永田満徳第二句集『肥後の城』を読む
―傷つきし郷土の詩(うた)としての俳句―
寺澤 始
永田満徳さんの第二句集『肥後の城』は、郷土色豊かな句集である。黒を基調とした熊本城をモティーフとした瀟洒で渋いカバーがまず印象的だ。私も平成八(一九九六)年から十二年、熊本に住み、美しい熊本城の見えるこの街の風景を愛した。
永田さんは、私を俳句の世界に導いてくれた大恩人であり、『火神』と『未来図』の先輩でもある。熊本城周辺を共に吟行したり、句座を共にしたり、共に飲んでは文学論を語ったりしたことなども今では懐かしい想い出だ。
本句集は「城下町」「肥後の城」「花の城」「大阿蘇」の四部構成からなっている。どの章のタイトルも熊本を強く意識したものだ。句集最初の方、「城下町」からの一句、
水俣やただあをあをと初夏の海
水俣の海は、たいへん豊かで美しい。しかし誰もが知っているように水俣の海は、公害に苦しめられた悲劇の歴史を持つ。日本の高度経済成長とともに苦しみの歴史を負った〈水俣〉の地名と〈あをあをと〉輝くばかりの〈初夏の海〉の対比が、一句に重みを与え、詩としての深みを増す。これは後程書くが、熊本地震や九州豪雨の句とも共通するいわば、「傷つきし郷土の詩(うた)」なのである。
月光や阿蘇のそこひの千枚田
阿蘇の美しさを見事に詠んだ一句。阿蘇に行ったことのある人なら誰もが心の中に思い浮かべる風景だ。〈月光〉と〈そこひ〉の取り合わせが静謐さを駆り立てる。
衣擦れのして運ばるる夏料理
何という風流な雰囲気の句だろう。郷土の食材をふんだんに使った夏料理が衣擦れの音とともに運ばれてくる。永田さんの句集を読むと、熊本の美しい風景が自然と心の中に蘇ってくる。阿蘇の雄大な自然、水俣や天草の青々とした海、それは長年に亙り、人々や自然を包み込み、郷土の文化や歴史を養ってきた雄渾な原風景である。しかし、そんな美しい自然の風景もただ美しいだけでは済まされない。平成二十八(二〇一六)年四月十四日と十六日、震度七の熊本地震が発生し、大きな被害をもたらし、熊本城も崩壊。永田さんも被災者となる。私自身、地震の後、何度か熊本を訪れた。長年慣れ親しんだ風景が、失われているのを見て愕然としたことを覚えている。
曲りても曲りても花肥後の城
「肥後の城」より。この句はおそらく震災前の句であろう。熊本城は桜の名所である。私も地震の前年とさらにその翌年、息子を連れて熊本城を訪れた。特に震災後に訪れた時は、石垣は大きく崩れ、城のあちこちが激しく破損していたが、桜の花が昔と変わらずとても眩しかったのを覚えている。
こんなにもおにぎり丸し春の地震
同じく「肥後の城」より「熊本地震 十四句」の中の最初の一句。避難所で配給された〈おにぎり〉であろうか。その丸さにしみじみと感じ入るところに永田さんの被災者となった不安な思いを読み取ることができる。
「負けんばい」の貼紙ふえて夏近し
新緑や湯に流したる地震の垢
骨といふ骨の響くや朱夏の地震
本震のあとの空白夏つばめ
こちらも「熊本地震 十四句」から。これらの句は、俳句であると同時に、熊本地震の被害を伝えるルポルタージュ的な意味を持つだろう。鴨長明の『方丈記』が、地震や災害の被害を伝えるルポルタージュであったように。俳人が当事者として、熊本地震をどのように捉えたかというところに大きな意味がある。たとえば〈骨といふ骨の響くや朱夏の地震〉は、地震の恐怖を実感として生々しくリアルに伝えている。また、〈本震のあとの空白夏つばめ〉は、〈夏つばめ〉に一縷の希望を託した。
復興の五十万都市初日差す
熊本の町は徐々に復興の兆しを見せていくが、自然は人間に対して、またしても容赦なく牙を剥く。令和二(二〇二〇)年七月、九州地方をひどい豪雨が襲う。
一夜にて全市水没梅雨激し
出水川高さ誇りし橋流る
梅雨出水避難の底にぬひぐるみ
むごかぞと兄の一言梅雨出水
衝撃的な実感の籠った句群である。〈出水川〉の句には、「※高校の通学路であった『西瀬橋』」との注がある。この豪雨では、球磨川が氾濫し、永田さんの故郷である人吉市も甚大な被害を受けた。傷ついた故郷を目にすることは、どんなにか辛い思いだったことだろう。
第一句集『寒祭』以降の平成二十四(二〇一二)年から本句集が出る令和三(二〇二一)年までの十年足らずの間に、永田さんは「熊本地震」と「令和二年七月九州豪雨」という二つの大きな災害を経験している。
城といひ花といひ皆闇を負ふ
水俣・阿蘇・球磨川…どんな美しい故郷の風景にも、人々の悲しみや苦しみの歴史がある。
天高し浦に潜伏キリシタン
天草も然り、キリシタン弾圧の歴史がある。永田さんの第一句集には自分自身を見つめた句があり、自身の「闇」をしかりと見つめていたことが分かる。物事には、「光」があれば「闇」がある。今、放送されている朝の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』に「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある」という黍之丞のセリフが度々登場するが、まさに永田さんの俳句は、「暗闇でしか詠めぬ俳句」なのであろう。人生の暗闇や災害の歴史、悲しみの歴史という暗闇に光を当てることで、見えてくる美しい故郷の風景や思いというものがある。永田さんの『肥後の城』には、そんな傷つきし郷土を見つめる優しい眼差しと詩情がある。だから単なる叙景にとどまらず、大自然の中で、あるいは風土の中で、懸命に生きようとする人間の姿がある。
また、永田さんの句には、「鯉」や「鯰」などの生き物を優しく見つめた句が多いのも特徴だ。
最後に共鳴句を十二句あげて筆を擱くこととする。
冬籠あれこれ繋ぐコンセント
花筏鯉の尾鰭に崩れけり
蝌蚪生まるどれがおのれか分かぬまま
居住地が震源地なる夜長かな
灯を点けて常の机や漱石忌
春昼やぬるんぬるんと鯉の群
ひたひたと闇の満ちくる螢かな
白鷺のおのれの影に歩み入る
この町を支へし瓦礫冴返る
時に住む時計店主や鳥渡る
ひとしきりけむりて阿蘇の山眠る
大鯰口よりおうと浮かびけり
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