雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

妻のこころばえ ・ 今昔物語 ( 30 - 11 )

2022-02-18 08:14:13 | 今昔物語拾い読み ・ その8

        『 妻のこころばえ ・ 今昔物語 ( 30 - 11 ) 』


今は昔、
誰とは名は明かさないが、家柄の卑しくない公達で、受領である年若い人がいた。情愛のある心の持ち主で、名門らしい品格があった。
その人が長年共に暮らしていた妻のもとを去って、当世風の女に見移りして通うようになった。そのため、本の妻の所をすっかり忘れてしまって、新しい女と暮らすようになったので、本の妻は、「情けないことだ」と思って、大変心細く過ごしていた。

この男には、摂津国に領地があったので、そこに遊びに出かけたが、難波の辺りを通り過ぎるとき、浜辺の景色がたいそう興味深いので、その様子を見ながら歩いていると、小さな蛤(ハマグリ)に海松(ミル・浅海の岩に生える海藻の一種。)がふさふさと生え出ているのを見つけた。
「これはなかなか面白い物だ」と思って、手に取って、「これを大切に思っている女の許に送って、喜ばせてやろう」と思い、こうした風情が分かるというので使っている小舎人童に、「これを間違いなく京に持って行って、あの人に差し上げて、『これは興味深い物なので、お見せしようと思いまして』と申し上げよ」と言って使いに出した。

童はそれを持って京に向かったが、思い違いをしていて、新しい女の所へ持って行かず、本の妻の所に持って行って、「こうこうでございます」と言って渡したので、本の妻は、夫から使いが来ることさえ思いがけないうえに、このような興味深い物を届けてきて、「これを私が上京するまでなくさないように、ご覧になっていて下さい」と言ってきたので、「殿は今どこにおいでなのか」と尋ねると、童は、「摂津の国にいらっしゃいます。それで、難波の辺りでこれを見つけられて、お贈りなさったのです」と答えた。
本の妻はこれを聞いて、不審に思い、「これは間違いで、届け先を間違えて持ってきたのだろう」と思ったが、そのまま受け取って、「確かに承りました」とだけ返事させると、童はすぐに走って帰り、摂津の国に行って、主人に、「確かにお届けして参りました」と報告したので、主人は「新しい妻の所に持って行った」とばかり思っていたが、本の妻の所では、届けられた物を見ると、なかなか興味深い物なので、盆に水を入れて前におき、これを入れて楽しく見ていた。

やがて、男は十日ほどして摂津の国から京に帰ってきて、新しい妻に「先日届けた物は、まだあるかな」と微笑みながら尋ねると、妻は「届けられた物などありませんよ。それはどんな物ですか」と尋ねると、男は、「いやいや、小さな蛤の可愛らしい物に海松がふさふさと生えているのを見つけたので、面白い物なので急いで届けさせたのだよ」と言うと、妻は、「そのような物は見ておりません。誰に届けさせたのですか。もしそのような物が届いて居れば、蛤は焼いて食べ、海松は酢の物にして食べましたのに」と言ったので、男はそれを聞いて、自分の思いと違うことに少し興ざめした。
そこで男は外に出て、使いに出した童を呼んで、「お前は、あれをどこに持って行ったのだ」と訊ねると、童は、思い違いをしまして本の妻の所に持って行ったと答えたので、主人は大いに怒り、「今すぐあれを取り返して、すぐに帰ってこい」と責め立てたので、童は、とんでもない失敗をしてしまったと驚き、本の妻の所に走って行き、事の次第を取り次いでもらうと、本の妻は、「やはり、届け先を間違えたのだ」と思って、水に入れて見ていた蛤を急いで取り上げ、陸奥紙(厚手の高級紙)に包んで返したが、その紙にこう書いた。
『 あまのつと 思はぬ方に ありければ みるかいなくも かへしつるかな 』
( 海のお土産は わたしに下さった物では ないそうですから 見て楽しむかいもなく おかえしします )
と。

童はこれを持ち帰り、取り返しててきたことを報告すると、主人は外に出て来て、それを受け取って見てみると、もとのままなので、「嬉しいことに、なくさずに持っていたのだ」と奥ゆかしく思い、室内に持って入り開いてみると、包んでいる紙にこのような歌が書かれていた。
男はそれを見ると、たいそう哀れで悲しく思い、新しい妻が「貝は焼いて食べ、海松は酢の物にして食べる」と言ったことと思い合わせて、たちまち気持ちが変わり、「本の妻の所に行こう」という気持ちになったので、そのままその蛤を持って出かけていった。
きっと、新しい妻が言ったことを、本の妻に語り聞かせたのだろう。そして、新しい妻を見限って、本の妻の所で暮らすようになった。

情緒を大切にする人の心は、このようなものである。まったく新しい妻が言ったことには嫌気がさしたのであろう。
本の妻の風流な心には、夫は必ず返って来るはずである、
となむ語り伝へたるとや。

     
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