「老いるとはロマンチックなことなのか」
まあ、いきなり、衝撃的な言葉です!
本を読むことは好きですが・・・
自分から韻文を読むことはない私が・・・
偶然、手にした一冊の詩集、何気なく開いた頁にあった一行です。
このタイトルの詩を読むと・・・「老いること」は
「ロマンチック」・・・な気がします。
いやいや・・・「ロマンチック」では言い表せない、
あのみずみずしい感性は、もっと地に足の着いたうえでのもの・・・
「老いること」の入り口に立った、アラカンの私。
すっかり心惹かれ、その一冊を、読み進めました。
と言っても、通読したのではありません。
パラパラと眺めながら、気になった頁に目を通しました。
・・・そして、気がつけば、帰り道、ボロボロと涙をこぼしていたのです!
泣かされたのは、「女の戦い」と題された、
160行、20連もある長い詩でした。
詩は、結婚式の直前、姑から、あの子(息子)はわがままに育てたので、
「あの子の云う事はようても悪うても絶対さからわんで下さいよ」と
告げられることから、始まります。
時は昭和の初め・・・
それでも、生家が「理性的」で、
正しいことを正しいことと言い合える両親の元で育った私。
一方、わがままに育って、かんしゃくを起こす「彼」。
結婚生活は、「合わぬ歯車をかみ合わそうと/幾度衝突喧嘩したかしれない」
やがて、彼のサラリーマン生活の後半、「私」は
「彼がただ私の心を呼んでいる一人の孤独な男」だと気づきます。
あの式の前の姑の言葉は、彼をわかっていた母親として、
「助力を私に頼みたかった」ゆえだったとも・・・
そして、「『常に彼の味方としての自分』」を初めて自覚し、
「それこそ私の最大の仕事。」と理解するのです。
「いつしか彼は私にやさしく、そして歯車はやがて噛み合い始めた。
お互いの魂はなごみ、それをお互いに受けとり、また相手に返した。」
やがて、夫が亡くなり・・・
妻は夫の優しさに気づかされます。
最後の一連を引用します。
「不器用ではあってもお互いに決して見失わなかったこと
山路はけわしかったのにすこしずつ魂は歩み寄ったこと
難問は次第にほぐれ、
圭(かど)ある私も亦いつしかやさしくありえたこと
最後に世にもおだやかな顔で彼が逝ったこと
これが私の半生の経歴だった
今は誰にもとりかえ得ないところのーー」(108頁)
我が家は、結婚30年をゆうに越えた、アラカン夫婦・・・
「私」と同じく「圭(かど)ある」私も、優しくなれる日がくるでしょうか。
どちらが先に逝くかわからないけれど、もしも、夫が先に逝くなら、
「彼」のように、おだやかな顔であってほしい・・・
つい先日迎えた、夫の定年はひとつの節目です。
これからの、おだやかな日々を願う今、詩人の言葉に心打たれました。
しかも、この詩と出会った、あの日は、夫の定年の前日でした・・・
(そりゃ泣けるわなぁ)
永瀬清子(明治39/1905~平成7/1995)。
私と同時代を生きていたはずの人なのに、
恥ずかしながら、全く知りませんでした。
気になって、ググってみたところ、
永瀬清子生家保存会 のHPをみつけました。
「現代詩の母」と評されているそうです。
そして、驚くべきことにっ!
無名だった宮沢賢治の遺稿から「雨ニモ負ケズ」を見つけ出したのだとか。
そんな人を知らなかったとは・・・衝撃!
宮沢賢治は、韻文に疎い私が、少女の頃から、
詩も含めて、親しんだ作家ですから・・・
そういえば、清子さんの詩は、賢治と通じるかもしれません・・・
永瀬清子もまた・・・
ル・グウィンや清水眞砂子さんと同じ・・・
(→「清水眞砂子さんの言葉」)(→「読む、読んでいる、読んだ本」)
女性の大先輩、先達として、私がこれから歩む、
アラカン以後の道を照らす存在になってくれそうです。
◆引用:『現代詩文庫1039 永瀬清子』(思潮社)
◆本日の画像は、先週、東信への旅で撮影しました。