しばらく、と言うかかなり間が空いてしまいましたが、連載を再開します。復活最初のテーマは「注染」。以前にも取り上げていますが、ゆかたの歴史を俯瞰しながら、今回は新たな写真も加え、「注いで染める、注染」の染め工程にこだわり紹介してゆきます。ご購読頂ければ幸いです。取材に際し、ゆかたの三勝(株)、伊勢保染所にご協力頂きました。
1-ゆかたの歴史
ゆかたは、平安時代や鎌倉、室町時代の入浴時に貴族や武士階級が着ていた「 湯帷子」が起源とされています。帷子(かたびら)というのは、麻のきものをいい、当時の風呂は土で出来た蒸し風呂なので、火傷しやすく、そのため湯帷子を着て入りました。また一説には、寺院の浴堂では、大勢の人が入浴するため、風紀衛生上よくないという理由で、入浴者は仏典にしたがって、必ず明衣(あかは)という、白布の衣をまとって入浴していたそうです。その着物を湯帷子(ゆかたびら)と呼んでいたことから、湯帷(ゆかた)となり、浴衣、ゆかたと呼ぶようになったという説もあります。現在のような湯船に入る入浴方法が普及したのは、江戸時代後期に浮世風呂が考案されてからです。これによって入浴用に使われていた浴帷子は、麻から肌触りの良い木綿が風呂上がりに着る簡単なきものとして着られるようになり、さらには着心地の良さが好評で、ちょっとした外出着、夏場のきものへと変化してゆき、さらに秋から冬場には長襦袢代わりに重ね着として、さらに古くなると寝間着、おしめ、ぞうきんなどにフル活用され、江戸っ子の暮らしに欠かせないものとなりました。ゆかたが江戸時代後期に普及した要因としては、以下の4点があげられます。
1/木綿の生産量の拡大
2/浮世風呂の普及
3/度重なる倹約政策の施行
4/歌舞伎人気