雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

をはらの殿の御母上

2014-04-17 11:00:05 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百八十八段 をはらの殿の御母上

「をはらの殿の御母上」とこそは。
普門といふ寺にて、八講しけるききて、またの日、小野殿に、人々いと多く集まりて、遊びし、詩作りてけるに、
  『 薪樵ることは昨日に尽きにしを
        いざ斧の柄はここに朽たさむ 』
と、よみたまひたりけむこそ、いとめでたけれ。
ここもとは、打聞になりぬるなめり。


「をはらの殿の御母上」と承っております。
そのお方が、普門という寺にて、法華八講を行ったのを人々が聴聞して帰った、その次の日、小野殿(諸説あるも、不詳)に、人々がたいへん多く集まって、演奏したり、作詩したりした折に、
  『 薪(タキギ)樵(コ)ることは昨日に尽きにしを いざ斧の柄はここに朽たさむ 』
と、お詠みになったいうのは、何とも実にすばらしいものです。
このところのものは、又聞きの噂話ばかりが続いたようですね。


「をはらの殿」というのは、何故そう呼ばれたかも含めて諸説あり、今一つはっきりしません。ただ、載せられている和歌は、蜻蛉日記の作者である道綱の母のものなので、「道綱」と考えられます。

「薪樵る・・」の意味は、「薪を拾い水を汲んで法華経を讃嘆するのは昨日で終わりましたよ。今日は、その法楽として、斧の柄が朽ちるまで、時間を忘れて楽しみましょう」といった意。
ただ、「小野」と「斧」が掛詞になっている程度は分かるのですが、実は、上の句は法華経にまつわる故事が引用されており、下の句は晋の王質の故事が引用されているそうです。
道綱の母の教養の高さが窺えますし、少納言さまの最も得意分野のようにも思われますが、なかなか難解です。  

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