枕草子 第二百八十七段 衛門尉なりける者の
衛門尉なりける者の、似而非(エセ)なる男親を持たりて、「人の見るに、面伏せなり」と、苦しう思ひけるが、「伊予の国よりのぼる」とて、浪に落とし入れけるを、
「人の心ばかり、あさましかりれることなし」
と、あさましがるほどに、七月十五日、「盆たてまつる」とて、いそぐを見たまひて、道命阿闍梨、
『 わたつ海に親おし入れてこの主の
盆する見るぞあはれなりける 』
と、よみたまひけむこそ、をかしけれ。
衛門の尉であった者が、ろくでもない父親を持っていて、「世間体も恥ずかしい」と、困った事と思っていたが、「伊予の国より上京する」という時に、波間に放り込んだのを、
「人の心ほど、醜いものだと思うものはない」
と、人々があきれ返っていると、七月十五日に、「盆の供養をする」とて、その男が準備するのを御覧になって、道命阿闍利が、
『 わたつ海に親おし入れてこの主の 盆する見るぞあはれなりける 』
と、お詠みになったそうですが、全く同感でございます。
何とも凄まじい内容です。
「衛門尉」が何者か不明です。おそらく「右衛門尉」のことと思われますが、事実だとすれば、このような話が簡単に流布するとは思われず、病死した者を水葬にしたのが、このように伝えられたのかもしれません。
少納言さまは誰かから聞いたものなのか、当時噂になっていたことなのかもしれません。
衛門尉なりける者の、似而非(エセ)なる男親を持たりて、「人の見るに、面伏せなり」と、苦しう思ひけるが、「伊予の国よりのぼる」とて、浪に落とし入れけるを、
「人の心ばかり、あさましかりれることなし」
と、あさましがるほどに、七月十五日、「盆たてまつる」とて、いそぐを見たまひて、道命阿闍梨、
『 わたつ海に親おし入れてこの主の
盆する見るぞあはれなりける 』
と、よみたまひけむこそ、をかしけれ。
衛門の尉であった者が、ろくでもない父親を持っていて、「世間体も恥ずかしい」と、困った事と思っていたが、「伊予の国より上京する」という時に、波間に放り込んだのを、
「人の心ほど、醜いものだと思うものはない」
と、人々があきれ返っていると、七月十五日に、「盆の供養をする」とて、その男が準備するのを御覧になって、道命阿闍利が、
『 わたつ海に親おし入れてこの主の 盆する見るぞあはれなりける 』
と、お詠みになったそうですが、全く同感でございます。
何とも凄まじい内容です。
「衛門尉」が何者か不明です。おそらく「右衛門尉」のことと思われますが、事実だとすれば、このような話が簡単に流布するとは思われず、病死した者を水葬にしたのが、このように伝えられたのかもしれません。
少納言さまは誰かから聞いたものなのか、当時噂になっていたことなのかもしれません。
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