想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

畑を芸術する

2009年12月17日 | インポート
 まだまだ、どうしても、従来の畑と言うイメージにとらわれてしまうが、本来は、もっと自由に考えて作物を育てていこうと思う。別に、これで、生計を立てているわけでもないし、生き甲斐の一つとしてやっているのだから、この原点はつらぬいて行こうと思う。
 畑を一つのキャンバスと考え、あいている所には花を植えてもいいかなとも思う。いわゆる畑をデザインする感覚。現在、試験的にルピナスを少し植えてみた。そして、もっと、自由な発想で考え、畑が生物にとっても楽園となるようなフィールドにならないだろうか。 アブラムシをテントウムシが食べ、かえるが自然と集まってきて害虫を食べる。土の中にはミミズやオケラやモグラがいて、その糞が肥料になったり虫を食べたりする。空中のチッソを地中に固定してくれるのが豆科の作物、正確には、豆科作物と共生する根粒バクテリアの働きだ。レンゲソウやクローバー等が緑肥となる。まさに、そのようになれば畑が生物の楽園となる。雑草が生えれば、兎を放し、餌として食べさせ雑草取りをする。糞が肥料になる。また、鶏を放せば虫をつついて食べるだろうし、卵も産むので一石二鳥となる。その糞も肥料になる。山羊でもいいだろうが、これはちょっと大ごとにもなるので、問題にもなるが、そうすれば、山羊の乳も飲める。子どもの頃、近くの農家に山羊の乳をもらいにいき飲んだことが懐かしく思い出される。とにかく自然の生物の営みを上手に利用する。
 こうして、本来、自然界はバランスが取れているはずだ。だから、自ずと然るべきなのだ。このことがうまくできないかいつも考える。できれば結構な省力化にもなる。そうして、野菜も育つなら、生きる喜びに満たされ、自分も癒される。
 ところで、本当は実のなるリンゴやナシ等も植えたいところであるが、これは、畑を借りている関係上、残念だが、地主と相談しないとできない。
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