下賤な女の功徳 ・ 今昔物語 ( 3 - 21 )
今は昔、
天竺に一人の長者がいた。その家に、屎尿の穢れを清めることを任務としている女(他の文献では、男になっているらしい。)がいた。家の内の多くの人の屎尿を、朝夕に運び清める仕事をして長年を過ごした。
そのため、家じゅうの人は、この女を汚がりさげすんで、たまたま道で出会うと、唾を吐き鼻をつまんで、決して近寄ろうとしなかった。
そうした時、仏(釈迦)はこの女を哀れに思われ、女が屎尿の入った桶を頭に載せていく道で会おうとなされたが、女は恥ずかしく思って藪の中に隠れた。そのはずみで、衣服は汚れ屎尿が身体にかかったので、女はますます恥じ入り、さらに藪の奥に隠れた。
仏は、女を利益(リヤク・哀れみをかけて済度すること。)するために近くにお寄りになって、女を召し寄せて霊鷲山に連れて行き、女のために法を説き、教化(キョウカ・教えさとして、仏道に導くこと。)なされると、女はたちまち羅漢果(ラカンカ・阿羅漢果に同じ。原始仏教における最高の修業階位。)を得た。
長者は、この事(賤しい女を済度したことに対して、釈迦を非難する声が高まっていた。)を聞いて驚き、「仏の御許に参って、非難申し上げよう」と思って、急いで参ろうとしたが、その途中である霊鷲山の前に川が流れている。
その川の中に、大きな石があった。その石の上に女がいて、衣服を洗っていた。
長者が女を見ていると、女は石の中に入ったかと思うと、石の下より現れ、天に昇ったかと思うと地に潜り、光を放って神通を現(ゲン)じた。
長者は、不思議なものを見たと思ったが、そのまま仏の御許に参って申し上げた。「仏は、清浄そのものの御身であられます。汚穢(ワエ・糞尿を指す)・塵垢(ジンク)などには関わらない貴い御身と思っておりましたのに、大変おかしなことをなさいました。どういうわけがあって、わが家の屎尿の世話をしている女を召し寄せられたのでしょうか」と、不満を申し上げると、仏がお答えになられた。「長者よ、来る途中の川で、衣服を洗っている女を見知ってはいないか」と。長者は、「知りません」と答えた。仏は、「光を放って神通を現じるのを見なかったか」と仰せられた。長者は、「確かに見ました」と答えた。
仏は仰せられた。「あの女こそ、そなたの家の屎尿の世話をしていた女であるのだよ。そなたは、財宝は天下に知られるほど満ちていて思いのままであろうが、そなたの果報(カホウ・前世の行いの報い。ここでは、来世のために積んでいる行い、といった意味か。)はあの女より劣っている。あの女は、長年不浄の物を清める功徳によって、すでに羅漢果を得て、光を放つ身となっている。そなたは、貪欲(トンヨク・・財物などを貪り求めて飽くことを知らない欲望。煩悩の最たるものとして、瞋恚・愚痴と共に善心を損なう三毒の一つとされる。)・邪見(ジャケン・因果の道理を認めない過った見解。)により、常に瞋恚(シンイ・激しい怒り。)を起こす。その罪は重くして、地獄に堕ちて多くの苦しみを受けるだろう」と。
長者はこれを聞いて、自分を恥じて家に帰って重ねてきた罪を悔いた、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
今は昔、
天竺に一人の長者がいた。その家に、屎尿の穢れを清めることを任務としている女(他の文献では、男になっているらしい。)がいた。家の内の多くの人の屎尿を、朝夕に運び清める仕事をして長年を過ごした。
そのため、家じゅうの人は、この女を汚がりさげすんで、たまたま道で出会うと、唾を吐き鼻をつまんで、決して近寄ろうとしなかった。
そうした時、仏(釈迦)はこの女を哀れに思われ、女が屎尿の入った桶を頭に載せていく道で会おうとなされたが、女は恥ずかしく思って藪の中に隠れた。そのはずみで、衣服は汚れ屎尿が身体にかかったので、女はますます恥じ入り、さらに藪の奥に隠れた。
仏は、女を利益(リヤク・哀れみをかけて済度すること。)するために近くにお寄りになって、女を召し寄せて霊鷲山に連れて行き、女のために法を説き、教化(キョウカ・教えさとして、仏道に導くこと。)なされると、女はたちまち羅漢果(ラカンカ・阿羅漢果に同じ。原始仏教における最高の修業階位。)を得た。
長者は、この事(賤しい女を済度したことに対して、釈迦を非難する声が高まっていた。)を聞いて驚き、「仏の御許に参って、非難申し上げよう」と思って、急いで参ろうとしたが、その途中である霊鷲山の前に川が流れている。
その川の中に、大きな石があった。その石の上に女がいて、衣服を洗っていた。
長者が女を見ていると、女は石の中に入ったかと思うと、石の下より現れ、天に昇ったかと思うと地に潜り、光を放って神通を現(ゲン)じた。
長者は、不思議なものを見たと思ったが、そのまま仏の御許に参って申し上げた。「仏は、清浄そのものの御身であられます。汚穢(ワエ・糞尿を指す)・塵垢(ジンク)などには関わらない貴い御身と思っておりましたのに、大変おかしなことをなさいました。どういうわけがあって、わが家の屎尿の世話をしている女を召し寄せられたのでしょうか」と、不満を申し上げると、仏がお答えになられた。「長者よ、来る途中の川で、衣服を洗っている女を見知ってはいないか」と。長者は、「知りません」と答えた。仏は、「光を放って神通を現じるのを見なかったか」と仰せられた。長者は、「確かに見ました」と答えた。
仏は仰せられた。「あの女こそ、そなたの家の屎尿の世話をしていた女であるのだよ。そなたは、財宝は天下に知られるほど満ちていて思いのままであろうが、そなたの果報(カホウ・前世の行いの報い。ここでは、来世のために積んでいる行い、といった意味か。)はあの女より劣っている。あの女は、長年不浄の物を清める功徳によって、すでに羅漢果を得て、光を放つ身となっている。そなたは、貪欲(トンヨク・・財物などを貪り求めて飽くことを知らない欲望。煩悩の最たるものとして、瞋恚・愚痴と共に善心を損なう三毒の一つとされる。)・邪見(ジャケン・因果の道理を認めない過った見解。)により、常に瞋恚(シンイ・激しい怒り。)を起こす。その罪は重くして、地獄に堕ちて多くの苦しみを受けるだろう」と。
長者はこれを聞いて、自分を恥じて家に帰って重ねてきた罪を悔いた、
となむ語り伝へたるとや。
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