『 ユン大統領 窮地に 』
韓国政界の 混乱が続いている
明日にも採決予定の 弾劾訴追案は
与党党首の態度が 変ったようで
可決される可能性が 高まったようだ
窮地に追込まれている ユン大統領の動静は
まったく伝えられていないが
韓国政界の混乱は しばらく続きそうだ
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『 鹿ぞ鳴くなる 』
妻恋ふる 鹿ぞ鳴くなる 女郎花
おのがすむ野の 花と知らずや
作者 みつね
( 巻第四 秋歌上 NO.233 )
つまこふる しかぞなくなる おみなえし
おのがすむのの はなとしらずや
* 歌意は、「 妻を恋うて 鹿が鳴いているが 美しく咲いている女郎花が 自分が住んでいる野の 妻とは知らないで 遠くに妻を求めているのだろうか 」と受け取りました。女郎花を女性として詠んだもので、近くに素敵な女性がいるのに遠くにばかり目を向けているといった人間社会を皮肉っているのかもしれません。
おそらく、歌合などで詠まれた技巧的な歌なのでしょう。
* 作者の「みつね」というのは、凡河内躬恒(オオシコウチノミツネ・ 859? - 925? )のことです。
凡河内氏というのは、凡河内国造の後裔とされていますので、河内国あたりにあった凡河内国(一つの地域)の豪族だったのでしょう。
躬恒は、「古今和歌集」の撰者の一人ですが、撰者に選ばれた時は、甲斐権少目だったようですから、官職としては地方官としても最下位に近いものだったようです。
もっとも、古今和歌集の撰者には四人が選ばれていますが、紀友則・紀貫之が六位程度、壬生忠岑は躬恒と同程度と推定されます。紀貫之は後に従五位上にまで上っていますが、貴族とされる従五位下を叙爵するのは、古今和歌集が完成を見た十二年後のことなのです。
* このように、躬恒は貴族の地位にはかなり遠い地方官を中心とした下級官吏に過ぎませんでしたが、歌人としての評価は、ずいぶん高いものだったようです。
古今和歌集には、60首入集していますが、これは紀貫之に次ぐ第二位に当たります。撰者の入集数が多すぎるのが個人的には不満ですが、勅撰和歌集全体でも躬恒は194首選ばれていますから、後世の評価も高かったようです。
* こんな逸話が残されています。
第五番目の勅撰和歌集である「金葉和歌集」の撰者である源俊頼( 1055 - 1129 ・従四位上)は、白河法皇からただ一人撰者として指名された人物で、当時の歌人の第一人者です。
その源俊頼が、「紀貫之と凡河内躬恒とどちらの歌が優れているか」と訊ねられて、「躬恒をばあなづらせ給ひそ」と答えたと伝えられています。言葉の意味は、「躬恒を馬鹿にしてはいけませんよ」といった意味だと思うのですが、俊頼はどういう意味でこうした言い方をしたのでしょうか。
私は、「躬恒を貫之ごときと比べなさるな」と受け取っているのですが、俊頼の本音はどうだったのでしょうか。
* 躬恒が活躍した時代、宮廷歌人といった人が存在していたのかどうか勉強していないのですが、身分は低くても、高貴な人の邸に招かれて歌合に参加したり、遊行の場に加わることはあったようです。
躬恒も、おそらく、身分の上位の人と接する場面が多く、緊張する機会が多かったのではないかと、いらぬ心配をしてしまうのですが、少なくとも歌人としては、存分の人生だったのではないでしょうか。
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