先週、10月28日の朝のことでした。地元紙である宮崎日日新聞の第1面を目にして、愕然といたしました。
日本国内はもとより、海外からも高い評価と注目を集めていた宮崎市在住のイラストレーター、生賴範義さんがお亡くなりになった、というのです。享年79歳。前日の27日に肺炎のためお亡くなりになったとのことでした。
数多くの映画ポスターや書籍の表紙イラストなどを手がけてこられた生賴さん。細部までゆるがせにしない緻密な技法で描かれる、イマジネーションを刺激してやまない作品に、わたくしも長らく魅了されてきました。
昨年、そして今年には、これまでの生賴さんの画業を振り返る大々的な展覧会が宮崎市で開催され、あらためてその業績が多くの人たちの目に触れることになりました。わたくしもじっくり鑑賞し、それぞれについての紹介と感想を拙ブログに綴らせていただきました。
「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」を観に行く
みやざきアートセンターで「生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊」をじっくりと観る
SF好きの端くれとして、そして宮崎市という九州の一地方から、日本のみならず世界に向けて素晴らしい作品を発信し続けた生賴さんを、宮崎に住む人間の一人としても敬愛してやまなかったわたくし。訃報を知ってから数日は、仕事が終わったあとは喪失感から何もする気になれませんでした。2回にわたる「生賴範義展」のときに購入しておいた図録(いずれも宮崎文化本舗・刊)を酒を飲みながらめくり、その偉業を偲び続けていました。
生賴さんの名前が日本に、そして世界に知れ渡るきっかけとなったのが、映画『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(エピソード5、1980年)のポスターアートでした。シリーズ第1作となった『スター・ウォーズ 新たなる希望』(エピソード4、1977年)が日本で公開されたとき、徳間書店の出版物のために描かれた映画の口絵イラストを目にした監督・プロデューサーのジョージ・ルーカスが、自ら直々に生賴さんに依頼したのが『帝国の逆襲』のポスターでした。緻密で的確な描写力により、作品の世界観を1枚に凝縮させたような生賴さんの作品は、一般のファンはもちろんのこと、もととなる映画を生み出したクリエイターをも深く魅了したのです。
『スター・ウォーズ』シリーズをはじめとして、生賴さんはたくさんの邦画・洋画の宣伝ポスターやイメージイラストを手がけてこられましたが、特撮映画好きとしては1984年の『ゴジラ』を皮切りに手がけてきた、平成ゴジラシリーズ10作品のポスターアートに魅了されました。
とりわけ、新宿の高層ビル群を見下ろしながら咆哮するゴジラを描いた、1984年版『ゴジラ』のポスターアートは、当時中学生だったわたくしを虜にした傑作でした。昨年開催された最初の「生賴範義展」でこのポスターの原画を見たとき、あたらめて震えがくるような感銘が湧き上がったものでした。
(以下の画像は、生賴範義展の図録から引用させていただきました)
これまで多くの優れたイラストレーターがゴジラを描いてきていますが、わたくしは今でも、生賴さんが描いた荒々しい魅力に溢れたゴジラが一番カッコいいと思っていますし、これからもわたくしの中でゴジラのイメージとして生き続けていくことでしょう。
生賴さんは書籍・雑誌のイラストも数多く手がけてこられました。特に有名なのが、小松左京さんや平井和正さんといった、日本を代表するSF作家の著書の表紙イラストです。小松さんは自らの著書を飾った芸術性豊かな生賴さんのイラストを見て、はじめはそれが日本人画家の手になるものだとは思えなかったとか。平井さんも、代表作である『ウルフガイ』シリーズの装画に描かれた主人公・犬神明のイメージがことのほかお気に入りだったといいます。
書籍や雑誌のイラストでは、作品の世界観を凝縮した緻密な画風のほかにも、作品に合わせて多彩な作風でイラストを描いておられたことを、2回にわかる展覧会で知ることができました。
生賴さんが描いてきた書籍や雑誌、出版広告のイラストは、間違いなく日本の出版文化を支え、高めてきたと思います。そのことにも本好きの端くれとして、そして書店で働く人間の一人として、深い敬意を抱いております。
今年開催された2回目の生賴展で、深く心に刻まれたのが、日中戦争やベトナム戦争などの戦場写真をモティーフにしたオリジナル作品数点でした。幼い頃に空襲を体験した生賴さんの、人間を破壊する戦争に対する強い思いがストレートに伝わってきて、しばしその場を離れることができませんでした。
戦後70年という節目の年に、それらの作品に接することができたことは実に意義深いことだったと、あらためて思います。
質量ともに圧倒される生賴さんの作品群を振り返って驚かされるのは、主要な作品の多くが、1973年に宮崎市へ居を移してから生み出されたものだということです。『スター・ウォーズ』シリーズやゴジラシリーズのポスターアートも、すべて宮崎のアトリエから生み出されました。
正直に申し上げて、九州の一地方たるわが宮崎は文化的な面において、大都市圏に比べるとあまりに貧弱だと言わざるを得ないところがあります。しかし、そんな地方からであっても、人を得ることで質の高い発信をすることは可能であるということを、生賴さんは教えてくださったように思います。そのことにも、宮崎に住むものの端くれとして、深い敬意と感謝の念を覚えております。
こうしてあらためて振り返ってみても、生賴さんが遺したものの大きさ、素晴らしさが、より一層輝きを増して迫ってくるのを感じます。
いま一度、生賴さんが絵筆を取ることができる日を心待ちにしていただけに、ご逝去はまことに残念ですし、喪失感も大きいものがあります。
ですが、生賴さんが生み出した作品の数々は、これからも永遠に色褪せることなく、多くの人びとに伝説として語り継がれていくことでしょう。
生賴さん、お疲れさまでした。そして、本当に、本当にありがとうございました!
日本国内はもとより、海外からも高い評価と注目を集めていた宮崎市在住のイラストレーター、生賴範義さんがお亡くなりになった、というのです。享年79歳。前日の27日に肺炎のためお亡くなりになったとのことでした。
数多くの映画ポスターや書籍の表紙イラストなどを手がけてこられた生賴さん。細部までゆるがせにしない緻密な技法で描かれる、イマジネーションを刺激してやまない作品に、わたくしも長らく魅了されてきました。
昨年、そして今年には、これまでの生賴さんの画業を振り返る大々的な展覧会が宮崎市で開催され、あらためてその業績が多くの人たちの目に触れることになりました。わたくしもじっくり鑑賞し、それぞれについての紹介と感想を拙ブログに綴らせていただきました。
「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」を観に行く
みやざきアートセンターで「生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊」をじっくりと観る
SF好きの端くれとして、そして宮崎市という九州の一地方から、日本のみならず世界に向けて素晴らしい作品を発信し続けた生賴さんを、宮崎に住む人間の一人としても敬愛してやまなかったわたくし。訃報を知ってから数日は、仕事が終わったあとは喪失感から何もする気になれませんでした。2回にわたる「生賴範義展」のときに購入しておいた図録(いずれも宮崎文化本舗・刊)を酒を飲みながらめくり、その偉業を偲び続けていました。
生賴さんの名前が日本に、そして世界に知れ渡るきっかけとなったのが、映画『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(エピソード5、1980年)のポスターアートでした。シリーズ第1作となった『スター・ウォーズ 新たなる希望』(エピソード4、1977年)が日本で公開されたとき、徳間書店の出版物のために描かれた映画の口絵イラストを目にした監督・プロデューサーのジョージ・ルーカスが、自ら直々に生賴さんに依頼したのが『帝国の逆襲』のポスターでした。緻密で的確な描写力により、作品の世界観を1枚に凝縮させたような生賴さんの作品は、一般のファンはもちろんのこと、もととなる映画を生み出したクリエイターをも深く魅了したのです。
『スター・ウォーズ』シリーズをはじめとして、生賴さんはたくさんの邦画・洋画の宣伝ポスターやイメージイラストを手がけてこられましたが、特撮映画好きとしては1984年の『ゴジラ』を皮切りに手がけてきた、平成ゴジラシリーズ10作品のポスターアートに魅了されました。
とりわけ、新宿の高層ビル群を見下ろしながら咆哮するゴジラを描いた、1984年版『ゴジラ』のポスターアートは、当時中学生だったわたくしを虜にした傑作でした。昨年開催された最初の「生賴範義展」でこのポスターの原画を見たとき、あたらめて震えがくるような感銘が湧き上がったものでした。
(以下の画像は、生賴範義展の図録から引用させていただきました)
これまで多くの優れたイラストレーターがゴジラを描いてきていますが、わたくしは今でも、生賴さんが描いた荒々しい魅力に溢れたゴジラが一番カッコいいと思っていますし、これからもわたくしの中でゴジラのイメージとして生き続けていくことでしょう。
生賴さんは書籍・雑誌のイラストも数多く手がけてこられました。特に有名なのが、小松左京さんや平井和正さんといった、日本を代表するSF作家の著書の表紙イラストです。小松さんは自らの著書を飾った芸術性豊かな生賴さんのイラストを見て、はじめはそれが日本人画家の手になるものだとは思えなかったとか。平井さんも、代表作である『ウルフガイ』シリーズの装画に描かれた主人公・犬神明のイメージがことのほかお気に入りだったといいます。
書籍や雑誌のイラストでは、作品の世界観を凝縮した緻密な画風のほかにも、作品に合わせて多彩な作風でイラストを描いておられたことを、2回にわかる展覧会で知ることができました。
生賴さんが描いてきた書籍や雑誌、出版広告のイラストは、間違いなく日本の出版文化を支え、高めてきたと思います。そのことにも本好きの端くれとして、そして書店で働く人間の一人として、深い敬意を抱いております。
今年開催された2回目の生賴展で、深く心に刻まれたのが、日中戦争やベトナム戦争などの戦場写真をモティーフにしたオリジナル作品数点でした。幼い頃に空襲を体験した生賴さんの、人間を破壊する戦争に対する強い思いがストレートに伝わってきて、しばしその場を離れることができませんでした。
戦後70年という節目の年に、それらの作品に接することができたことは実に意義深いことだったと、あらためて思います。
質量ともに圧倒される生賴さんの作品群を振り返って驚かされるのは、主要な作品の多くが、1973年に宮崎市へ居を移してから生み出されたものだということです。『スター・ウォーズ』シリーズやゴジラシリーズのポスターアートも、すべて宮崎のアトリエから生み出されました。
正直に申し上げて、九州の一地方たるわが宮崎は文化的な面において、大都市圏に比べるとあまりに貧弱だと言わざるを得ないところがあります。しかし、そんな地方からであっても、人を得ることで質の高い発信をすることは可能であるということを、生賴さんは教えてくださったように思います。そのことにも、宮崎に住むものの端くれとして、深い敬意と感謝の念を覚えております。
こうしてあらためて振り返ってみても、生賴さんが遺したものの大きさ、素晴らしさが、より一層輝きを増して迫ってくるのを感じます。
いま一度、生賴さんが絵筆を取ることができる日を心待ちにしていただけに、ご逝去はまことに残念ですし、喪失感も大きいものがあります。
ですが、生賴さんが生み出した作品の数々は、これからも永遠に色褪せることなく、多くの人びとに伝説として語り継がれていくことでしょう。
生賴さん、お疲れさまでした。そして、本当に、本当にありがとうございました!
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