教会やハイセンスなお店や レストラン 小洒落た旧軽井沢の町並み・・
地元の人は旧道と呼ぶけれど 今 この街の通りで見かけないもの・・ お魚屋さん
魚国さん 魚文さん 魚元さん 川村魚屋さん・・・ 昭和50年頃までは 旧道だけでも 何軒もあったんだ
どのお店にも若い衆の気配があって とても高齢化で廃業したっていうんじゃないと思うけれど
いつしかお魚屋さんが一軒も無くなったんだ・・
お魚屋さんていうのは お店の人が切ったり並べたりしながら お刺身の盛り合わせだけでなく
お客さんから頼まれれば仕出し料理といって お膳に並ぶひと通りの
気の利いた皿小鉢モノをしつらえることが出来て 折詰料理なんかも引き受けていたんだ
待っているだけでは 足の速い生魚を売り捌く事は出来ないから 「御用聞き」や「配達」もしていた
避暑地という 避け様のない山国で 日頃選りすぐった魚介類を食べつけている避暑客相手に
お魚屋さんの苦労は 大変だっただろうね
冷蔵庫の進化や 輸送手段は劇的に発展したけれど
スーパー・マーケットの浸透なども並走して お魚屋さんは見なくなった
他にも新道と呼ばれる軽井沢駅前の商店街にも 中軽井沢にも2軒以上のお魚屋さんがあったけれど今は見かけなくなったね
今の日本では どこの街でも こんなですか?
魚屋が無くなってしまった
ツルヤの前身が魚屋だったとか
魚屋が無くなったのは、軽井沢だけではないな
全国的
昔はどの地方でも商店街があった
地域の住民のために魚屋、肉屋、八百屋、雑貨屋、乾物屋などの商店街があった
だから住民は商店街に行けば、歩いていけば買物は間に合った。何でも買えた
一軒でも欠けると不自由なんだな
今じゃ、車でス-パ-に行く
ス-パ-が魚屋や八百屋を取り込んでしまった
それと冷凍技術が飛躍的に進歩した
すし屋も昔は冷凍技術が無かったから江戸前の寿司だな
手を加えて勝負する
今じゃ、新鮮さだけで良い
生は旨い
でも飽きる
倉本聡は年に何回か京都へ行って喰うと
それとイノちゃんも言ってるように輸送だな
市場はどうなったのだろうか
市場は残っていると思うがの
軽井沢では肉屋は残っている
中軽のサトウ、御代田のカタヤマとか
とにもかくにも、商店街はその地域の住民が育てるものだな
政治も同じだな
良い町には、商店街そして川があるな
残っている