雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

立派な武器は不吉の道具 ・ ちょっぴり『老子』 ( 36 )

2015-06-19 14:28:48 | ちょっぴり『老子』
          ちょっぴり『老子』 ( 36 )

               『 立派な武器は不吉の道具 』 

武器を用いる場合も恬淡であれ

「 夫佳兵不之器。物或悪之。故有道者不處。君子居則貴左、用兵則貴右、兵者不之器、非君子之器。不得巳而用之、恬惔為上。 」
『老子』第三十一章の冒頭部分です。
読みは、「 それ佳兵は不祥の器なり。物或(ツネ)に之を悪(ニク)む。故に有道者は處(オ)らざるなり。君子居りてはすなわち左を貴(タット)び、兵を用いるは右を貴ぶ。兵は不祥の器、君子の器に非ず。やむを得ず之を用いるも、恬淡を上と為す。 」
文意は、「 そもそも、立派な武器は不詳(不吉)な道具である。誰でも之を嫌う。それ故に、有道者(『道』を体得した者)は武器を用いる地位に身を置かない。君子は、普段は左を貴び、武器を用いるときは右を貴ぶ。つまり武器は不祥の道具であり、本来君子の道具ではないはずである。やむを得ず之を用いるときも、恬淡として用いることが上策である。 」

武器を用いて争うのは君子のあるべき姿ではなく、もしやむ得ず用いる場合も恬淡であれと教えていますが、恬淡というのは「あっさりと」といった意味で説明されていますが、「軍事力で深追いはするな」ということなのでしょう。

戦争は悲哀の場

第三十一章の後半部分の文意は、
「 君子は、戦いに勝っても善しとはしない。善しと考える者があれば、それは人を殺すことを楽しみとするものである。そもそも、人を殺すことを楽しみとするようなものは、天下を治める志を立てたところで、到底かなえられない。
一般に、吉事は左を貴び、凶事は右を貴ぶ。しかるに軍隊では、副将軍が左、つまり高い位置に居り、上将軍が右、つまり低い位置に居るという変則な席の占め方をしている。これは喪礼の時の席の占め方で、軍隊が人を殺す不吉の場所であるから将軍は喪礼法式で身を置いていることを表している。
従って、君子は戦争などで人を殺すことが多い時は、悲哀の真情でそのことを泣き、戦いに勝っても、喪礼を以って処するのである。 」

この章全体は、非戦論というわけではありませんが、立派な武器を持つことが往々にして不幸を生むこと、やむを得ず武器を用いるときも最小限にせよ、と教えています。
ただ、『老子』が生きた時代は、中国の戦国時代であり、諸侯たちに治世の在り方を説く立場でもあったことを考えると、武器をすべて捨てよということは主張できなかったようです。
それでも、二千五百年前の『老子』の時代でさえ、立派な武器は不吉な道具だと心ある人たちは考えており、軍隊組織さえそのような法式を取っていたというのですが、現在に生きる私たちの周辺を見渡した場合、何だか、全く何も前進していないような気がしてしまいます。

     ★   ★   ★


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 道は常に無名 ・ ちょっぴ... | トップ | 強兵で天下は治まるか ・ ... »

コメントを投稿

ちょっぴり『老子』」カテゴリの最新記事