
3月2日、沖縄県支部「天願」支部長の葬儀に行ってきました。
那覇市内で行われた葬儀の受付には、米元事務局長以下4~5名の支部会員が忙しそうに、そして手際よく進めていました。
私といえば、沖縄式の葬儀の段取り(進め方)に戸惑いながら、故「天願」氏のご冥福をお祈りしてきました。
通常のウチナーの葬儀は300名程度のお参りだそうですが、故「天願」氏の葬儀には700名を越える弔問客で、ここでも人柄が偲ばれます。
生花も祭壇・会場内に収まらず、入口周辺まで飾られていました。
弔電ならびに生花を頂いた、西日本工業大学「菊池」学長・「藤井」後援会長そして各支部の皆さん、ありがとうございました。
喪主「菊枝」さま(妻)のご挨拶
本日は、お忙しい中ご会葬頂き誠にありがとうございました。
主人は、54歳という若さで旅立ちました。本人にとっては残していく子供達、家族、仕事、事務所、さぞ心残りでしょう。常に前向きに進む彼は、公私ともに多くの方の心に足跡を残して行ったと思います。そこにいるだけで場を和ませる明るい性格で、何事にも対しても常に100%を目指し、目標達成のためには努力を惜しむことなく頑張っておりました。「なんくるないさー」が口癖で、辛いときには酒を相手に自分に語りかけ、問い、答えを導き次に進む。常に繰り返しの人生でした。時には、弱音を吐くことがありましたが、そんな時には、子供たち(4人)の存在が支えであったようです。
父親として厳しく、時には優しく愛情を注いでくれた最高の父親でもありました。
私にとりましては、夫として人生のパートナーでもあり、共に仕事をしてきた同志でした。人生80年とすれば、その時間に値するであろう時を共に歩んで来たと考えます。
彼の思い残したことや、遣り残したことを少しでも叶えるべく、家族共々人生を歩んでまいりたいと存じます。
皆様からの温かいご厚情に感謝し、ご挨拶申しあげます。
那覇市内で行われた葬儀の受付には、米元事務局長以下4~5名の支部会員が忙しそうに、そして手際よく進めていました。
私といえば、沖縄式の葬儀の段取り(進め方)に戸惑いながら、故「天願」氏のご冥福をお祈りしてきました。
通常のウチナーの葬儀は300名程度のお参りだそうですが、故「天願」氏の葬儀には700名を越える弔問客で、ここでも人柄が偲ばれます。
生花も祭壇・会場内に収まらず、入口周辺まで飾られていました。
弔電ならびに生花を頂いた、西日本工業大学「菊池」学長・「藤井」後援会長そして各支部の皆さん、ありがとうございました。
喪主「菊枝」さま(妻)のご挨拶
本日は、お忙しい中ご会葬頂き誠にありがとうございました。
主人は、54歳という若さで旅立ちました。本人にとっては残していく子供達、家族、仕事、事務所、さぞ心残りでしょう。常に前向きに進む彼は、公私ともに多くの方の心に足跡を残して行ったと思います。そこにいるだけで場を和ませる明るい性格で、何事にも対しても常に100%を目指し、目標達成のためには努力を惜しむことなく頑張っておりました。「なんくるないさー」が口癖で、辛いときには酒を相手に自分に語りかけ、問い、答えを導き次に進む。常に繰り返しの人生でした。時には、弱音を吐くことがありましたが、そんな時には、子供たち(4人)の存在が支えであったようです。
父親として厳しく、時には優しく愛情を注いでくれた最高の父親でもありました。
私にとりましては、夫として人生のパートナーでもあり、共に仕事をしてきた同志でした。人生80年とすれば、その時間に値するであろう時を共に歩んで来たと考えます。
彼の思い残したことや、遣り残したことを少しでも叶えるべく、家族共々人生を歩んでまいりたいと存じます。
皆様からの温かいご厚情に感謝し、ご挨拶申しあげます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます