雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

砂を供養する ・ 今昔物語 ( 2 - 9 )

2018-03-23 13:09:03 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          砂を供養する ・ 今昔物語 ( 2 - 9 )

今は昔、
天竺の舎衛城(シャエジョウ・古代インドの大国の一つであるシャエ国の首都。)の中に、一人の長者がいた。家は大きく豊かで、財宝は計り知れないほどである。
一人の男の子がいて、その子の容姿は世間で例を見ないほど優れていた。その子が生まれた時、天から七宝(様々な財宝)が雨のように降り注ぎ、家の内に積み上がり満ち溢れた。父母はこれを見て、喜ぶこと限りなかった。
このような事があったことから、この子供の名前は宝天(ホウテン)と名付けられた。その子供はしだいに成長して、仏(釈迦)と出会い、出家して羅漢果(修業過程の最高位)を修得した。

その時にアナン(阿難・高弟の一人。釈迦の従弟にあたる)はこれを見て、仏に申し上げた。「宝天比丘(ビク・僧。ここでは出家者といった感じか?)は、前世においてどのような福業(フクゴウ・善果をもたらす原因となる善行。)を積んで、福貴の家に生まれて、生まれる時には天より七宝を降らし、衣食はもともと十分で乏しい物など何もなく、今、仏にお会いできて、出家して阿羅漢果を得られたのでしょうか」と。

仏はアナンに、「過去世を遥かに遡ること九十一劫(この部分は前話を参照願いたい)の時、仏(釈迦を指しているのではない)がこの世に出現なされた。毘婆尸仏(ビバシブツ・過去七仏(釈迦とそれ以前にこの世に出現した六仏との総称)の第一仏。)と申される。その時に多くの比丘(ビク・出家者)がいて、村落を遊行したが、富貴の長者たちが競って彼らを供養した。そこに、一人の貧しい人がいた。比丘を見てたいへん感激したが、その身は貧しく、供養すべきものは塵一つさえなかった。その人は思い悩んだ末に、一握りの白い砂(イサゴ)を取って、それを比丘に散らしかけて、心をこめて礼拝し、来世の往生を祈願して去っていった。
この遥かな昔に、砂を握って布施とした貧しい人は、今の宝天なのである。その功徳によって、それよりこの方九十一劫の間、悪趣(アクシュ・悪道と同じ。地獄、餓鬼、畜生の三道を指す。)に堕ちることなく、生まれてくる所には天より七宝を降らして家の内に満ち溢れさせ、衣食は自然に満たされて不足する物などない。今、私と会って、出家して阿羅漢果を得たのである」と、お説きになった。

これを以て思うに、私たちは財宝を持っていないとしても、草木・瓦石のような物であっても、まことの心をこめて三宝(サンポウ・仏、法、僧を指す。)に供養いたせば、必ず善い報いを受けることが出来ると信じるべきである、
となむ語り伝へたるとや。

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金貨を握って生まれる ・ 今昔物語 ( 2 - 10 )

2018-03-23 13:08:20 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          金貨を握って生まれる・ 今昔物語 ( 2 - 10 )

今は昔、
天竺の舎衛城の中に、一人の長者がいた。家は大きく豊かで財宝はたくさん持っていた。
その家には一人の男の子がいた。その子供は、容姿が世に並ぶ者がいないほど優れていた。その子は、生まれてくる時に、両手を握りしめて生まれてきた。父母がこれを開いて見ると、子供の二つの手のそれぞれに、一つの金(コガネ)の銭が入っていた。父母がこの銭を取ると、すぐにまた、同じように金の銭を握っていた。
このように、次々と取っても、同じように次々と金の銭が現れ、尽きることがなかった。瞬く間に金の銭が倉に満ち溢れた。父母は喜ぶこと限りなかった。
そういうことから、子供の名前を金財(コンザイ)と名付けた。金財はしだいに成長して、出家の志があり、やがて仏(釈迦)の御許に参って、出家して羅漢果(阿羅漢果に同じ。原始仏教における最高の修業階位。)を得た。

アナン(阿難)はこれを見て、仏に申し上げた。「金財比丘は、前世においてどのような善行を行って、富貴の家に生まれて、手に金の銭を握り、取れども取れども尽きることなく、今、仏(釈迦)にお会いすることが出来、出家して早々と悟りを開かれたのでしょうか」と。
仏はアナンに仰せられた。「昔、果てしない過去世の九十一劫(前々話を参照いただきたい。)という時に、仏がこの世に出現された。毘婆尸仏(ビバシブツ・過去七仏(釈迦とそれ以前にこの世に出現した六仏の総称)の第一仏。)と申される。
その当時に、一人の人がいた。たいへん貧しく、世を過ごすために薪(タキギ)を取ってきて売るのを生業としていたが、その人が薪を売って二枚の金の銭を得た。その時に、仏(毘婆尸仏)と比丘(ビク・出家者のことで仏の弟子)たちに出会い、その銭を布施として奉り、来世の往生を祈願して去っていった。
この時銭を供養した貧しい人というのが、今の金財なのである。この功徳によって、その時よりこの方九十一劫の間、悪趣(悪道に同じで、地獄、餓鬼、畜生の三道を指す。)に堕ちることなく、天上界・人中(ニンジュウ・人間界)に生まれて、生まれる所には常に金の銭を握っていて、財宝は自然にほしいままに集まり尽きることがない。今、私に出会って、出家して悟りを開いたのである」とお説きになった。

これを以て思うに、我が身に大切な宝があり、たとえ惜しいと思うことがあっても、三宝(仏・法・僧。つまり仏教の教え。)に供養し奉れば、必ず、未来世において無量無限の福を得ることは疑いない、と知るべきである、
となむ語り伝へたるとや。

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功徳に加わる ・ 今昔物語 ( 2 - 11 )

2018-03-23 12:56:21 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          功徳に加わる ・ 今昔物語 ( 2 - 11 )

今は昔、
天竺の舎衛城(シャエイジョゥ)の中にある長者がいた。家は大きく豊かで財宝は無限にある。一人の男の子がいたが、その子の姿形は愛らしく世に並ぶものがない。
その子が生まれてきた時、両手に金貨を握っていた。父母ががこれを見つけて取ると、また同じように握っている。何度も取ったが、同じように握っていて、尽きることがなかった。父母が喜ぶこと限りなかった。
そういうことから、この子の名前を宝手(ホウシュ)とつけた。

さて、その子は次第に成長していったが、慈悲の心が深く、自ら進んで人々に布施を行った。人がやって来て頼むと、両手を開けて握っている金貨を取って与えた。全く惜しむ気持ちを持っていなかった。
また、父母に頼んで、祇園精舎に詣でて、仏(釈迦)の尊顔を見て感激を心に抱いて、仏や比丘僧(ビクソウ・僧と同じで、釈迦の弟子たち)を礼拝し奉って、「願わくば、私の供養をお受けください」と申し上げた。
アナン(阿難・釈迦の高弟。釈迦の従弟にあたる。)は宝手に答えた。「そなたが供養しようと思うのであらば、財宝を準備しなさい」と。
すると宝手は、すぐに両の手を開いて、金貨を取り出し始めると、瞬く間に地に積み上がっていった。
その時、仏は宝手のために法をお説きになった。宝手は法を聞いて、須陀洹果(シュダオンカ・最高の修業階位の阿羅漢果に至る最初の修業階位。)を得た。
宝手は家に帰って父母に、「出家をお許しください」と頼んだ。父母はそれを許した。
そこで、仏の御許に参って、出家して、やがて阿羅漢果を得たのである。

アナンは、この様子を見て、仏に尋ねた。「宝手比丘は、昔(過去世を指している)、どのような善行を積んで、富貴の家に生まれ、手から金貨を取り出してしかも尽きることなく、また、仏にお会いすることが出来、出家して早々と阿羅漢果を得ることが出来たのでしょうか」と。
仏はアナンに答えて、「昔、迦葉仏(カショウブツ・過去七仏{釈迦とそれ以前にこの世に出現した六仏との総称}の第六仏。)が入滅なされた後、迦[欠字]王という人がいて、迦葉仏の舎利を四宝(シホウ・七宝のうちの四種の宝という意味らしい。)で荘厳した仏塔を建てて安置なされた。その時、一人の長者がいて、王がこの塔を建てるのを見て、大変喜んで、一枚の金貨を塔の下に置いて、願を立てて去って行った。この金貨を置いた人が、今の宝手なのである。宝手は、この時の功徳によって、その後、悪道(地獄・餓鬼・畜生の三道)に堕ちることなく天上・人中(ニンジュウ・人間界)に生まれて、常に金貨を握り、その財は無限であり、至福を得ている。そして今、私に会って阿羅漢果を得ることが出来たのである」と説かれた。

これによって思うに、人が功徳を修めているのを見れば、必ず感激の気持ちでもって協力すべきである。将来(未来世を指す)、このような無量の福を得ることが出来るのである、
となむ語り伝へたるとや。

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死体を背負う ・ 今昔物語 ( 2 - 12 )

2018-03-23 12:55:38 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          死体を背負う ・ 今昔物語 ( 2 12 )

今は昔、
天竺の王舎城の中にある長者が住んでいた。家大きくして豊かで、財宝は限りなかった。一人の男の子をもうけた。その子は、姿形が優れていて世間に並ぶ者がいなかった。その子は生まれた時より、一つの指から光を放ち、十里先を照らした。
父母はそれを見て、歓喜すること限りなかった。そういうことから、この子の名前を灯指(トウシ)と付けた。

すると、阿闍世王(アジャセオウ・マガダ国の王)がこの事を聞いて、勅命によって「稚児を連れて参れ」と命じた。
そこで長者は、その子を抱いて王宮の門前に参上した。その時、その子の指の光が王宮を照らした。その光によって、王宮内のすべての物が、金色に輝いた。
王はこれに驚き、「これは何の光なのか。もしかすると、仏(釈迦)が門前に参られているのではないか」と仰せられて、従者に門前まで行かせて確かめさせると、従者はその様子を確認して戻ってきて、「この光は、我が王がお召しになった稚児が参っていて、その手の指から発せられている光です」と申し上げた。
王はそれを聞いて、宮中に召し入れて、自ら稚児の手を取って不思議に思われた。そこで、稚児を留めて、夜になると稚児を象に乗せて先に立たせて、庭園に入ってご覧になると、稚児は指より光を放ち、暗い夜の庭が照らされて昼のようであった。
王はその様子に感激し、多くの財宝を与えて家に送り届けた。 

灯指は次第に成長していったが、父母が亡くなってしまった。その後、しだいに家が没落して、財物も盗賊に盗まれてしまった。蔵の中は空になり、使用人たちは去っていき、妻子にも見捨てられてしまった。親族とは皆絶交状態となってしまった。
かつては親しかった人も今では敵(カタキ)のようになり、頼みとする所はなくなってしまい、身を寄せる所もない。着る物はなく裸同然であった。その為、巷(チマタ)に行き、食べ物をめぐんでもらい命を繋いでいた。
灯指は、「私はどういうわけで、今このような貧乏の極みとなり、このような苦しみにあっているのか。私は、もう身を棄てようと思うが、自分でこの身を引き裂くとが出来ない」と思った。

そこで、思い悩んだ末に墓場の辺りに行き、死体処理を手伝っていたが、突然狂ったように死体を背負ったまま王宮の門から入ろうとしたが、門の守衛に咎められて、打ちすえられて入ることが出来なかった。身体じゅう傷だらけにされてしまった。声を限りに泣き叫んだ。
傷つけられた身体で死体を担いで家に帰り、嘆き悲しんでいると、突然、この死体が自然に変化して黄金となった。そして、しばらくすると、死体が壊れて、頭・手足となった。さらに、瞬く間に、金(コガネ)の頭・手足が地面に満ち溢れ、蔵の中に積み上がること昔繁栄していた頃以上になった。
当然、豊かな事は昔に勝った。すると、妻子や使用人などは皆帰ってきて、親友たちも以前のように戻ってきた。
灯指が歓喜すること限りなかった。

阿闍世王はこの噂を聞いて、金の頭・手足を取り上げようとしたが、王が奪い取ると、みな死人の頭・手足になった。慌ててそれを捨てると、また、金の頭・手足となった。
灯指は、「王がこの金を得ようと思っている」と知ると、金の頭・手足を持参して王に奉った。また、数々の珍宝を多くの人に施して、世を厭い、仏の御許に参って、出家して阿羅漢果を得ることになったが、この黄金の屍(シカバネ)の宝は、常に灯指の身に付き従って消え去ることはなかった。
仏の弟子である比丘(ビク・僧)が、これを見て仏に尋ねた。「灯指比丘は、どういう因縁(ここでは、「前世のいわれ」といった意味)があって指の光があるのですか。また、いかなる因縁があって究極の貧乏となり、また、いかなる因縁があって屍が金(コガネ)となってその身に付き従っているのですか」と。

仏は比丘に答えて、「灯指は、昔、波羅奈国(ハラナコク・古代インドの大国の一つ)において、長者の子として生まれた。外で遊び、夜遅くなって家に帰り門をたたいたが、守衛はおらず返答がなかった。しばらくして、父母がやって来て門を開けた。灯指は開けるのが遅いと母をののしったのである。それゆえ、母をののしった罪により、地獄に堕ちて苦を受けること計り知れないほどの長い時間であった。地獄の罪を終えることが出来て、いま、人中(ジンチュウ・人間界)に生まれ変わることが出来たが、まだ罪の残りがあって貧窮の苦しみを受けたのである。また、過去にさかのぼること九十一劫(コウ・劫は時間の単位で、無限に近い長さ)の時、毘婆尸仏(ビバシブツ・過去七仏{釈迦とそれ以前にこの世に出現した六仏の総称}の第一仏。)が涅槃にお入りになられた後、大長者であった灯指が、ある泥像(デイゾウ・粘土製の仏像)を見ると、指が一本欠けていた。そこで、この指を修理して願をかけて、『私はこの功徳によって、人天(ニンデン・人間界と天上界)に富貴を得たい。また、仏にお会いして、出家して阿羅漢果を得たい』と願ったのである。仏の指を修理した功徳によって、今、指より光を放ち、屍の宝を得たのである」とお説きになった。

これを以て思うに、戯れであっても父母をののしってはならない。計り知れないほどの罪を得るからである。また、戯れであっても、仏像の姿形が損じたり欠けていたりしているのを見れば、必ず、土で以てでも、木で以ってでも、修理し奉るべし。計り知れないご利益(リヤク)を得ることはかくの如しである、
となむ語り伝へたるとや。

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帷子の功徳 ・ 今昔物語 ( 2 - 13 )

2018-03-23 12:54:52 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          帷子の功徳 ・ 今昔物語 ( 2 - 13 )

今は昔、
天竺の舎衛城の中に一人の長者がいた。家大きくして栄えていて財宝が豊かなことは限りないほどであった。
そして、一人の女の子がいた。その女の子は容姿端麗にして世に並ぶものがなかった。その女の子は、生まれてきた時、細やかに織った白絹の帷子(カタビラ・一重の衣服)を身にまとっていた。父母はこれを見て、叔離(シュクリ・白也という訳もあるらしい)と名付けた。

その娘は、成長するにしたがって、出家を願う心が強くなり平安な生活を嫌い、遂には仏(釈迦)の御許に参って、「出家したい」と申し出た。
仏は、「よくぞ来られた」と仰せになられたが、その時、叔離の髪は自然に落ちて、着ていた白い帷子は変じて五衣(ゴエ・尼が着用を認められている五種の衣服。)となった。仏は叔離のために法をお説きになった。叔離は、法を聞くと即座に阿羅漢果を修得した。
アナン(阿難・釈迦の高弟)はこれを見て、仏に尋ねた。「この比丘尼(ビクニ・尼僧)は、前世においていかなる善根を積んだ故に、富貴の家に生まれ、生まれてくる時には白い帷子に包まれていて、また、仏にお会いすると、たちまち阿羅漢果を得ることが出来たのですか」と。

仏(釈迦)はアナンに答えて、「遥かに遡ること九十一劫(コウ・劫は時間の単位で、とてつもない長さ。)の昔、仏が世に姿を現された。毘婆尸仏(ビバシブツ・過去七仏{釈迦とそれ以前にこの世に出現した六仏との総称}の第一仏)と申される。その頃、ある比丘がいて、常に国中の人々に勧めて、仏(毘婆尸仏)の御許に参らせて、説法を聞かせ、布施を行わせた。
同じ頃に、ある女性がいた。名をダンカンカという。大変貧しく、夫と共に暮らしていたが、夫妻の許には一枚の帷子しかなかった。その為、もし夫がそれを着て外出すると、妻は裸で家にいなければならなかった。妻がこれを着て外出すれば、夫は裸で家にいなければならなかった。そのような時に、かの比丘がやって来てその妻に勧めた。『仏がこの世に現れる時にお会いすることは難しい事です。仏の教えをお聞きすることも難しい事です。人間界に身を置くことも得難い事です。あなたは、今まさに仏を見奉り、説法を聞き、一心に布施を行うべきです』と。
妻はこれに答えて、『我が夫は出かけています。帰ってきましたら相談して、布施を行いましょう』と言った。

やがて、夫が返ってきた。妻は夫に、『比丘がやって来て、布施を行うよう勧めて帰りました。わたしはあなたと共に、布施を行いたいと思います』と言った。夫は、『我が家は貧しいために、その心はあるとしても、何を布施するというのか』と答えた。妻は、『わたしたちは、前世において布施を行うことがなかったので、今の世で貧窮の身に生まれたのです。今の世で、また布施を行うことがなければ、後々の世も今のような有様でしょう。あなた、どうかわたしに布施をさせてください』と言う。
夫はこの妻の言葉を聞いて、『わが妻は、密かに財物を貯えているらしい。それなら、布施をすることを許そう』と思って、『お前が思うようにすればよい。布施する物があるのなら、すぐに布施をするべきだ』と答えた。

妻は、『あなた、今身につけている垢にまみれた帷子を脱いでください。それを布施にしたいと思います』と言った。夫は、『お前とわしとでたった一枚しかない帷子だぞ。今これを布施にすれば、この先何を着物にするというのか』と言った。妻は、『あなた、わたしたちは貧しく着る物がなくなるとしても、この帷子を布施すれば、後の世で必ず福を得ることが出来るでしょう。あなた、惜しむ気持ちを起こしてはなりません』と言った。夫は、妻の言葉を聞いて、その真摯な心に感じ入って、妻の考えに賛成した。
そこで妻は、比丘にその旨を告げて家の中に呼び入れ、帷子を脱いで差し上げた。比丘は、『どうして、面前で布施することをせずに、家の中に呼び入れて密かに布施をするのか』と尋ねた。妻は、「わたしたち夫婦にはこの帷子だけしかなく、着替えるべき着物はありません。女の身体は汚らわしく醜いものです。(当時の仏教的な考えからきている。)その為、面前で脱がなかったのです』と答えた。
比丘は、この帷子を受け取ると、女のために呪願(シュガン・呪文を唱えて、相手に仏の加護があるように祈願すること。)して帰って行った。

比丘は、すぐに仏(毘婆尸仏)の御許にこの帷子を持って行った。仏はそれを捧げ持って、その場に参集していた御弟子たちに、『清浄の布施、この帷子に勝るものはない』と申された。
その時、国王は后と共に法を聞くために仏の御許に参っていて、その場に居合わせていた。この仏の言葉を聞いて、后はすぐさま、瓔珞(ヨウラク・古代インドなどの装身具で、金銀・宝玉などを紐で連ねた首飾りや胸飾り。)と宝の衣を脱いで、かの女のもとに届けさせた。国王も、衣服を脱いで届けさせた。
その夫もまた、説法を聞くために仏の御許に参り、仏はその夫のために法を説いて聞かせた。

遥かな昔の、この時の妻というのは、今の叔離比丘尼なのである。この時の功徳によって、それからこれまでの九十一劫の間、悪道(地獄・餓鬼・畜生の三悪道)に堕ちることなく、常に天上・人間界に生まれて、富貴を得ることになったのは、このようなことからである。また、私(釈迦)に会って阿羅漢果を得ることが出来たのである」
と、お説きになった、
となむ語り伝へたるとや。

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一枚の銅銭 ・ 今昔物語 ( 2 - 14 )

2018-03-23 12:54:10 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          一枚の銅銭 ・ 今昔物語 ( 2 - 14 )

今は昔、
天竺において仏(釈迦)は、アナン(阿難・高弟の一人)や多くの比丘たちに囲まれて、王舎城に入り乞食(コツジキ・托鉢)をなされた。
街の中に入っていくと、二人の小児がいた。一人の名は徳(トク)といい、もう一人の名は勝(ショウ)という。この二人の小児は、遊びとして土で以って家や倉の形を造り、また、土で以ってムギコ(麪・焼き菓子のような物か?)と名付けた物を倉の中に積み入れていた。このようにして遊んでいるところに仏がやって来た。
この二人の小児は、仏が威厳のある様子で、金色の光を放って、城内をあまねく照らし給うのを見て、感激の心を発(オコ)して、この土で以って造った倉の中のムギコという土で作った物を取って、仏に供養し奉って、願いを込めて仏に言った。「私たちが、将来、広く天下全土で供養が行えるように取り計らってください」と。

その後、この二人の小児の寿命が尽きたが、この善根によって、仏が入滅されて後、百年経って転輪聖王(テンリンジョウオウ・正義をもって天下を統治する王の称。)として生まれ、閻浮提(エンブダイ・古代インド的、仏教的宇宙観で、須弥山の南方洋上にあるとされる大島。人間の住む世界とされている。)にあって正法(ショウホウ・真実の教え。仏の説いた法。)を以て世を治めた。名を愛育王(アイイクオウ・アショーカ王。古代インド最初の統一国家を建てた。仏教の保護者として著名。)という。彼は、仏の舎利を以て、閻浮提の内に八万四千(多くの、といった意味)の宝塔を造った。そして、誓いを立てた時のような心で、常に衆僧を宮殿内に招いて供養した。

その頃、王宮の内に一人の下女がいた。身代は貧しく下賤の出自である。この女が、王が善行を積まれるのを見て、「王様は、前世において善根を積まれたので、今、転輪聖王としてお生れになることが出来ました。今また、さらに善根を積まれています。次の世での果報は、今よりさらに勝ることでしょう。わたしは、前世で罪を作り、今の貧窮・下賤の身となりました。今また、善根を積むことがなければ、前世ではさらに卑しい身に堕ちるでしょう」と思って、泣き悲しんでいると、この女が、便所の掃除をしている時に、一枚の銅銭(値打ちの低い硬貨)を見つけた。
女は大いに喜んで、この銅銭を衆僧への布施とした。

その後、程なく女は病を得て亡くなった。すると、即座に愛育王の后の腹に宿った。
月満ちて、后は一人の女の子を生んだ。その姿形は麗しく、世に並ぶ者がいないほどである。その女の子は、常に右の手を握っていた。年が五歳になった頃、母である后は王に申し上げた。「わたしが生んだ女の子は、常に右の手を握っています。わたしには、その故を知りません」と。
王は女の子を抱いて膝の上に坐らせて、右の手を開いてご覧になると、掌の中に一枚の金貨があった。王がその金貨を取ってから掌の中を見ると、なお金貨があった。不思議に思いながらそれを取ると、また、有る。このようにして取っていったが、尽きることがなかった。そのため、瞬く間に金貨は倉に満ちた。

王はこれを不思議に思い、教団の長老のもとに女の子を連れて行って、「この娘は、前世でどのような善根を積んで、掌の中に金貨を持って、取っても尽きることがないのでしょうか」と尋ねた。
長老は、「この女の子の前身は王宮の下女でした。便所を掃除していて一枚の銅貨を見つけ、信仰心を発(オコ)してその銅貨を衆僧に布施したのです。その善根によって、今、王の家に生まれて、容姿端麗にして、常に手に金貨を握り、取っても尽きることがないのです」と、説き聞かせた、
となむ語り伝へたるとや。

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十個の卵を生む ・ 今昔物語 ( 2 - 15 )

2018-03-23 12:52:48 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          十個の卵を生む ・ 今昔物語 ( 2 - 15 )

今は昔、
天竺の舎衛城の中に一人の長者がいた。名を須達(シュダツ)という。一番下に女の子がいた。名を蘇曼(ソマン)という。その姿形は麗しく、世に並ぶ者がいないほどである。父の長者は、この末娘を他の子供たちとは比べものにならないほどたいそう可愛がった。その為、父はどこかへ出かける時は常にこの女の子を離さず連れて行った。
ある時、父の長者は、祇園精舎に詣でるのに、この女の子を連れて参った。女の子は仏(釈迦)の姿を見奉って、感激の心が涌いてきて、「わたしは香を以て仏のお部屋に塗ろう」と思って、家に帰って、様々な香を買って、祇園精舎に持って参り、自ら香を突きつぶして部屋に塗った。(香をすりつぶした細粉を、自分の身体や手、あるいは仏前の床や周りの壁などに塗りつけて仏に供養することは、塗香{ズコウ}といって、抹香・焼香などと同様の供養にあたる。)

その頃、シャリ国(叉利国)の王が亡くなって、その王子がこの国に来て祇園精舎に詣でた。その時、蘇曼が寺にいて、自ら香をつきすっていたが、その姿の麗しいのを見て、たちまち愛の心が芽生え、「妻にしたい」と思って、ハシノク王(舎衛国の王)のもとに参って、「蘇曼嬢を給わって、私の妻にしたいと思います」と申し上げた。
ハシノク王は、「君が自ら申し出なさい。私は、この話を勧めるのに適さない」と答えた。
王子はハシノク王の言葉を聞いて、本国に帰ってから思った。「謀(ハカリゴト)をもって、蘇曼嬢を手に入れよう」と。
そして、従者たちを引き連れて舎衛国にやって来て、蘇曼嬢が祇園精舎に詣でてくる時を狙って、王子の一行は祇園精舎に入り、象に蘇曼嬢を乗せて本国に連れて行ってしまった。
須達長者が人を派遣して事情を尋ねさせたが、娘を帰そうとはせず、すぐに、国において妻にしてしまった。

その後、蘇曼は懐妊して、十個の卵(カイゴ)を生んだ。やがて卵が開いて、十人の男子が生まれた。皆、その姿形は美しく、心は猛々しく力は強かった。
それから後、この十人の男子は、仏(釈迦)がこの世に現れて、舎衛国においでになると聞いて、父母に言って舎衛国に参った。まず、母方の祖父である須達長者の家に行った。
長者は大変喜び、仏の御許に連れて行った。
仏は、その子らのために法をお説きになった。十人の男子は、法を聞いて、みな須陀洹果(シュダオンカ・最高の修業階位である阿羅漢果に至る最初の修業階位。)を得た。

アナン(阿難・釈迦の高弟)はこれを見て、仏に尋ねた。「この比丘(ビク・僧。出家者)は、前世でいかなる善根を積んで、このように富貴の家に生まれたうえ容姿端麗なのでしょうか。また、仏にお会いして、出家してすぐに須陀洹果を得ることが出来たのでしょうか」と。
仏はアナンにお答えになって、「遥かに遡る過去世の九十一劫(コウ・時間の単位で、無限に近い長さ。)の昔、毘婆尸仏(ビバシブツ・過去七仏{釈迦とそれ以前にこの世に出現した六仏との総称}の第一仏。)涅槃に入り給いて後、舎利(シャリ・遺骨)を分けて無数の塔を建てた。その時に、崩れ壊れた塔があったが、一人の老母がこれを修理しようとした。すると、たまたま十人の少年がそこに行き合わせ、それを見て一緒に修理に当たり、修理を終えた後、『願わくば、この功徳によって、この先到来するであろう未来世において、わたしちが常に母子・兄弟となって、同じ所に生まれさせてください』と願を立てのである。

その時の老母というのは、今の蘇曼なのである。そして、その時の年少の十人というのは、今の十人の男子である。過去世における仏道にかなった正しい請願によって、その時よりこれまでの九十一劫の間、悪道(地獄・餓鬼・畜生の三悪道)に堕ちることなく、天上・人中(ニンジュウ・人間界)に生まれて、常に富貴を得て、幸せを受けるのである。また、三つの報を得たのである。その一つは、姿が美麗であること。二つには、人に愛されること。三つには、長命であること。そして、今、私と出会って出家して仏道を得たのである」とお説きになられた。

これを以て思うに、塔を修理するという功徳は、計り知れないほど大きい。それゆえ、僧祇律(ソウギリツ・仏典の一つ)に、「百千の金(コガネ)を担って行って布施をするよりは、一塊の泥土で心をこめて仏塔を修理すべし」、
となむ語り伝へたるとや。

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香をたく功徳 ・ 今昔物語 ( 2 - 16 )

2018-03-23 12:52:02 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          香をたく功徳 ・ 今昔物語 ( 2 - 16 )

今は昔、
天竺の片田舎に住んでいる人がいた。世に並ぶものとてないほどの容姿美麗の女を妻として長年暮していたが、その国の王が、身分の上下を問わず、格別に容姿美麗なる女を求めて后にしようとして、国内に宣旨(センジ・国王の命令書)を下して、東西南北と国中に求めたが、思うような女を見つけ出すことが出来なかった。

それゆえに、国王は失望し嘆いていたが、ある大臣が申し上げた。「どこそこの郷に、世に並ぶ者とてないほどの容姿美麗な女がいます。早速にその女を召し出して、后に立てられるとよろしゅうございます」と。
国王はこれを聞いて、喜んで宣旨を下して、その女の所に使者を遣わした。使者は宣旨をうけたまわって、女の家を捜し尋ねていくと、家の主人がいて、使者を見て怪しんで尋ねた。「この辺りは高貴な人が来られる所ではありません。どなたがこのような所に来られたのですか」と。
使者はそれに答えて、「わしは、これこの通り国王の使者である。お前のもとに、容姿美麗なこと抜きん出た女がいるそうだ。国王がその噂をお聞きになり、その女をお召しになられたのである。決して出し惜しむことなく、速やかに奉るべし」と命じた。
家の主人は、「私はこの地に長く住んでいますが、お国に対して何の罪も犯したことはありません。農業(家業という意味か?)をすることもなく、財産の様子も知らないでしょう。それなのに、どういう理由で、私の妻を召し上げるというのですか。(使者を、徴税使と思っているらしい。)」と尋ねた。
使者は、「お前に落ち度がないといっても、現に国王の領土に住んでいるではないか。だから、宣旨に背くことなど出来ないのだ」と言って、女を搦め取るようにして連れて行った。その為夫は、涙を流して別れを惜しみ、家を出て去ってしまった。

使者が女を王宮に連れて行くと、国王は女をご覧になって、まことに噂にも勝る美しさで、世に並ぶ者はない。そのため、政治もかえりみないで、昼夜を問わず寵愛すること限りなかった。そして、早速后に立てた。
しかし、「この后は、長年田舎者の妻として過ごしていたのが、国王の后となって、定めて限りないほど喜んでいるだろう」と思われたが、月日が経っていっても、まったく嬉しく思っている様子がなかった。そこで国王は、ことあるごとに言葉巧みに機嫌を取ったが、まったく気がのる様子がなかった。国王は思い悩んで、様々な管絃を演奏させて聞かせたが、それを聞いても楽しむことはなく、様々な歌舞を演じさせて見せたが、それを見ても笑うことがなかった。
そこで国王は、后に尋ねた。「そなたは、『人民が王を上にいただき、毒蛇が宮中に入ったみたいだ。』(この部分は、共に畏怖する様子の比喩らしい。)、どうして、楽しむことも、笑うこともしないのか」と。
后はそれに答えて、「あなたは天下の主であられますが、わたしの下賤で野人(礼儀をわきまえない者)のような夫よりは劣っておいでです。そのわけは、私の夫は、口からの息の香ばしいことは、栴檀・沈水(共に香木)の香りを含んでいるようなのです。あなたは、そうではありません。それゆえに、とても笑うことなど出来ないのです」と言った。

国王はこれを聞いて、大変恥ずかしく思いながら、すぐに宣旨を下して、この后の元の夫を探し出して連れてくるように命令した。使者は国中を探し、ようやく見つけ出して王宮に連れて来ようとしたところ、后は国王に、「今、わたしの元の夫が参上するようです。香ばしい香りが香っています」と申し上げた。
国王は后の言葉を聞いて待っていると、程なく元の夫を王宮に連れてくると、確かに、一里の間に栴檀・沈水の香りが満ち溢れた。国王はこの事を奇怪であると思って、すぐに仏(釈迦)の御許に参って申し上げた。「どういうわけがあって、あの人は、一里の間に栴檀・沈水の香りを満たすのですか。どうぞ仏よ、そのわけをお説きください」と。
仏は、「その人は、前世は木を伐る下賤な人であった。木を担って山から運んでいる途中で雨に遭ったので、道のほとりに壊れかけた寺があったので、その寺の門前でしばらく杖を立てて休んでいると、寺の中に一人の比丘(僧)がいて、仏像の御前で香をたき経を読誦して座っていた。木こりはそれを見て、一瞬、『あの比丘のように香をたきたい』と思ったのである。その功徳によって、今生において、口の中の息は香ばしく、一里の内に満ち溢れるのである。そして、その人は、やがては仏と成るでしょう。名を香身仏というのです」とお説きになった。
国王はこれを聞いて、感激の心で帰って行った。

この事を以て思うには、人が香をたいている匂いをかいで、一瞬ありがたいことだと思っただけで、このような功徳を得たのである。まして、未来世では仏になると授記(仏が修業者に未来世の成仏を予言保証すること)なさったのである。
真心を込めて、香をたき仏を供養し奉ることによる功徳を思いやるべし、
となむ語り伝へたるとや。

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金色の子 ・ 今昔物語 ( 2 - 17 )

2018-03-23 12:51:22 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          金色の子 ・ 今昔物語 ( 2 - 17 )

今は昔、
天竺の迦毘羅城(カビラジョウ・釈迦族の首都。現在のネパールあたり。)の中に一人の長者がいた。その家は大きく富んでいて、財宝は無量で数えることも出来ない。
その長者に一人の男の子が生まれた。その子は、身体が金色で、姿形の端麗なこと世に比べる者がないほどである。身から光明を放ち、城の内を照らした。そのため、みな金色となった。父母はこれを見て喜ぶこと限りなかった。このことから、子供の名は金色(コンジキ)と名付けた。
男の子は次第に成長して、出家への心が育ち、父母に「出家を許してください」と願った。父母はそれを許した。すぐに仏(釈迦)の御許に参って、出家して阿羅漢果(アラカンカ・原始仏教における最高の修業階位)を得たのである。

比丘(ビク・僧。ここでは釈迦の弟子。)がこれを見て、仏に尋ねた。「金色比丘は、前世においてどのような善根を積んで、富貴の家に生まれ、身体金色にして光を放ち、また、仏にお会いして、出家して早々と阿羅漢果を得たのでしょうか」と。
仏は比丘に答えて、「昔、遥かに遡ること九十一劫(コウ・時間の単位で、無限に近い長さ)の時、毘婆尸仏(ビバシブツ・過去七仏{釈迦とそれ以前にこの世に出現した六仏}の第一仏。)が涅槃(ネハン・ここでは入滅のこと)に入られた後、一人の王がいた。名をバンヅマタイ(毘婆尸仏の父という説もあるらしい。)という。仏(毘婆尸仏)の舎利を取って、四宝(シホウ・金銀など七宝の内の四つらしい。)で荘厳した塔を建てた。高さ一由旬(ユジュン・長さの単位で、牛車の一日の行程、三十里、四十里など諸説ある。)である。これを供養するとき、一人の人が通りかかり、この塔を見ると少し壊れている所があった。この人はその塔を修理し、金箔を買って塔に張り加えた。そして、願を立てて去っていった。
この時、塔を修理した人とは、今の金色比丘である。その功徳によって、それより後の九十一劫の間、悪道(地獄・餓鬼・畜生の三悪道)に堕ちることなく、天上・人中(ジンチュウ・人間界)に生まれて、常に身体は金色にして光を放ち、富貴は無量にして幸せを受けるのである。また、私と出会い、出家して仏道を得ることは、この通りである」とお説きになった。

これを以て思うに、塔を修理することによる功徳は果てしなく大きい。
それゆえ、ビンシャ王(古代インドのマガダ国の王)は、遥か昔、迦葉仏(カショウブツ・過去七仏の第六仏)の世において、九万三千(実数ではなく、たくさんという意味を表現したもの。)の人を指導して塔を修理させた。そして、修理を終えたあと願を立てた。「我らは来世において常に同じ所に生まれますように。命尽きたあとは、刀利天(トウリテン・天上界の一つで、帝釈天王の居城がある。)に生まれますように。そして、釈迦の出世の時には、天界より下生(ゲショウ・人界に降臨し、人胎に宿って出生すること。)出来ますように」と。
今、願の如く、ビンシャ王は九万三千人と共に同じ国(マガダ国を指す)に生まれて、共に仏の御許に参り、仏は彼らのために法をお説きになられた。法を聞いて、みな須陀洹果(シュダオンカ・阿羅漢果に至る最初の修業階位)を得たのである、
となむ語り伝へたるとや。

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金地王の出家 ・ 今昔物語 ( 2 - 18 )

2018-03-23 12:50:32 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          金地王の出家 ・ 今昔物語 ( 2 - 18 )

今は昔、
天竺の南の方に金地国(コンヂコク・所在不明。マレー半島辺りとも。)という国があった。その国に王がいた。名をマカコウレイナという。
その王は、聡明にして知恵があり、強力(ゴウリキ)にして心は猛々しかった。国の政治を思いのままにおこなった。三万六千の兵団は勢い盛んに国家の守備にあたり、敵対心を持つ者はなく、王は、何も怖れるものがなかった。

そうした頃、仏(釈迦)は、神通力を以ってマカコウレイナ王を仏の御許にやって来るようになさった。王は、すぐさま二万一千(後の文からすれば、一万八千が正しいらしい。)の兵団を率いて仏の所にやって来た。
仏は、彼らのために法をお説きになった。王はこれを聞いて、みな須陀洹果(シュダオンカ・最高の修業階位である阿羅漢果に至る最初の修業階位。)を得た。その後、「出家したい」と申し出て、仏はそれをお許しになった。そして、出家し終わると阿羅漢果を得たのである。
アナン(阿難・釈迦の高弟)はこれを見て、仏に尋ねた。「金地国の王は、前世においてどのような善根を積んで、富貴な国の王と生まれ、また功徳は高大で、一万八千の兵士と共に仏に会って、出家して仏道を得ることが出来たのでしょうか」と。

仏はアナンに答えて、「昔、迦葉仏(カショウブツ・過去七仏{釈迦とそれ以前にこの世に出現した六仏との総称}の第六仏。)が涅槃に入られて後、二人の長者がいた。塔を建て衆僧を供養した。その塔は年がたって崩れ壊れてきた。その時、一人の人(塔を建てた人の子らしい?)がおり、一万八千人の下性(ゲショウ・仏道に縁遠い人を指すらしい?)の人に勧めて、その塔を修理させて、衣食・寝具などを衆僧に供養して、全員心を合わせて願を立てた。『願わくば、この功徳をもって、未来世において富貴の家に生まれ、また仏の出生に出会って、法を聞いてし勝果(ショウカ・優れた果報。阿羅漢果を得ることなど。)が得られますように』と。
この、壊れた古い塔を修理して衆僧を供養した人は、今の金地国の王なのである。その時よりこの方、悪道(地獄・餓鬼・畜生の三道)に堕ちることなく、天上・人中(ニンジュウ・人間界)に生まれて、常に福を得、幸せを得るのである。また、今私に出会い、出家して仏道を得たのである。また、引率してきている兵士一万八千人の仏道を得た者は、みな過去世においてその塔を修理した人である。その果報によって、悟りを得たのである」とお説きになられた、
となむ語り伝へたるとや。

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* 本話では、釈迦が神通力で金地国王をいきなり呼び寄せたことになっているが、本話のもとになったものでは、舎衛国の王が、金地国から臣従を求められ、恐れて、釈迦に相談したとなっているらしい。

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