更新日:2022/06/02・公開日:2021/10/20
◆三社の八幡神社
粕壁宿には春日部八幡神社、東元新宿の八幡神社、そして、この東八幡神社と八幡神社が三社あります。今回は、その内の一社東八幡神社をご紹介します。
日光道中粕壁宿の入口近くには、前回ご紹介した八坂神社がありますが、その北東に鎮座しているのが、この東八幡神社です。
4号国道に面した東八幡神社の参道
一ノ鳥居
正面に見えるのが東八幡神社
当神社は誉田別尊(ほんだわけのみこと、第十五代応神天皇)をお守りする市内有数の古社で現在の氏子区域(旧町名)は元町、本町、三枚橋、一宮町、大砂、東町、川久保及び太田の八町内であります。
東八幡神社は、古き昔から氏子の人々を始めとして近郷近在の多くの人達から下(しも)の八幡様の愛称で親しまれ、篤(あつ)い崇敬を集めてまいりました。
口碑(こうひ)によると京都「男山(おとこやま)に鎮座(ちんざ)すきる「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)」から分霊を勘請し、氏神としてお祭りしたものと伝えられており、家内安全、商売繁盛、五穀豊穣、厄除開運の神として広大なご神徳を輝かしめております。
文化財
◎本殿(ほんでん)の彫刻(ちょうこく)
本殿に残された彫刻はすばらしく県内神社のなかでも貴重なものである。
◎大神輿(おおみこし)
大神輿は隔年ごとの秋の例大祭に氏子町内を巡幸し、そのさいには必ず元新宿八幡神社に渡御(とぎよ)する習しとなっている。
◎獅子頭(ししがしら)
約三〇〇年前から伝わる大きな獅子頭一対は神輿と一緒に渡御する習しである。
◎随神像(ずいしんぞう)
右大臣・左大臣一対の随神像が安置され、本殿をお守りされている。
案内板の通り、当初は、下の八幡神社と言われたそうですが、土地の人たちは「下」を嫌い、敢えて「東」に変え東八幡神社としたとも言われています。
◆粕壁宿と共に
なお、郷土史家の須賀芳郎氏は、
由緒・沿革鎮座年月日は不詳なれど、口碑によれば、粕壁宿が元和年中に【一、六一五】日光街道の宿駅としてさだめられ、駅業務が始まった時、上宿・仲宿と共に新宿組が組織され、元新宿【当時は新宿】の住民が二、三男を残してこの地に転居し、宿場業務の旅篭屋・伝馬制度の夫役等に従事するようになり、関根家もこの地に転居して旅篭屋【仙台屋…仙台藩の御用宿を勤めるようになった。】を開業した。関根家の信仰する八幡宮をこの地に祠ることとなり、石清水八幡宮のご分靈を勧請したと伝えられている。『新編武蔵風土記稿』には、「八幡社」誉田別尊を祭る。と記されている。『武蔵国郡村誌』には、八幡社「村社」大砂にあり、誉田別尊を祭る。祭日九月( 引用:ふるさと春日部『春日部の神社/東八幡神神社』須賀芳郎/著/1996年)
とお書きなっています。
案内板には当社の由緒などの記載がないので、はっきりした鎮座年などはわかりませんが、約300年前の獅子頭があるとのことですので、須賀氏の説の通り、江戸時代初期に鎮座したことは間違いないと思います。
以来、この土地(宿場)の氏神様として人々の篤い信仰をあつめて来たことは間違いありません。
なお、『武蔵国郡村誌』にある「大砂」と言われる字名は、粕壁宿成立の時、下八幡社の大門と現八幡橋通りの東側の砂塚という集落が合併して伝馬組織を作ったのでそれぞれの頭文字をとって「大砂」と称えたものとのことです。
次回に続く…
【東八幡神社】