先月、自宅近くの図書館で借りた『宮沢賢治』(ちくま日本文学)を読み終えました。「雨ニモマケズ」は収録されていませんでしたが、宮沢賢治さんの偉大さを再確認することができた気がします。今回も、たばこに関する記述を中心に抜き書きに、私のコメントを付して投稿いたしますので、ご参照くだされば幸いです。
「風の又三郎」①
【71~72ページ】
少し行くと一けんの藁やねの家があって、その前に小さなたばこ畑がありました。たばこの木はもう下の方の葉をつんであるので、その青い茎が林のようにきれいにならんていかにも面白そうでした。
すると又三郎はいきなり、
「なんだい。この葉は。」と云いながら葉を一枚むしって一郎に見せました。すると一郎はびっくりして、
「わあ、又三郎、たばこの葉とるづど専売局にうんと叱られるぞ。わあ、又三郎何しとった。」と少し顔色を悪くして云いました。
「わあい。専売局でぁ、この葉一枚ずつ数えて帖面さつけでるだ。おら知らなぃぞ。」
【73ページ】
又三郎は困ったようにしてまたしばらくだまっていましたが、
「そんなら、おいらここへ置いてくからいいや。」と云いながらさっきの木の根のもとへそっとその葉を置きました。---。
---、耕助だけはまだ残って、
「ほう、おら知らなぃぞ。ありゃ、又三郎の置いた葉、あすごにあるじゃい。」なんて云っているのでしたが----。
[ken] 私の生まれ育った家でも、昭和50年代まで葉たばこを耕作していました。小さい頃から、「たばこの葉一枚は100円札(板垣退助)だと思いなさい」と言い聞かされて育ちましたので、71~72ページの記述はとってもリアルに感じ取れました。(つづく)