sdaruの日記

日々の色色な身の回り事を書いて行きます。

新旧

2009年11月14日 | Weblog

今日は雨、風もあります。
昨日の旧画像、ファイルサイズが大きくて見難い方も有ったかと思います。

今日は気をつけます。
河口ですが、家屋が増え、俯瞰できる場所の地形が変わったので、同じ場所か?

はっきりしません。
それでも河口についている船舶の違いは分かるかなと思っています。

60年、やはり時の流れを感じました。

遠景ですが、橋が二つになっています。
明日も新旧を続けます。

カメラも違います。今はデジカメ、特に広角レンズでは無いカメラですが。
古いカメラは何か分かりませんが、昭和20年代、日本のカメラの勃興期でした。

新旧対比

2009年11月13日 | 日記

今日も曇りで少し肌寒い日です。
先日、当市のミュウジアムで昭和20年代の写真を見てきました。

20年代と言っても、具体的な年は分かりません。
最近はテレビで、昭和を回顧する番組が増えています。

昭和1桁生まれの私には、まだ回顧するのは無く、まだ現在です。
地元の60年前の写真と今の写真を比べると違い大きさに驚きます。

上の写真は現在です。
冒頭の写真が60年余前の写真です。
係留してある舟も違います。
古い写真の右手にはドックがありました。

現在は公園になっています。
やはり60年ですね。

今日もはっきりしない空。

2009年11月12日 | 日記

今日も空模様ははっきりしません。
一昨日だったか?夜半に強い雨が降りました。

昨日です、何時もは波だって流れることの無い川が茶色くなり波だっていました。
写真を写した時には雨は降っていません。

天城山系では大分強い雨が降ったのでしょう。
今日のニュースで報道されました。

国道135号で道路陥没、通行止めと。
此処も天城山系の影響を受ける道路です。

道路下の土が流れたとのことです。
直接の原因は、過日の駿河湾地震のため地下の下水道管が壊れた?

と言っていますが、確たる原因の報道はありませんでした。

当地の城

2009年11月11日 | 日記

ロープウエイを見物した次の日です。
大海産物展と言う催しが有りました。

どんなものか見物に行って来ました。
大道芸、地元バンドの演奏、色々な売店が並んでいました。

結構人は出ていましたが、この人達、街中には来ません。
イベント会場で終わりです。

ついでに当市道の駅になっているベイステージに寄りました。
入場の料金は普段の半値以下です。

入ると、下田城の模型があります。
400年余前に存在したと言う城、山城です。

現在は木々が生い茂り、建物の跡は全くありません。
遺構といわれる場所は、現在紫陽花が植えられています。

海岸に沿った山は、絶壁になっています。
これらに、空堀があったと言われていますが、ガイドの説明を受けてふーん?
の状態です。

この城を復元しようと言っている人達が居ます。
写真がその城の想像図です。
私は復元は難しいのではと考えています。

降りの道

2009年11月10日 | 日記

愛染堂から下りの順路に入ります。
陽射しを受けた家族の影法師を見ながらです。
大小の影法師を追います。

下る右手を数段上ると、当地の生んだ下岡蓮杖の記念館があります。
上野彦馬と並び、営業写真館を最初に関東で始めた人です。
彦馬は幕末から明治に掛けて活躍した人を写しているようですが。
蓮杖は、写真の技術をヒュースケンに学んだと言われています。
以前この記念館に入ったことがあるので入り口だけ、パチリです。

入り口の横に懐かしい名前の書かれた小さなベンチが見えます。
今はこのフィルムはあるのでしょうか?

さらに下ります。
見張り所跡と言う場所に出ます。
画面には有りませんが、右手に小さな小屋があり、見張り番の人形が入っています。

此処を下ると元の見晴らし台に着きます。
さーロープウエイの下りへと向かいますが、下りる人が多く順番を待って
一休み、最初の写真が順番を待つ人達、後から後から続きます。
2回待って、先頭を確保して下ってきました。

さらに登る。

2009年11月09日 | 日記

今日も好天です。
一休みしてさらに登ります。
急坂ではないので、さほど辛くはありません。

途中で湾内の写真を写しました。
霞んでいますが遠く太平洋が見えます。
画面中央に小さく見える白い棒は爪木の灯台です。

さらに登ります。
愛染堂が見えてきました。
冒頭の写真にこれを建てた説明があります。
これを見ると、ロープウエイはくだりの順路になります。

参拝する人が続いています。

歩き始めた。

2009年11月08日 | 日記

朝のうちは薄曇、今は晴れてきました。
登り始めました。階段の坂道、一寸段差が高く気をつけて登りました。

先行する人達もゆっくり登っています。
左手には花が咲き、右側ゆるい崖、下から子供の声も聞こえます。

やがてリトルエンジェルの花が見えました。
つい最近植えた花だとか、町中にもあちらに一鉢、こちらに一鉢散見されます。

なお登ります。
中間の展望台に出ました。観光客の人が居ます。

ああ綺麗と言う声が聞こえます。
写真に写らない、左隅では食事をしている一団も居ました。

私には何回も見慣れた風景。
この一団を横目に見てなお上に登ります。

ロープウエイ

2009年11月07日 | 日記

今日は朝のうちは少し肌寒い感じがしましたが、日中は好天で暖かくなりました。
当地のロープウエイで、特別のサービス、地元の人は只になりました。

これは良いと、午後から出かけました。
便乗したのは私だけでは有りません。

何回か見慣れた景色、普段はお金を払って見る気はないのですが。
只です、天気も良いので出かけました。

上りきると中間の見晴らし台があります。
目の下に案内板が見えます。

左を見ると、港湾整備のためのケーソン作成のフローティングドックが
見えました。
中央に見える青色の箱が、そうです。

観光客も結構来ていました。
子供の賑やかな声も聞こえます。
2,3日はこのときの写真載せて行きます。

変わった?

2009年11月06日 | 日記

家の前の商店の入り口に花が置いて有ります。
今朝見たら、3日くらい前と少し変わったかなと思ったのですが。

前の写真と比べたのですが、良く分からないんです。
少し花が増えた?

一番良いのは並べて見るですね。
並べます。どうでしょう?
上が今日です。

航海日誌を書いたので。

2009年11月05日 | 日記

数日間の間、航海日誌を書いていたので、さてこの後は何を書くのか
考え込みました。
ここ数日は涼しいより、寒いになりました。

今日は陽射しは全くありません。
それでも机上の温度計は19度、寒くてたまらない気温ではないのですが。

片つけるのが面倒で足元には小型の扇風機が出ています。
そうだ、昨日孫を市営プールへ送り、側にある市営グランドのウオーキングコース
を廻りました。

見たことのない花?が咲いていました。
帰ってきて、画像をパソコンに取り込み、画像を改めて見ましたが分かりません。

多分花だと思うのですが、自称、花音痴では写真を写すだけで終わりです。

航海のまとめ。

2009年11月04日 | 日記

航海日誌などと言って書きましたが、乗艦時間は8時間です。
どうしてこのような機会を得たかと、別のサイトで聞かれました。

乗艦機会は少ないらしいのです。私はそれほど機会が少ないとは全く知りません。
きっかけは3年以上前に遡ります。

弟に娘が2人あります。私の姪ですが、上の姪が富士登山に行きました。
下山の途中、濃霧にあい下山路が分からなくなり道に迷いました。

この時、後から下山してきた海自のグループに会ったそうです。
グループは完全装備で下山の途中でした。

困惑している姪を見て、濃霧の晴れるまで保温、などの面倒を見てくれたそうです。一つ間違えば、遭難、一命にかかわります。

これを聞いた、弟夫婦、厚くお礼を述べ、何かしら送ったようです。
姪もお礼をしました。

これを機会に海自グループのリーダーと交際が始まり、季節の品などを贈った
たらしいのです。

そのお礼にと、前回の観艦式の乗艦券を送ってもらい、弟夫婦、姪は観艦式を
見学し、また感激して贈り物をしたそうです。

今回は予期していなかったのですが、姪に当ててまた乗艦券が2枚送られたそうです。同行者を探していた弟、2人に声を掛けたそうです。

2人の人、都合が出来ない、それが私のところへ廻ってきたのです。
私も予期しないことででした。

腰の不調、金銭のことなどでしばし迷いました。
それを後押ししたのは女房です。

思い切って参加することにしました。
これが金曜日、出発は土曜日、慌しい準備、何も分からない私は弟に色々聞きました。

横浜へ着くと夕方、妹の方の姪が来ました。
私たちのナビゲーターをし、私の体を気づかって呉れました。

女房、弟家族、私の体調を気遣ってくれた者たちに改めて 有難うを言います。
初日に見学したヘリ空母、ひゅうがのパンフレットの表紙を載せます。

全長、およそ200メートル、14750トンの新鋭艦と有りました。
この艦は横浜港に停泊していて、乗艦の券は不要でした。

次は航海で乗艦した ゆうばり です。
この艦名は旧海軍から引き継ぎ、2代目だそうです。
1470トン、戦前で言えば駆逐艦に当たるようです。

観艦式の写真らしく、舷側では乗員の敬礼の姿が見えます。
次は ゆうばりの艦内の見取り図です。

私達は初め、右舷の雨の当たらない場所に居ました。
観艦式の準備で、この右舷から魚雷発射管の側の煙突下の甲板に移動しました。
上部は高甲板と言うか、射撃指揮装置ある甲板の側です、この甲板には急勾配の
階段がありました。

この場所、風が時折吹き抜けます。吹き抜ける風は右、左一定しません。
乗員、見学者を含め300人近くが乗艦していたと思われます。

細かい人数の発表はありません。
私の勝ってな推測です。私の乗艦券のナンバーが173でしたから。

乗員の定員は90人とありました。
非日常の体験、帰って考えると貴重なものです。

憲法、軍備反対の声は知っています。
近い国には、歴史上争った国もあります。

現在国交の無い不安な国も有ります。
見学して現在の日本の海軍力の一部を見ました。

これで安心、不安の議論は置いて、乗艦している水兵には
子供の顔のような人もいました。

鍛えれているのでしょう、狭い通路を何も摑まることなく移動する姿には
心に響くものがありました。

徴兵では有りません。
個々の意思で来ている若者です。

大雑把ですが感想を記しました。
最後に最初の画像、前回姪たちの乗った時の航海の様子です。

私のアップした画像と比べてください。
陸では余り感じない天候でも、海は全く違った様子を見せます。

帰港

2009年11月03日 | 日記

今日は文化の日、各地で色々な表彰があるようです。
艦はいよいよ帰港の航路になったようです。
しかし、風に変わりはありません。
視界が悪いのではっきりしませんが、隊列の間隔が違ってきました。
各艦、所属の母港へ向かっているのでしょう。

それでも風は強いので、艦橋に毛布を敷き蹲って過ごします。
艦は出る時と逆に進んでいるようですが?やはり良く分かりません。
やがて波も風も静かになりました。
気が付くと先に帰港した艦の後尾が見えます。

艦はゆっくりと動いています。エンジンの音も静かです。
先着の艦尾が良く見えます。

湾内は静か、どのように接岸しているのか?
岸壁に人が見えます。

静かに着岸しましたが、なかなか下船できません。
並んだ艦と私の乗った艦の上で乗員が忙しく動いています。
先ず先着の艦の見学者が下船します。
やっと私たちの艦の見学者の下船が始まりました。
あたりは夕闇が漂い始めます。
弟は最後の方に降りてきました。
これから少し忙しなくなります。
着ていた合羽を脱ぎ、トイレへ駆け込みます。
売店があると言うので駆け込みます。
話に聞いた、海軍カレーを買うと、ゲート閉鎖に間に合うように急ぎます。
居並ぶ自衛官が、ご苦労様ですと口々に言います。
後ろを振り返ると見学者は誰も見えません。
私達が最後のようでした。
ゲエートを出て、そこでさあどうするになりました。
私の体を心配する弟はもう一泊と言いますが、私は帰路を急ぎました。
タクシーで横須賀の駅へ向かいます。
電車に乗り、横浜へ。
以後の電車の連絡誠に順調です。
駅で待つ時間も殆ど無く、初め考えた時間より1時間早く帰宅できました。
家に着くと、女房が色々と聞きます。
出発から帰宅までを順を追って話、11時過ぎ就寝。
これで私の航海は終わりました。
翌日、弟達が私の体調を気遣ってくれましたが、全く変わりはないと話しました。


航海は続きます。

2009年11月02日 | 日記

航海はまだ続きます。
時計を見ると12時は過ぎています。
突然音がしました。
後続の艦から何か物が飛んで行きます。
何か分かりません。彼方に波柱が立ちました。
後続の艦は岸壁で並んでいた、同型の艦のようです。

三角波は高く、風も吹いています。
どちらに向かって進んでいるのか、全く方向感はつかめません。

並行する艦の艦尾に赤いものが見えますが、何か分かりません。
艦が右に廻ると放送があります。
左舷の人は気を付けてと。
何故、暫く考えます。
やっと分かりました。左舷が上がり、乗っている人は右舷に行きたくなる姿に
なると。
陸の乗り物では考えられない、大きな弧を描いて廻ります。
艦列はまだ並行して走っています。
何処へ向かっているのか?方向感覚は無し。

予定の演習は終わり?
これも分かりません。
波飛沫を被り、甲板を洗った波に毛布は濡れています。

艦尾の艦旗は降りたままです。
行事は終わって帰港のコース?
分かりません。分からないことばかりの中、休憩室を覗きに行きました。
満員です。通路には毛布を被って、壁?に寄りかかっている人が10人くらい
居ました。
食堂に当たる場所で艦内土産を売っていました。
種類は多くありません。
私記念切手を買いました。
女房がお年玉の景品の切手を大切にしているからです。
1800円、その時は少し高いと思いました。
帰って改めて考えると結構高い、80円切手10枚です。
2009年の文字が値打ちです。今後2009年は絶対に来ない。


航海は続く

2009年11月01日 | 日記

霜月になりました。
航海の日誌はまだ続きます。

一番先頭の写真の中年の男の人は結構長い間、前を見て立っていました。
艦内の見学の人達の様子はさまざまです。

艦の後部に集まった人達の様相を写したいと思いましたが、余りに人が混みあって
顔がモロニ写ります。プライバシーが念頭に浮かびシャッターを押せません。

これくらいは勘弁してもらえる?
そして艦の最後尾では風と波に耐えて立つ人の頭ばかりです。

艦隊は進みます。
休憩室がありました。入って見るとテーブルと椅子が12脚くらい、円形のソフア
がありましたが、満室です。
ここでもプライバシー、写真は写しません。
給付された毛布を敷いて床に座って休みました。

少し休んで、また甲板へ登ると並行して走る艦が見えます。
空が少し明るくなった、天候の変化を期待しましたが駄目でした。

潜水艦も見えました。
並走する最後に、連携することのある、巡視船も走ってきました。

やがて観閲式始がまるようですが、一向に周りの様子は分かりません。
私も甲板に座り込んで風寒さに耐えているばかりです。
立ち上がって歩く時は、何か摑まり体を支えなければ移動できません。
尿意を覚え、艦のトイレに行きました。
これも一仕事、寒いので毛布を抱えて行きました。
毛布の置き場がありません。
パイプの間に押し込んで、合羽のズボン降ろしやっと排尿が終わります。
艦上に出ると、風はまた強くなったように感じました。