先日、国立駅ロータリー前で、無駄遣いのまちづくりではなく、市民の声を生かしたまちづくりを求める署名活動に参加しました。途中で雨が降ってきて中止になったけど、結構、たくさんの方が立ち止まって話を聞いてくださいました。
153億円をかける都市計画道路や大型ビル建設の大型開発をするために借金を増やしたり、市民の負担を増やしてるときでないと思います。
保育園の耐震工事や老朽化した小・中学校のトイレの抜本改修、など緊急の課題があるのに、それはしないで、なぜ国立駅周辺の大型開発だけは借金を増やして進めるのか、
おかしいと思いませんか。
障害者自立支援法を障がい者当事者の意見を反映させて改定していくと公約していた民主党政権。
今回も口だけ。というか、名前、看板を変えただけの法案が成立。
障がい者は好きで障がいを抱えているわけでも、悪いことをたから障がいを持ったわけでもありません。
障がいを持って生まれたあるいは、事故や病気や高齢で障がいを持ったというだけで、おおきなリスクがあります。
たとえば、普通ならばトイレをするのも、お風呂に入るのもふつうの人ならお金は要りません。
でも、障がいをもったら、トイレにいくのも支援法を利用しなければならない。支援法は応益負担だから、お金がかかる。
ヒドイじゃありませんか。
だれでも人間らしく生きる権利を保障されるべき。
応益負担は、やめてという障がい者の声が反映されませんでした
かわいいでしょ~
もちろん私の子どもじゃありません。
私の従姉のお孫ちゃん
赤ちゃんを久しぶりに抱っこして、あ~ついこの間だったのに~と
泣いて大変で、抱っこばっかりしていたあの頃が懐かしかったです。
赤ちゃん、ほしいなあ~、もう子ではなく、孫をもつ『年代』かぁ
特別支援学校を卒業した娘は、学校のようなところに行きたい、自立できる力をつけたいという願いを持ったので、
やっとみつかった施設に入所できました。
今まで、自分一人で彼女をかかえていかなければ、でも母子家庭だからしっかり働かなくては生活できない、
手をたくさん必要とするのに手をかけられないというジレンマと焦りがありました。
そんな風に思って抱え込んでいる人もたくさんいるのでは。
でも、子どもは親の力だけでは限界。ましては一人親では。
社会に育ててもらうことも必要とだんだん考えられるようになり、
自立への道を歩ませてくれる施設に出会えたことは感謝です。
でも、今まで彼女中心に回っていた生活が一変して、私の体の一部が亡くなったような変な感じ。
そして、ずっと一緒にいると思っていたから、お風呂に入れなきゃ、送っていかなくきゃ、とか、20年近く続いてきたことがふっとなくなると
やっぱちょっと複雑です。
今頃どうしてるかな~と考えてしまいます。
22日に家族会があるので迎えに行って、きっと成長している娘に会って、久しぶりに何を食べさせてあげよかな~と思いめぐらしてます。
ここで、一つ今の制度の矛盾にぶつかりました。
18歳で入所した場合、本人には何の収入もないので、親の収入に対しての負担がかかります。
けれども、すべての障がい者手当や母子手当はなくなります。手当では扶養していないとみなされて、手当はなくなる。
それはそうでしょう。
でも、矛盾しているのは、「扶養していない」とみなす親が、その施設の入所に関わる負担は支払うことになります。
18歳のしょうがいしゃは、施設に入って学びたいとかグループホームに入りたいというときに、法律の狭間にあって、親は扶養していないとみなされながら、
親がその代金を支払うシステムになっています。
施設やグループホームを利用するのは、20歳になってからでないと大変だと聞いてたのはほんとだったんだと思いました。