『 我が恋増さる 』
神奈備の 磐瀬の杜の 呼子鳥
いたくな鳴きそ 我が恋増さる
作者 鏡王女
( 巻8-1419 )
かむなびの いはせのもりの よぶこどり
いたくななきそ あがこひまさる
意訳 「 神奈備の 磐瀬の杜の 呼子鳥よ そんなにひどく鳴かないでおくれ 私の恋の思いが増すから 」
なお、「神奈備」は、神の在します所、といった意味の普通名詞です。
「磐瀬の杜」については諸説ありますが、奈良県生駒郡三郷町にこの歌の歌碑が作られています。
「呼子鳥」には諸説ありますが、カッコウだという説が有力のようです。
* 作者の鏡王女(カガミノオホキミ)は、謎多き女性です。情報はたくさん伝えられていますが、どれが真実で、どれが誤伝されているものか、判断が難しいものばかりのようです。
本稿では、「 鏡王女は、高貴な家柄の娘であること。はじめは天智天皇の妃またはそれに準ずる関係になり、その後、藤原鎌足の正室になり、天武12年に亡くなった。」というのを真実と考えました。
そして、亡くなる前日には、天武天皇の見舞いを受けています。
また、今の興福寺の前身である山階寺は、鎌足が病気の時に、鏡王女の発願により開基されたものとされます。
* かつては、鏡王女は額田王(ヌカタノオオキミ)の姉とする説が有力でした。万葉集の歌人で、「最も人気の高い美女姉妹」とされることが多かったようです。ただこれは、額田王 の父が鏡王であることから連想されたもののようです。
むしろ、鏡王女は舒明天皇の皇女とする説の方が有力なようで、これは、鏡王女の墓が舒明天皇陵に近接していることを根拠にしているようです。但し、舒明天皇の皇女を、天智天皇がいくら功臣とはいえ皇族でもない鎌足に賜与することはない、という意見もあるようです。
また、鏡王女を藤原不比等の生母だという説もあるようです。
* 事の真偽はともかく、鏡王女が、額田王の姉妹と言われるほど、上流階級でもてはやされた女性であったことは確かなようです。
掲題の歌は、いわゆる恋歌でしょうが、第一句の「神奈備」から、夫の鎌足を偲んで詠んだものといった受け取り方もできます。
もし、この推定が正しいとしますと、亡き人を偲ぶのに「我が恋増さる」と詠むのは、万葉の人々の亡き人との距離感は、私たちよりずっと近いのかもしれない、と思うのです。
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