レイ・チャールズ。
そんなに大好きだったわけでもない。
やけに洗練されたメロディーに違和感を覚えてたいたんだ。
ゴスペルをエンタメ化した一人。
あの頃、みんながチャレンジしていたんだけれど、うまくは行かなかったんだね。
映画「Ray」を観てその謎が 解けた。
アメリカ黒人にとっては、とても神聖な音楽なんだ。
そんなことは解りきってはいたけれど、いや、解っていなかったんだ。
信仰の 意味は僕が想像するより、遥かに重く、日々の生活の中に息づいていたんだ。
誰はばかることなく喚き散らし、ショービジネス化し金儲けを企むのは
「悪魔」なんだよ。
しかも、とびっきりのヤツなのだ。
おまけにレコードが売れれば売れるほどパッシングボルテージは上がる。
ひとはおかしなもので、周りからの反発が強ければ強いほど、ご当人は強くなれるものなんだ。
しかも、エネルギーはいらない。
ストレスは感じるけれどね。
他力の効用とも言うべきものなのだろう。
目が見えないことのハンディは逆に音楽の才能を開花させ研ぎ澄ませる方向へと向かう。
「盲導犬も杖もなくて、どうして一人で歩けるんだ?」
そんな質問に、彼は平然と答える。
「キミはどうして一人で歩けるんだ?」
そして、さらに言う。
「僕にとって耳が眼なんだ・・・・」
そんなことをどれだけ早く学ぶかが大切だとも言う。
彼の母親は賢い女だった。
緑内障でやがて眼が見えなくなるとわかった時、彼の母親を決断するのだ。
一人で生き抜くために何を教えなければならないか。
そして、息子にしっかりと伝える。
「二度までは助ける。でも、3度目は助けないよ」
それは「耳」が「眼」だということ。
ドジれば命が亡くなることもあり得る。そのドジを踏んだ時の決心さえしてしまっている。
優しさは強さだと思う。覚悟できるかどうかだ。
そして、歌手として成功を収めるのだ・・・・・
でも、本当に幸せだったのかと言えば・・・。
余りにもうしなったものが多すぎたんだ。