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朝は曇って居ましたが、次第に晴れて暑くなりました。
そよと風も吹きません。
戦後65年、子供の時代の疎開先を思いだしました。
午後腰のリハビリが済んでこの地を見に行って来ました。
今は同じ市になっていますが、当時は大賀茂と言うでした。
道路は未舗装、道路脇には民家は数えるほどでした。
道は緩い登り、道の側は田圃です。今で言う棚田、ゆるい棚田は上から順番に水が流れて
居ました。
私の疎開した家は大賀茂原と言う屋号です。
これが訛って、おおがんばら、と呼ばれていました。
道路から坂を少し登った所に建って居ました。
住まった家は昔、蚕を飼った跡の建物でした。
およそ八畳ほどの部屋が一つ、使わない囲炉裏を切ったやはり八畳くらいの部屋が
有りました。ここに当時、親子6人と家財を入れて住んでいました。
井戸は有りません。トイレは大家と共同使用で屋外に有りました。
水運びは私の仕事、毎朝バケツを2個、天秤棒の両端に付けて水瓶が一杯になるまで運びました。
台所はつっかい棒のような柱を立て、古トタンを乗せていました。
男は小便は戸外です。
戦争が終わってこの家を尋ねたことは有りません。
今日その場所へ行って見ました。
まるきり様変わりして、家に登った道も無くなっていました。
道路脇には新しい住宅が建っています。
写真の車の止まって居る辺りが登り口?
ハッキリ分からなくなっていました。
この大家は家が絶えたと聞いています。