『 詩歌の持つ力 ・ 今昔の人々 』
藤原為時(949 - 1029 ・紫式部の父)は式部丞などを勤め上げていて、受領(国司)になりたいと願っていたが、なかなか望みを達することが出来なかった。
さて、一条天皇の御代のこと、この時の除目においても、願う国への沙汰はおりなかった。
為時はたいそう嘆いて、伝手を頼って、上奏を司る内侍に請願文を奉った。
その請願文には、
『 苦学寒夜紅涙霑襟 除目後朝蒼天在眼 』
( くがくのかんや こうるいえりをうるおす ぢもくのこうちょう そうてんまなこにあり )
「 寒い夜 血涙を絞って 学問に精進したが 除目の選任に漏れ その翌朝 悲しみの眼には 青く澄み切った大空が うつろに映っている 」
という詩句があった。
ところが、内侍は請願文を奉ろうとしたが、天皇は御寝中で御覧にならなった。
その時、藤原道長は関白(正しくは、道長は関白になったことがないが、最高権力者ではあった。)であられたので、除目の修正を行うため参内なさっていて、この為時の誓願について奏上なさったが、天皇は請願文を御覧になっていなかったので、何のご返答もなかった。
そこで、道長は内侍に確認し、天皇が御覧になっていないことを知ると、請願文を持ってこさせて天皇にお見せになったところ、この詩句があった。
道長はこの句のすばらしさに感動して、道長の乳母の子である藤原国盛という人が就任することになっていた越前守を辞めさせて、にわかにこの為時を任じられたのである。
これは、ひとえに請願文の中にある詩句の力によるものだと、人々は為時を褒めたという。
しかし、道長は、この請願文を見る以前に為時の越前守就任を決めているようにみえ、他の力が働いたように思われてならないのである。
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( 「今昔物語 巻二十四の第三十話を参考にしました )
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