である。国籍もフランス、イタリア、イギリス、ルーマニア、ハンガリー、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、アメリア、インドネシア、中国、台湾と多様である。使われている言語は三ヶ国語で、フランス語、イタリア語は向瀬氏、英語は中野千秋氏が翻訳を担当している。

人種、国籍を問わず投句を受け入れていることから、その「人道主義的」スタンスが広く支持されており、HAIKUによる国際文化交流が国際平和に繋がることを痛感する毎日である。世界中がインターネットで結ばれ、ネットにより瞬時に俳句の交流を行うことができる時代に即応した、新しい国際俳句の基準作りが急務と感じている。

まず、宮地信弘氏の訳をお借りして、いくつか英語俳句を示し、現在のHAIKU(国際俳句)の状況をみておきたい(注1)。

 

  • trapped             回転ドアに

in the revolving door       閉じ込められて

autumn leaves          秋の木の葉たち

(Peter Brady:United States)

  • 3 a.m.              午前3時

the alrport conveyor turning   空港の回るコンベアー

one battered green valise     緑の手提げかばん潰れて一つ

(Marianne Bluger:Canada)

  • child's voice―          子どもの声―

the old dog           老いた犬は

settles lower in its box       箱の中でさらに体を低くする

 (Cyril Childs:New Zealand)

  • scent of hyacinth         ヒヤシンスの匂いが

fills the empty room―       何もない部屋に満ちる

mother's birthday        母の誕生日

(Doderovic(/)y Zoran:Yogoslavia)

  • a leaf              一枚の

patching a hole         木の葉が繕う

in my shoe           靴の穴

(Funda Z(v)eljko:Croatia)

 

 ここでは内容の良し悪しは問わないこととして、論述上、俳句の型に注目してみると、①は二行目で切れて、一物仕立て、②は三段切れで、一物仕立て、③は一行目の「―」で切れを表し、二物仕立て(取合せ)、④は二行目で切れて、二物仕立て(取合せ)、⑤は切れがなく、一物仕立てである。これらの例句で問題にしたいのは、②の三段切れはむろんのこと、⑤のような切れのない句である。

 

(Ⅰ) 国際俳句改革の必要性

俳句は日本の伝統的な詩の一つである。今では世界各地域の言語文化という場で世界化し、また、進化している国際的な文学形式である。現代の世界俳句では、三行書きで、無季(自由季)のHAIKUが優勢であることは否定しようがない事実である。しかし、俳句実作者の立場からすると、俳句の型と本質から外れているように思われる。そうなった原因を踏まえて、いくつか提言を試みたい。

第一に、三行書きにしただけの俳句は形式のみで、三行詩(散文詩)的なHAIKUが標準になっていることがあげられる。HAIKUは三行書きなりという定型意識が強い。それは俳句の型と俳句の特性に対する共通認識が形成されていないからである。

そのために、第二十二回「草枕」俳句大会では、

 

Indra Neil Mekala (India)

starving refugee           餓えた難民の

a hand approaches her mouth     口元に差し出す手には

with a microphone          マイクロフォン一本 

和訳:西川盛雄

 

という句が「草枕」大賞を取っている。この句の場合、時事的な内容を捉えた意味では悪くはない。しかし、一行にしてみると分かることだが、「切れ」がないために単なる報告であり、散文詩的である。「難民」というキーワードの連想力がうまく活かされていない。

そのことは、俳人協会、現代俳句協会、日本伝統俳句協会の支援を受けて設立され、国内外の俳句交流の窓口の役割を果たすべく活動している国際俳句交流協会(Haiku International Association)のHIA俳句大会 の「特選」においても変わりはない。

 

【第二十回(二〇一八年)】木内 徹 選 (和訳共)

Nikolay Grankin    ニコライ・グランキン

(Russia)       (ロシア)

from stars in the sea   海の星から

to stars in the sky    空の星まで

a stone stairway     石の階段が  

 

【第二十一回(二〇一九年)】木内 徹 選 (和訳共)

Francesco de Sataba   フランセスコ・デ・サバタ

(Luxembourg)    (ルクセンブルグ)

old pendulum clock―  古い振り子時計―

caught in a spider net  蜘蛛の巣だらけになっている

grandpa’s fairy tales  祖父のおとぎ話

 

「海の星から」の句は発想が面白いが、「切れ」がないために散文詩的であり、「古い振り子時計」は「切れ」があっても、三段切れにありがちな、言いたいことをただ投げ出している感じで、しかも冗長である。

このように、世界で流通している三行書きのHAIKUは散文詩的で、俳句の型が有効に機能せず、そのために俳句の特性が活かされていない。

俳句の型の基本は「切れ」である。松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水のおと」を句切れなしの「古池に蛙飛び込む水のおと」にすると、平板で、幼稚で散文的な表現になる。ところが、「古池や蛙飛び込む水のおと」だと、「切れ」によって、暗示・連想の効果が働き、複雑で、韻文的な表現になる。「切れ」は散文化を防ぎ、韻文化を促すのである。

俳句の基本型は「切れ」とともに「取合せ」で、本来の俳句の特性を示すことになる。「取合せ」の例として、芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天河」を挙げると、「荒海」と「天河」という二物の「取合せ」で読みの幅が広がり、複雑で、韻文的な表現になる。芭蕉自身が「発句は畢竟取合物とおもひ侍るべし」(森川許六『俳諧問答』)と述べているように、「取合せ」は俳句の本質に関わる問題である。

そこで、俳句の本質であり、かつ型である「切れ」と「取合せ」を取り入れた「二行俳句」を提唱したい。

「切れ」のある「取合せ」の二行俳句の一例を「Haiku Column」から挙げてみる。〔永田満徳評〕〔逐語訳・五七五訳=向瀬美音〕

 

Castronovo Maria カストロノバ マリア(イタリア)

Aurora boreale ―            北のオーロラ

La coda di una balena tra cielo e mare  空と海の間の鯨の尾

                    オーロラや空と海切る鯨の尾

 

掲句は天上のオーロラと海面の鯨との「取合せ」によって、天体ショーを繰り広げるオーロラのもと、鯨が尾を揚げて沈む北極圏の広大な情景が描き出されている。(月刊誌『くまがわ春秋』八月号、二〇一八)

 

Sarra Masmoudi サラ マスモウディ(チェニジア)

palabres électorales~         政治の論争~

le chat remue l'oreille en dormant    猫は寝ながら耳を動かす

                                                              政論や寝る猫の耳動かしぬ

 

狸寝入りしながら、ご主人たちの政談を盗み聞きしている猫を描いているのである。夏目漱石の「吾輩は猫である」さながらの情景であるところがおもしろい。(『俳句界』十二月号、二〇一九)

日本の俳句の翻訳の場合であるが、はやくも俳句の構造上による「二行書き」の問題を取り上げていたのは角川源義である。角川源義は『俳句年鑑昭和四十九年版』(昭和四十八年十二月)において、「俳句の翻訳はほとんど三行詩として行われている。これは俳句の約束や構造に大変反している」として、「私は二行詩として訳することを提案する」と述べ、「俳句の構造上、必ずと云ってよいほど句切れがある。切字がある。これを尊重して二行詩に訳してもらいたい」とまで言って、俳句の本質の面から二行書きを推奨している。「切字の表現は二行詩にすることで解決する」と結論付けることによって、「切れ」(切字)による二行書き(二行詩)を提言していることは無視できない。

とどのつまり、「切れ」と「取合せ」は、二行書きにして初めて明確に表現できるのである。

第二として、HAIKUの基準が曖昧であることがあげられる。世界に通用する「HAIKUとは何か」を明確にするために、「Haiku Column」において、「切れ」と「取合せ」を基本とした「7つの俳句の規則」〔7rules of Haiku〕を例句とともに提示した。〔向瀬美音訳〕

 

1.【取り合わせ】       【TORIAWASE】

〔例句〕永田満徳      〔Example〕Mitsunori Nagata

春近し            near spring

HAIKU講座は二ヵ国語    lecture of HAIKU in two linguages

2.【切れ】         【only one cut】

〔例句〕永田満徳       〔Example〕Mitsunori Nagata

オートバイ          motorbyke on an autumnal path

落葉の道を広げたる      whirlwind of dead leaves

3.【季語】          【season word(KIGO)】

〔例句〕永田満徳       〔Example〕Mitsunori Nagata

百夜より一夜尊し       one night more precious than hundred nighat

クリスマス          christmas

4.【今を読む・瞬間を切り取る】【catch the monent, tell now】

〔例句〕永田満徳       〔Example〕Mitsunori Nagata

春の雷             spring thunder

小言のやうに鳴り始む      beginning like scording

5.【具体的な物に託す】    【use the concrete object】

〔例句〕永田満徳       〔Example〕Mitsunori Nagata

肌よりも髪に付く雨      the rain dropping on hair not on skin

アマリリス          amaryllis

6.【省略】          【omissions】

〔例句〕永田満徳       〔Example〕Mitsunori Nagata

良夜なり           relaxed night

音を立てざる砂時計      sandglass without sound

7.【用言は少なく】      【avoid verbs,adjevtives, adjective verbs as much as possible】

〔例句〕永田満徳       〔Example〕Mitsunori Nagata

春昼や            spring afternoon

エンドレスなるオルゴール   endless music box

 

Haiku Columnでは、最初、説明的で観念的な句が多かったが、「7つの規則」を提示して以来、形容詞、動詞などが減り、具体的なものに託した表現を基調とし、省略された俳句が多くなっている。

例えば、二〇一九年一月十日の「Haiku Column」において、わずか一日だけの投句であるが、どれも捨てがたい句が揃うようになった。「Haiku Column」を立ち上げて三年目の成果であると思っている。〔五七五訳=向瀬美音〕

 

Agnes Kinasih             アグネス キナシ

first light                初明り

mother whispers a prayer of salvation   母は救済の祈りを囁く

中野千秋訳

                    初明り母救済の祈り告ぐ

 

Claire Gardien               クレール ガーディアン

premier amour               初恋

les lettres de fiançailles de son père à sa mère パパからママへの婚約の手紙

向瀬美音訳

                    初恋や父から母へのラブレター

 

Salvatore Cutrupi         サルバトーレ クトルピ

palle di neve-           雪団子

l'inizio di un racconto nato per gioco 物語の始まりはおもちゃのように生まれた

向瀬美音訳

                 雪団子おもちやのやうなストーリ

 

 〔Haiku Column〕への多くの投句から選句・選評した句は、実践報告を兼ねて、二〇一九年一月号から総合俳句誌『俳句界』に「今月の秀句」と題して毎月連載している。

第三に問題とすべきは、季語は日本独特なもので、季節のない国の人々が、季語のあるHAIKUを創ることは困難だという常識である。現代の世界俳句では、無季(自由季)が優勢で、季節が六つある国、二つの国、ない国など様々だから、日本語の季語の本意で外国語俳句を分類するのは無理がある。例えば、フランス南東部の「春風」は寒冷で乾燥した北風であり、同国の「月」は秋ではないし、語源は狂気・不安と通じるという考えである。

これに対しては、そういうことが分かった上で、国際俳句においても「KIGO(季語)」を取り入れることを提案したい。

 

Mohammad Azim Khan(モハメッド アジム カン)      

  〔Pakistan〕      〔パキスタン〕

sunny spot (of winter)            (冬の)陽だまり

 the push of a wheelchair      車椅子の一押し

                         向瀬美音訳

 

sunny spotに(of winter)を補ってみたらどうだろう。身障者の「車椅子」を「陽だまり」の中に押し出し、少しでも温まってほしいという気持ちは「冬」の季節でなければ伝わらない。それほどKIGOの喚起力は強いのである。

向瀬美音氏は、厳選した四五〇の英語、フランス語のKIGOを自ら編集し、これらのKIGOにAnikó Papp氏のKIGOの説明を添えた「KIGO HAIKU」を「Haiku Column」上で募集している。

季語を使った「魔法の取合せ」として、次のような二通りの作り方を提示している。この型は「切れ」と「取合せ」がはっきりし、二行俳句が作りやすいという利点がある。

① 一行目は季語

   二行目は季語とは関係のない言葉

② 一行目は季語とは関係のない言葉

   二行目は季語

この「魔法の取合せ」を使った指導は熊本市国際交流会館の企画のもと、「~HAIKU is two lines~」として、外国人対象の初心者HAIKU教室で実践している。

 

이로리의 냄새            囲炉裏のにおい

할머니의 미소            おばあちゃんの微笑み

 

Falling snow             雪が降る

  Waking by the river with lantern light ちょうちんを持って川を歩く

   

Un champs de fraises         苺畑

Le sourire sur ton visage       おまえの顔に笑顔

 

このように、初心者といえども「切れ」と「取合せ」を用いると、日本の俳句におさおさ劣らない句を作ることができるのである。

 〔Haiku Column〕で募集しているKIGO HAIKUは、二〇一九年一月から総合俳句誌『俳句四季』に季語五つに例句三句を添えて、「Today's KIGO(今日の季語)」として、毎月連載できるほどになっている。月刊誌『俳句四季』三月号(二〇二〇年)に掲載した、次のKIGO「毛布」に例句三句はその一例である、〔向瀬美音訳〕

 

毛布 もうふ moufu / blancket / couverture

 

Zamzami Ismail  ザザミ イスマイル

[Indnesia]       [インドネシア]

blancket

the warmth of a baby sleeping soundly in its cocoon

ぐつすりと眠る赤子や毛布掛く

 

Veronika Zora   ヴェロニック ゾラ

〔Canada〕    〔カナダ〕

blankets and chairs

a castle of children's laughter

子の笑ひ毛布と椅子を占領す

  

Daniela Misso      ダニエラ ミッソ

〔Italy〕         〔イタリア〕

stretti stretti -

una coperta per tre insieme al gatto

ぴつたりと猫も一緒の毛布かな

 

この取り組みによって、季節のない国からもKIGOのあるHAIKUが多く投句されてきており、俳句は「KIGOの詩」という認識が世界で広まっている。

今後は、世界各地域の独特の本意を持つ季節性の言葉を季語として扱い、それについて詠まれた句を収めた「歳時記」であるとともに、同じ季語の地域・言語ごとに異なる本意本情を説明した上で、各国の句を細かく分類した「歳時記」の作成が望まれる。その突破口として、向瀬美音氏が二〇二〇年三月二十五日に『国際歳時記』の第一弾として、五七五句の例句を揃えた本格的な季語集『春』を刊行したことを特筆しておきたい。

『国際俳句歳時記』(朔出版)

最後に、第四として、原句に忠実なあまり、原句の良さを損なってしまいがちな和訳の問題がある。

向瀬美音氏は日本語訳の改善に着手している。「7つの規則」と「KIGO」の提供により、フランス語を例に言えば、最大で十五シラブル以内のHAIKUが増えてきていて、十五シラブル前後のHAIKUなら量的にもほとんど日本の俳句に近く、五七五の十七音に簡単に和訳できる。

 

Jeanine Chalmeton ジャニン シャルメトン

〔France〕     〔フランス〕

de bon matin le lever du jour printanier

le chat s'étire

春暁やゆつくりと伸びをする猫          向瀬美音訳

 

この句のように、表現、内容ともに日本の俳句に匹敵するHAIKUが出てきている。

 

Evangelina    エヴァンジェリナ 

[Indnesia]  {インドネシア}

   first dusting of snow

each image relates to a memory from my past

機関誌『HAIKU』(朔出版)

     初雪や過去の記憶を呼び覚ます         向瀬美音訳

五七五の十七音の和訳は、HAIKUをただ単に日本の俳句の五七五の十七音に当てはめただけではなく、HAIKUの真価を再現するものであり、国際俳句の定型化に一歩近づくための有効な手立てであることを強調しておきたい。

注目すべきは、東京大学名誉教授、元日本比較文学会会長の井上健氏が「国際俳句改革の方向性はまた、翻訳研究(Translation Studies)における等価性(equivalence)の議論、言語や形式の変換を越えて、いかにオリジナルの本質や価値が伝わりうるかという命題に、見事に重なり合う」と述べ、翻訳研究の面で五七五の十七音の和訳の試みに理解を示したことである(注2)。

日本語訳の改善の試みによって、「Haiku Column」の国際俳句改革は一つの大きな到達点に辿り着いたという感が強い。

これらの新しい国際俳句の試みは、機関誌『HAIKU』(朔出版)のVol.1からVol.5で紹介され、今年八月一日に出版されたVol.5号では、世界中から一五〇人が参加して、総ページ数は五五〇ページを超える。

 

(Ⅱ) 「華文俳句」の活動

華文圏(中国語圏)の俳句と言えば五七五の音律を中国語にそのまま取り入れた定型の「漢俳」という新詩体がある。漢俳の創始者の一人である林林でさえ、日本の俳句との違いを自覚して、中国語は一文字で意味を多く含むものであるから、漢俳はくどいという誹りを免れないと述べている。詩人の詹冰は俳句の定型を三四三に縮めた「十字詩」を提唱するなど、中国語俳句の模索が続いている。「漢俳」にしろ、「十字詩」にしろ、日本の俳句の型と俳句の特性を理解していないことで共通している。

そこで、東北公益文科大学教授の呉衛峰氏、台湾詩人の洪郁芬氏を中心として、マレーシア詩人の趙紹球氏、台湾詩人の郭至卿氏の四人が二〇一八年にFacebookグループ「華文俳句社」を立ち上げた。華文俳句社は華文圏の俳句を「華文俳句」と名付け、俳句大学と同じ理念に基づいて、日本の俳句の型と俳句の特性である「切れ一つ」と「取合せ」の二行書きの俳句を華文圏に提唱している。華文俳句社は、日本の俳句大学とその国際学部「Haiku Column」とは独立・連動して活動している点で注目に値する。

華文俳句の在り方として、「切れ」と「取合せ」を取り入れた二行俳句と連動し、六つのルールを設けている。

①俳句にタイトルはない。二行に書く。  ④今を詠む。瞬間を切り取る。

②一行目と二行目の間に「切れ」がある。 ⑤具体的な物を詠む。

③一句の俳句に季語一つを提唱する    ⑥語数は少なく。(簡潔に)

ということで、例としては、

 

  郭至卿

拄著柺杖的老人          杖で立つ老人 

聽到北風         北風吹く

 

盧佳璟

玄關丟下的書包        玄関に放り投げたランドセル

暑假開始              夏休みの始まり

 

などの句がある。華文俳句の二行俳句は詩的完成度が高いと言わなければならない。

熊本大学大学院教授の西槇偉氏は、「二行詩としての「華文俳句」の試み――『華文俳句選』を読む」と題して、同書の書評を行なった中で、漢俳の選集より秀作を数首選び、趙朴初の漢俳を一例として、

 

看尽杜鵑花     看尽す杜鵑(つつじ)の花

不因隔海怨天涯   海を隔つるに因って天涯を怨まず

東西都是家     東西都(すべ)是(て)家なり

和上いまつつじを看尽くしておはす(訳・津根元潮)

 

を挙げ、その読み下し式の逐語訳に触れながら、俳句の表現が漢俳の定型では表しがたいことを確かめた。

ここで確認しておきたいことは、漢俳に付された和訳は原句とはかけ離れ、訳者の俳句になっていることである。日本の五七五の十七音に近づけようとするあまり、原句の内容から逸脱してしまっている。あくまでも原句を忠実に生かす和訳でなくてはならない。日本の俳句を外国語に翻訳した好例として、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水のおと」のラフカディオ・ハーン訳「Old pond / frogs jumped in / sound of water」の簡潔な表現の良さを挙げておこう。

それはさておき、さらに、西槇氏はこれまでの漢俳に対して、『華文俳句選』は別天地を切り拓くものとして、

 

洪郁芬

相擁和相撞       寄せ合ひぶつかり合ふ

鐵路的小蓬草      鉄道草

 

趙紹球

無星夜         星無き夜

花瓣撲向酒杯      酒グラスに飛び込む花びら

 

呉衛峰氏

手夠不到閙鐘      目覚まし時計に手が届かない

春暁          春のあけぼの

 

永田満徳

犀牛角         犀の角

來頂撞人世的春天罷!  この世の春を突いてみよ

 

などを評釈し、二行による華文俳句の可能性を評価したのである(注2)。

呉衛峰氏は、このような華文俳句の「二行」の実践は漢俳など「三行で書けば俳句」という安易な考え方と一線を画し、区別化を図るための戦略でもあり、詩型として定着するかどうかは実験の段階であるとの考えを示している(注2)。

華文俳句社は出版活動もさかんで、『華文俳句選』(二〇一八・九、醸出版)のほか、個人句集としては、洪郁芬氏が『渺光之律』(華文俳句叢書№1、二〇一九・一〇、醸出版)、郭至卿氏が『凝光初現』(華文俳句叢書№2、二〇一九・九、醸出版)を次々に刊行した。主な活動としては、中国「流派」詩刊、香港「圓桌」誌刊、台湾「創世紀」詩刊などの投稿欄に華文俳句を投句し、今年一月からは月刊誌『俳句界』に華文俳句の秀句を連載している。

『華文俳句選』

「歳時記」の出版も華文俳句を根付かせるためには必要不可欠である。その点、中国は古来より季語があって、雪月花の題などは日本が輸入した方である。欧米語と違って日本語俳句に近い使い方ができる。むろん、華文圏の国土の異なる季節性をどう捉えるかという問題は存在するものの、すでに華文俳句社の主宰の洪郁芬氏が華文俳句の作例も収録した「華文俳句歳時記」の編纂を始めていて、二〇二〇年の出版を予定している。

これらの活動によって、二行俳句に対する理解が深まり、さまざまなジャンルを持つ華文詩の中で華文俳句が広まり、定着することで、華文詩界を一層豊かにすることが期待される。

 

(Ⅲ) 今後の課題

1 広報活動

広報活動を強めるために、今後とも機関誌『HAIKU』の発行を続けていきたい。また、『俳句界』『俳句四季』などの総合俳句誌への連載も重要な広報活動である。

2 「Haiku Column」の運営スタッフの負担の軽減

冊子の刊行等には、作業面でも、資金面でも、特に向瀬美音氏の個人負担が重く、運営を継続していくには限度がある。他団体、例えば国際俳句交流協会などとの連携や協力を求めることも考えている。

 

(Ⅳ) 今後の展望

1 二行俳句の推進

三行俳句でも「切れ」と「取合せ」が存在する句もあるので、二行に拘りすぎなくてよいようだが、「二行俳句」は、「切れ」と「取合せ」を明確に唱導し、浸透させるためのスローガンであり、標語であるので、形式だけの三行書きをたやすく容認するわけにいかない。

2 国際俳句への〈果敢な試み〉

世界俳句において、日本の俳句の受容のあり方はそれぞれ異なる。三行書きという形式を不可欠要素として受け入れるか。それとも、俳句の本質である「切れ」と「取合せ」による内容の真価をとるか。いずれにしても、「俳句とは何か」という根本問題を避けて通れない(注3)。

世界俳句の泰斗である東京大学名誉教授の川本晧嗣氏は『華文俳句選』(既出)の序文において、俳句の国際化を紹介したのち、「本書の作者たちは、現代中国語で「華文二行俳句」の創作を試みている。季語のある二行書きで、俳句の「切れ」と「取り合わせ」を取り入れて、五七五の定型にこだわらず、俳句美学の本質を中国語で表現しようとしているらしい。一年間の試行錯誤もあったようだが、創作者と読者が今後、どんどん増えていくことを願っている。この果敢な試みを心から応援する」と心強いエールを送っている。

「切れ」と「取合せ」を取り入れた二行俳句の〈果敢な試み〉が俳句の国際化において大きな実を結ぶことを願ってやまない。

 

〔注〕

1 宮地信弘「英語俳句試論(Ⅰ):日本語俳句の受容と展開」(『三重大学教育学部研究紀要第59巻』二〇〇八・三・一)

2 令和元年十二月十四日(土)、熊本大学において、ラウンドテーブル「華文俳句の可能性」(中国語圏における俳句の受容と実践に関する比較文学研究)のテーマで講演及びパネルディスカッションが開催された折のパネリストとしての発言。本ラウンドテーブルは科学研究費補助金「中国語圏における俳句の受容と実践に関する比較文学的研究」(研究代表者・呉衛峰)の助成を受けている。また、特別レポートとして、『俳句界』三月号(二〇二〇、文学の森)に掲載されている。

3 呉衛峰「中国語俳句の可能性――華文二行俳句の実験を中心に」(『東北公益文科大学総合研究論集第三十五号』(二〇一八・一二・二〇)

 

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Haiku Column:「国際歳時記」発行に向けた[Haiku Column]の取り組み

2018年11月29日 01時03分17秒 | 国際俳句
月刊『俳句界』12月号!

〜12月25日発売〜

【特集】
特集「美しい日本と俳句」
テーマ:外国語からみた美しい日本
題:「国際歳時記」発行に向けた[Haiku Column]の取り組み
報告:俳句大学国際学部講師・向瀬美音


「国際歳時記」発行に向けた[Haiku Column]の取り組み

俳句大学国際俳句学部のFacebookグループ[Haiku Column]を立ち上げて三年目になる。私は責任者として[Haiku Column]の管理をしている。[Haiku Column]では三行書きにしただけで散文的なHAIKU(国際俳句)が流通していることに危惧を覚え、俳句の本質かつ型である「切れ」と「取り合わせ」を取り入れた二行俳句を提案してきた。
2018年7月現在、参加メンバーは1500人を超えて、一日の投句数は200句を下らない。世界中の人と毎日句会をしている感じである。言語もフランス語、英語、イタリア語と多様である。投稿されてくる国も、フランス、イタリア、イギリス、アメリカ、チュニジア、モロッコ、アルジェリア、インドネシア、インド、台湾と多様である。瞬時に交流できるFacebookという国際情報ネットワークの恩恵を受けている。また、私は毎年フランスに行き、海外の俳人と交流を図っている。今年はマブソン青眼氏のフランス講演に参加し、[Haiku Column]のメンバーとともにパネルディスカッション、食事会を共にした。日本の俳句の国際化と行き詰まったフランス俳句界の未来について語り合い、HAIKUによる国際交流の大切さで意気投合した。
私は毎日、[Haiku Column]に投句される作品をすべて読み、「切れ」があるものや「取り合わせ」が良くできているものを訳している。俳句大学学長の永田満徳氏はその訳を参考にして選び出し、「daily best 3 Haikus」と題して[Haiku Column]に発表している。さらに、永田氏はHAIKUの基準を明確にする目的で「7つの俳句の規則」を提示した。これらの試みによって、初めは説明的で観念的なHAIKUが多かったが、最近は形容詞・動詞などが減ってきて、省略の効いたものになってきた。具体的なものに託し、読み手に任せるという形になってきている。時々ハッとさせられるものに出会い、日本人には絶対思いつかない新鮮な感性のあるものに驚かされる。そういう時はHAIKUの醍醐味を感じる。
さて、私は世界に通用する季語を400厳選して英語、フランス語に編集した。[Haiku Column]ではこれら季語を紹介するために、「We will challenge KIGO」と題して、季語を使ったHAIKUを毎日募集している。季語だけでなく、季語の本意を添えて提示するようになってからメンバーの関心がとみに増して、一日で250句ほどの句が集まる。ほとんどのHAIKUに季語が入るようになった。季節のない国もあるので季語は無理かと考えていたが、インドネシアの俳人の投句が多く、俳句は季節の詩という認識が世界で広まっているのを感じる。今後は「We will challenge KIGO」の秀句を例句として「国際歳時記」を出版するつもりである、
[Haiku Column]では機関誌『HAIKU』(朔出版)を出している。2017年7月発行の創刊号にフランス語圏、イタリア語圏、英語圏の55人が参加した。同年12月発行の2号では91人が参加した。また、2018年5月発行の3号では96人が参加し、320ページを数える。これまでの機関誌『HAIKU』は自選10句とメンバー自身による一句鑑賞とエッセイが主であったが、12月発行予定の4号では「国際歳時記」の第一段として〔夏〕を載せたいと考えている。
最後に、永田氏が[Haiku Column]から選び、月刊誌「くまがわ春秋」(人吉中央出版社)に掲載している秀句を並べてみよう。

Castronovo Maria

aurora boreale -
la coda di una balena tra cielo e mare
【美音訳】
カストロノバ マリア

北のオーロラ
空と海の間の鯨の尾

Joëlle Ginoux-Duvivier

retour de chasse -
le hameçon de lune épinglé au nuage
【美音訳】
ジョエル ギヌーデユビビエ

狩の帰り
雲の中の釣り針のような月

Sarra Masmoudi

solstice d'été
la queue du chaton dépasse du bac de menthe
【美音訳】
サラ マスモウディ

夏至
猫の尻尾はミントの花壇を越える


向瀬美音(むこうせ みね)
1960年2月5日生まれ
上智大学外国語学部卒業
『HAIKU』(朔出版)発行人兼編集長
上智句会会員、「舞」会員
日本伝統俳句協会、俳人協会、国際俳句交流協会、フランス語俳句協会(AFH)会員
国際季寄せ(朔出版)、句集「詩の欠片」(朔出版)

「俳句界」12月号特集掲載

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