天守内部2階
↑ 2階は中央部分に武具の間があり、三方に武器や具足を置く武具棚がめぐっている。
戦国時代に築城されただけにあって“戦”を考えた造りになってますよね。姫路城や彦根城に登城したことがありますが、武器や具足を置く為だけの部屋はなかったような気がします…?
今の武具の間には日本100名城とされている各お城の写真が展示してありました。
↑ 武具の間の周りは2間巾の武者走りになっている。
画像では分かりにくいですが、高さ5メートルの天井になり、戦国時代は槍が主力武器だった為、それを有効に使えるようにと高くなっているそうです。
↑ 2階から望む景色
天守内部3階
↑唐破風の間
南北に唐破風の間を配置し、東西を千鳥破風となっている。天守築城当初はなく、1618年(元和4年)~1687年(貞享2年)の70余年の間に成瀬城主が装飾として増築したものと伝えられている。
3階は天井が低かったです。
以上。説明板や資料から抜粋しました~。
↑ 2階は中央部分に武具の間があり、三方に武器や具足を置く武具棚がめぐっている。
戦国時代に築城されただけにあって“戦”を考えた造りになってますよね。姫路城や彦根城に登城したことがありますが、武器や具足を置く為だけの部屋はなかったような気がします…?
今の武具の間には日本100名城とされている各お城の写真が展示してありました。
↑ 武具の間の周りは2間巾の武者走りになっている。
画像では分かりにくいですが、高さ5メートルの天井になり、戦国時代は槍が主力武器だった為、それを有効に使えるようにと高くなっているそうです。
↑ 2階から望む景色
天守内部3階
↑唐破風の間
南北に唐破風の間を配置し、東西を千鳥破風となっている。天守築城当初はなく、1618年(元和4年)~1687年(貞享2年)の70余年の間に成瀬城主が装飾として増築したものと伝えられている。
3階は天井が低かったです。
以上。説明板や資料から抜粋しました~。
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