雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

千手観音の霊験 ・ 今昔物語 ( 14 - 43 )

2020-02-29 09:05:44 | 今昔物語拾い読み ・ その4

          千手観音の霊験 ・ 今昔物語 ( 14 - 43 )


今は昔、
吉野山に日蔵(ニチゾウ・俗姓は三好氏(905-985)。)という修行者がいた。
その日蔵の師である修行者は、吉野の山といっても、遥かに深い山の奥に入って仏法を修行して、長い間山から外に出ることがなかった。
長年この山に住んで、日夜に千手陀羅尼(センジュダラニ・千手観音の功徳を説いた梵語の呪文。)を誦し続け、他のことには気を移すことなく修行していたが、吉野山の南に当たって深い谷があるが、その聖人はこの谷にやって来て、篠の繁った斜面を分け下って行ったが、以前に見た時には浅くて水も無い谷だと思っていたが、谷には水があり、[ 欠字あるが、不詳 ]に見えるので、「いつもとは様子が違うぞ」と思って、近寄って、「どういう水が、このように出てきたのだろう」と思いながら歩いて行った。

すると、何と言うことか、峰から谷に向かって風が吹き下ろしていたので、その風で人間の匂いをかいだのか、たくさんの大きな蛇どもが背を並べて伏せっているのが、遠くから見ると水のように見えていたのである。
蛇どもは聖人の匂いを嗅ぎ取って、頭を四、五尺ほど皆が持ち上げているのを見ると、背中は紺青か緑青を塗ったようで、首の下には紅の内掻練(ウチカイネリ・砧でよく打って光沢を出した練り絹。)を押したようであり、目は鋺(カナマリ・金属製の器)のようにきらめき、舌は炎のようにはためき動いている。
それを見て聖人は、「もうこれまでだ」と思いながらも、逃げようとしたが、上り斜面なので手を垂直に立てたように険しいので、篠竹を捕まえつつ登るのでなかなか登れない。そのうち、生臭く生あたたかな息がさっと吹きかかってきて、すぐに呑まれないまでもこの息の臭いに酔って死んでしまいそうになった。

そこで、[ 欠字あらしいが、不詳 ]られて、篠を掴まえてうつ伏していると、上の方より大地を揺るがせて下りてくる者がある。蛇の臭いに酔って目も開けられないので、下りてくる者が何者かとも分からないが、その者が近くに寄って来て聖人の肩ひじを掴んで、荒々しく肩に引き担いだ。聖人は、もう一方の手で恐る恐る「何者だろう」と思って手探りすると、大きな牛の鼻木のようで生暖かい。
聖人は、「これは鬼に違いない。自分を喰うために引っさらっていくのだ」と思うと、「どちらにせよ今日死ぬことになるのだ」と思われ、いよいよ気を失いそうになる。

こうして、この鬼は下り坂を走るかのように、上に向かって飛ぶかのように走り登り、遥かな峯に走り着いて、聖人を放り出した。
その時聖人は、「今に喰われるだろう」と思ったが、その気配がない。不思議に思って、恐る恐る「あなたはどなたなのですか」と訊ねると、「我は、実は鳩槃茶鬼(クハンダキ・古代インドの鬼霊説に現れる鬼で、増長天の部下とされる。)である」と名乗った。
それを聞いて聖人は「ありがたい」と思って、目を開けて見てみると、身の丈一丈余りの鬼であった。色は黒く、漆を塗ったようである。頭の髪は赤くて逆立っている。裸で赤い褌をしている。後ろを向いているので顔は見えなかったが、突然掻き消すように消えてしまった。

その時、聖人は「自分が真言を受持しているので、千手観音がお助けになったのだ」と思い、極めて尊く、泣く泣く礼拝してその所を立ち去った。
そして、そこから丑寅(ウシトラ・北東)の方角に真言を誦しながら行くと、岩の中から滝が落ちている所に出た。滝の落ちる様子がとても面白いので、立ち止まってしばらく立って見ていた。五丈ばかりの滝である。岩に木々が生えていて、言いようもなく風情があるので、しばらく立って眺めていたが、この滝が落ち込んでいる滝壺の辺りから、三抱えばかりある岩が上の方に一、二丈ばかり伸び上がった。そのため、滝の長さは短くなる。その様子を見ているうちに、またその岩は引っ込んだ。しばらく見ているうちに、指し出たり引っ込んだりを何度も繰り返した。
「いかなる岩がこのような事をするのだろう」と不可解に思えてしっかりと見守っていると、何と、大きな蛇が滝壺いっぱいに満ちて、頭を水に打たれて指し出したり引き入れたりしているのであった。
「あの大蛇は多くの年を経ているのであろう」と思うと、ぞっとするほど怖ろしくなって、あれはどのような苦しみを受けているのかと哀れに思われ、その蛇のために多くの経を読誦し、千手陀羅尼を誦してその所を立ち去った。

これらの事は、弟子の日蔵が語ったのを、山階寺の林懐僧都(リンカイソウズ)が聞いたといって語ったのを、永昭僧都(ヨウショウソウズ・林懐の弟子)が聞いて語ったものが、このように語り伝えられているのである。
まことに、千手陀羅尼の霊験は尊い。まさしく、護法の善神が現れてそれを受持すものを擁護するのである。
この事は、経文にある通りで、この上なく尊いことである、
とぞ聞く人語り伝へたるとや。

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