『 平安王朝の絶頂期の大輪の花・馬内侍の生涯を伝えられることが、余りに少ないのが、重ね重ねも残念である。 』
平安王朝における女性ナンバーワンは誰なのか。
( 中略 )
梨壺の五歌仙とは、赤染衛門・和泉式部・紫式部・伊勢大輔、そして、馬内侍なのである。
いずれも当時一流の歌人であり、教養豊かな女房として宮廷内に知れ渡った人物であり、馬内侍もその中に加わって何の遜色も女房だったはずであるが、なぜか、現代の私たちには、正当な評価がなされていないように思われる。
今回は、この大輪の花といえる女房の生涯の一端を覗いてみる。
( 中略 )
当時の貴族層の姫の結婚適齢期は、十五歳前後と推定されるので、三十五歳というのは全盛を過ぎつつある頃と考えられるが、時代を背負って立つことになる若き藤原道長を惹き付けてやまない容色を保っていたことが窺えると思うのである。
真偽のほどはともかく、馬内侍との恋の噂が伝えられている人物は多く、しかも、その身分の高さに驚く。
名前と最高位を列記してみよう。
藤原朝光 大納言
同 伊尹 摂政・太政大臣
同 道隆 摂政・関白・内大臣
同 道兼 関白・右大臣
同 実方 左近中将・陸奧守
同 道長 摂政・太政大臣
同 公任 和歌の大家。大納言
といった具合である。
( 中略 )
馬内侍は、ほどなく宮中を去っている。
「この世をば我が世とぞ思ふ・・・」とまで歌われた道長の絶頂期の頃である。
その後は出家して、宇治院に住んだと伝えられている。
没年は不詳であるが、寛弘八年( 1011 )の頃とも伝えられている。享年は六十余歳と思われる。
平安王朝の絶頂期の大輪の花・馬内侍の生涯を伝えられることが余りに少ないのが、重ね重ねも残念である。
最後に、馬内侍歌集から一首挙げておきたい。
『 飛ぶ蛍まことの恋にあらねども 光りゆゆしき夕闇の空 』
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( 「運命紀行」大輪の花 より )
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