『 伊周に呪詛の疑い ・ 望月の宴 ( 124 ) 』
さて、尚侍殿(道長の次女妍子)が、東宮(居貞親王)の許に参内なさることが間近になって、お支度をお急ぎである。
このようにして、尚侍殿が参られることになるだろうことは、宣耀殿女御(センヨウデンニョウゴ・娍子。東宮女御でこの時三十八歳。)におかれては、当然こうなるべきことが今まで延びていただけなのだとお思いで、何もおっしゃらないので、「ほんとうにどうなっているのでしょうか。お気にも止めないのでしょうか」なとど、お仕えしている女房たちが噂しあっているが、宣耀殿女御は、「今はただ宮たち(すでに六人の皇子皇女がいた。)のお世話と、その隙には勤行をしようと思っていて、それでは東宮にはお気の毒なことなので、尚侍殿が参られることが良いこのなのだ」などとお思いになっていて、いかにも気にかけていないようになさっているが、やはり我慢なさっているのだが、そうした女御のお心で事態に差し障りがあるわけではないが、そうとは申せ、身分の賤しい者であっても身の程をわきまえず文句を言うものだが、この女御はなかなか無いご立派なお方と見受けられる。
こうして、中宮(彰子)の御事(懐妊)がこのようでいらっしゃるので、殿の御前(道長)は気が気でなくいらっしゃるうちに、いつしか秋になった。
二月以来ご懐妊であられたので、十一月にはご出産と思われていたので、たいそうもの騒がしく、尚侍の御参りは冬になってしまいそうだとお考えである。
こうしている間に、帥殿(ソチドノ・伊周)のあたりから、若宮(敦成親王)を悪し様に申し思っているといったことが最近出来(シュッタイ)して、たいそう聞きにくいことがたくさんあるようだ。まさか本当ではあるまいが、それにしても不都合な事が出てきて、帥殿はますます世の中がおもしろくなくなったとお嘆きである。
「明順(アキノブ・高階氏。伊周の母方の叔父で、伊周と親密であった。)が関わっていることだ」ということになり、大殿(道長)が明順を呼び寄せて、「このような不届きな心を持ってはならんぞ。若宮はこのように幼くていらっしゃるが、然るべき宿命を持ってお生まれになったのだから、四天王がお守り申し上げているだろう。凡人の我らごときであっても、人の憎しみを受けたとしても、そうそう死ぬなどあり得ないことだ。いわんや、並みの果報であれば人がどう言うか、どう思うかによって左右もされようが、格別の宿命をお持ちの若宮であるぞ、お前たちがこのような事をすれば天罰を受けよう。この我がとやかく言うことではないが」とだけ仰せになられたが、たいそう怖ろしく畏れ多いことと恐縮して、弁明申し上げることも出来ずに退出したのである。
その後、明順はそのまま気分が悪くなって、五、六日して死んでしまった。
こうした事もあって、帥殿はますます世間を憚るお気持ちが強くなられる。
同じ死だと言っても、明順が折の悪い時に亡くなってしまったことを、世間の人は、穏やかならぬ事を噂しており、帥殿はどれほどか世の中を生き抜きにくく、情けないものと心を乱しておいでのためか、御心地がふつうでないと思われて、食事などもふつうは進まないはずだが、返って常よりも頻繁にお召し上がりになるので、このただならぬ御有様を、北の方も帥殿ご本人も恐ろしいことだと思ってお嘆きである。
帥殿は、ここ数年の間お出歩きになることもなくなっていらっしゃるが、その間に、古今集・後撰集・拾遺集などをすべて書写本になさった。
このように、やはり並みの人より勝っていて、特に学才が限りなくおありだったからなのであろう。
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