これは私見ですが、コレクションと言うものは、知・情・意という
人間のこころの三要素がはたらいているような気がします。
人間のこころの三要素がはたらいているような気がします。
知(智)にはたらけば、角が立つ。
情にさおさせば、ながされる。
とかくこの世は住みにくい。
情にさおさせば、ながされる。
とかくこの世は住みにくい。
といった、コマーシャルも昔ありましたが・・。(笑)
特に、知と情は、直接コレクションの方向や中味を決める決定打になりますので、
わたしは、ときどき自己点検をするようにしています。
それで、こういう南蛮伊万里は、最近は控えるようになりました。
わたしは、ときどき自己点検をするようにしています。
それで、こういう南蛮伊万里は、最近は控えるようになりました。
知にはたらき過ぎると、わたくし自身、どうしても、
あとで冷静に考えると、どうでもよい作品を集めてしまうと言う、反省点に立っています。
知とは、知識や知的な面白さにたったコレクションのことです。
あとで冷静に考えると、どうでもよい作品を集めてしまうと言う、反省点に立っています。
知とは、知識や知的な面白さにたったコレクションのことです。
一例でいうと、江戸期に西洋人や象の図柄は、面白いという知的な興味に立脚した発想です。
それも蒐集の大事な要素には、違いないのですが、こだわりすぎると私の場合、最終的には、美しさよりも、
その図が描いてあれさえすれば、満足してしまうという結果になりがちです。(笑)
それも蒐集の大事な要素には、違いないのですが、こだわりすぎると私の場合、最終的には、美しさよりも、
その図が描いてあれさえすれば、満足してしまうという結果になりがちです。(笑)
情にさおさせば、流される。
かといって、美しいと思うものを何でもコレクションをしていては、
それも面白いと思いますが、色々な意味で、やや統一感が失われます。
それら、知や情にブレーキを掛けたりアクセルを踏んだりするのが、意という事でしょうか。
それも面白いと思いますが、色々な意味で、やや統一感が失われます。
それら、知や情にブレーキを掛けたりアクセルを踏んだりするのが、意という事でしょうか。
骨董や美術品は、人によって美意識も違いますので、他人のコレクションはなんとも言えません。
'''これは、いま、のべた反省の上たっているコレクションです。(笑)
このお皿も、幕末くらいのものでしょうか。
このお皿も、幕末くらいのものでしょうか。
色彩は、あまり美しいとは言えませんが、象が珍しくて買いました。
いまなら、多分買わないと思います。
比較的きれいに写っていますが、使用感がけっこうあります。'''
いまなら、多分買わないと思います。
比較的きれいに写っていますが、使用感がけっこうあります。'''
幕末のころ
直径約、35cm高さ約3,5cm