爽快な目覚めではなかった。
とても厭な夢を見続けていたようだし、昔の女もやたらと登場したし、そのすべてが冷たかった。
それは仕方のないことだ。
冷ややかな視線は僕の専売特許だったし、
今更、悔い改めると言ったところで、誰も信じはしない。
冷徹な人間は最後まで冷たさの鎧を脱いじゃいけないんだ。
小鳥の囀りと、猫の鳴き声。
薄日がダイニングルームに差し込んでいる。
風景はあくまで爽やかで僕はひとしきりあくびをして、たくさんの空気を吸い込んだ。
朝食は、いつものそば粉のクレープにベーコン目玉焼きが一個乗っかっている。
ケチャップはかけない。シリアルに野菜を入れて搾りたての牛乳をかける。
豪勢な朝食だった。
いつものように午前10時30分にクルマのエンジンをかけた。
さて、どちらへ向かうか?
「修善寺」そんな声が聞こえた。
昨夜の雪が嘘みたいに、青空が広がっている。
そして、ホテルのそばにある「箱根湿生花園」へ行った。
5日ほど前に冬の休みを終えてOHPENしていた。
でも、花はどこにも咲いていなかった。植木職人と思える人々が忙しそうに木に登ったり苔の手入れをしていた。
なんだか、とても安定した表情をした人たちばかりで嬉しい気分になった。
落ち着いた人の顔を見るのは久しぶりだった。
小一時間の散歩は、寒さが戻った所為か頭痛を引き起こし始めた。
「ヤバイ!」
気が付くのが遅かった。
目の前が暗くなる。呼吸がしんどい。
慌てて、胃袋の中の酸素を掃出し、両手を頭上高く伸ばし、腹を膨らませて酸素を吸入した。
昏倒は避けられた。しかし、目の前は明るくならない。
腹式呼吸を10回続けた段階で、明るくなった。
そして、誰もいない駐車場からクルマを出し、修善寺に向かった。
その宿は、修善寺の温泉街の端っこにあった。
高級料亭風の造りは門構えを立派にしたせいで安っぽく見えた。
宿の前にたむろする下足番の爺さん愛想がいい割には動きが鈍い。
駐車場は宿のすぐ前の砂利を敷き詰めたスペイスなのに案内をしてくれない。
僕を客だと思っていないようだ。
宿帳への記入はお部屋で、と、仲居に案内され15畳ほどの部屋に通された。
そして二間ほどの大きなガラス戸の向こうには横に広がった大きな池があった。
驚いたことに能舞台までがあった。
幻想的だ。幽玄の世界を感じた。
狂言は分かりやすく面白いと感じることはあっても能は何も感じなかった。
しかし、この能舞台には怪しげな空気がまとわりついている。
邪悪さと寛容さが渾然一体となったねっとりと僕の身体にまとわりつく気がした。
少しだけ、怖い。
嫌なものを遠ざけるのは当たり前だし、できるだけ近寄らぬように心がけてはいる。
しかし、そんな厭ものに限って惹かれてしまうケースが、ここ最近になって僕に纏わりついている。
哀しみは人の心を曳きつけ、後悔させようとしているのだろう。
大浴場に入る気がしなくなって貸切風呂に入った。
胸のザワザワは収まり、夕食の時間まで、一角に設えられたブックギャラリーで写真集を眺めて過ごした。
稲城功一の「中村吉衛門」。
見事な写真集だった。男の色気はコヤツのためにあるようなものなのだ。
そして、新玉葱を一個丸ごと食べた。
とても、とても旨かった。
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