雨乞いの修法 ・ 今昔物語 ( 14 - 41 )
今は昔、
[ 欠字。天皇名が入るが、「淳和」らしい。]天皇の御代に、国じゅうに旱魃(カンバツ・日照り)が起こり、すべての作物が焼け枯れてしまったので、天皇はこれをお嘆きになられた。大臣以下、一般大衆に至るまで、これを嘆かない者などいなかった。
当時、弘法大師という方がおいでになられた。まだ僧都であられたが、天皇は大師をお召しになって、「どのようにしたらこの旱魃を止めて、雨を降らせて世の人たちを救うことが出来るか」と仰せられた。
大師は申し上げた。「私の修法の中に、雨を降らす法があります」と。
天皇は「速やかにその修法を行うように」と命じられて、大師の申し出に従って、神泉苑(シンセンエン・皇室の大庭園)において請雨経(ショウウキョウ)の法を行わせた。七日間修法を行っている間、壇の右の上に五尺ばかりの蛇が現れた。見ると、五寸ばかりの金色をした蛇を頭上に載せている。しばらくすると、その蛇はどんどん近寄ってきて池に入った。
その場には、二十人の伴僧が居並んでいたが、その中の高僧といわれている四人にだけはその蛇が見えた。もちろん、僧都(弘法大師)にも見えたが、高僧の中の一人が僧都に「あの蛇が現れたのは、いかなる前兆なのでしょうか」と尋ねた。
僧都は答えられた。「あなたはご存知ないですか。これは、天竺に阿耨達智池(アノクダッチイケ・仏教の想像上の池で菩薩が竜王となって住んでいるとされる。)という池があります。その池に住む善如竜王(ゼンニョリュウオウ)がこの池に通って来られたのです。されば、この修法の効験があることを示されようと出現したのです」と。
そうしているうちに、にわかに空が陰り、戌亥(イヌイ・北西)の方角から黒い雲が現れ、世界(セカイ・人々の住む所。ここでは、「国じゅうくまなく」といった意味。)じゅうに雨が降ってきた。これによって、旱魃は治まった。
これより後、天下旱魃の時には、この大師の流れを受け、この修法を伝えている人によって、神泉苑においてこの修法が行われるのである。そうすると、必ず雨が降るのである。
その時に、修法を勤めた阿闍梨には賞として官位などを賜ることが恒例になっている。
この事は、今に至るまで絶えることなく行われている、
となむ語り伝へたるとや。
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