MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2150 家族だからこそ許せない

2022年05月08日 | 社会・経済

 今クール話題になったテレビドラマと言えば、平日朝のNHK「連続ドラマ」(通称「朝ドラ」)の「カムカムエヴリバディ」を挙げる人も多いでしょう。

 安子(上白石萌音)・るい(深津絵里)・ひなた(川栄李奈)の3代にわたるヒロインが、大正から昭和、そして令和にかけての「激動の100年」を力強く生きる姿を描いたストーリー。太平洋戦争の惨禍や終戦後の社会の民主化、高度成長があり、そしてバブルの崩壊や人々の意識が変化する中、「家族」のきずなとは何かを繊細に追った物語と言ってよいかもしれません。

 大正時代末期、戦前の岡山に生を受け、「戦中」「戦後」の厳しい時代を懸命に生きた安子。昭和の高度経済成長とともに成長し一から家族を作っていったるい。そして、大衆化されたメディアの時代を、妻でも母でもない一人の女性として生きていくひなたの3母娘は、それぞれの時代を背負って成長し世代を次につないでいきます。

 安子が育ち、結婚した昭和一桁の時代は、明治民法に基づく家族制度がまだまだ現役でした。そこでは、家族は戸主の監督下に置かれ、個人の自由よりも家の存続や幸福が第一とされ、その家族の繁栄こそが国の繫栄の礎と位置付けられていたことがドラマからは分かります。

 一方、安子の娘、るいが育った戦後の時代は、個人が尊重される自由な時代。仕事も家事も一切ダメな錠一郎(オダギリ・ジョー)と結婚し、決して経済的に恵まれはしなかったものの、家やしきたりなどに縛られないのびのびした家庭を築きます。

 さらに、安子から見れば孫に当たるひなたは、昭和から平成にかけての平和な時代に成長。結婚や男女観、そして国籍などにも縛られない人との新しいつながりを作り出していきます。

 さて、こうして、時代とともに姿を変えてきた家族の在り方ですが、もとよりフェミニズムの世界では、女性の自立、特に男性を中心とした家族というシステムからの経済的自立を重視してきたのも事実です。

 父親や夫など男性親族の「保護」を受ける立場にあった女性たち。そんな彼女たちを親兄弟からの精神的呪縛から解放するには、まずは経済的に自立することが必要だとされました。実際、ドラマの中の安子もるいも、そしてひなたも、それぞれ職業を持ち、経済的に自立することで自分の人生を力強く歩みだします。

 奇しくも、安子の実家の稼業であった和菓子屋の「あんこ」が、3代の女性の自立を後押しします。時に、世間からの強いプレッシャーを受けることになる主人公たちが、地に足の着いた生活を築くにあたって、家業としての「あんこ」が重要なキープレーヤーとなっていることが判ります。

 さて、その一方で、精神医療の世界には「家族依存症」という言葉があると聞きます。いわゆる「良い子」として育った子供たちが、気が付けば大人になっても親や家族から自立できない。それとは逆に、配偶者との関係性の希薄さなどによって、「子どもから卒業できない」親も存在するなど、家族依存症にも様々な形があるようです。

 外から見ている限りは「理想的」と思われるような家族が、精神的に相互に依存し合い、苛烈なDVに苦しんでいたりする。家族への暴力ばかりでなく、自傷行為や引きこもり、薬物依存などで崩壊寸前に陥ったりするような場合もあるとされます。

 家族だからこそ許せない。核家族化・子供中心主義の中で、その関係性が濃密であればあるほど、理想を押し付け合い、相互に期待し依存しあい、傷つけあっていく。その関係性もまた、(戦後の)時代の流れに翻弄された日本の家族が到達したひとつの姿なのかもしれません。

 DVや児童虐待が問題視されている現在、日本の家族の間で何が起こっているのか。4月12日のNewsポストセブンに、「日本の殺人事件の半数以上は「親族間」 悲劇を防ぐためにできることは何か」と題する記事が掲載されていたので、 参考までにこの機会に紹介しておきたいと思います。

 令和2年版(2020年版)警察白書によると、2019年に検挙された殺人事件の「被疑者と被害者の関係」で最も多かったのは、「親族」の54.3%(475件)。次いで多かったのが「知人・友人」の21.6%(189件)で、日本の殺人事件は全体として減少傾向にあるものの、半数以上が親族間で発生していると記事は指摘しています。

 日本における殺人事件の発生件数は諸外国と比較して顕著に少なく、社会の治安は非常に良いという評価は揺るがない。しかし、発生した事件の内訳を見ると、近年では親族間の殺人が過半数を超える状態が続いているというのが記事の認識です。

 長期間にわたる老老介護に疲れ果ててしまった、将来に絶望したといった理由で殺人に発展するケースや、日常的な肉体的・精神的DVで追い込まれた末の殺人など、親族間殺人の中でも3割以上が配偶者殺人だと記事はしています。

 警察白書によれば、2019年に起きた親族間殺人で検挙されたのは、「配偶者」が158件、33.3%で最多となり、次いで「親」の131件(27.6%)、「子」の107件(22.5%)と続いている。このことからは、家庭という(ある種の)閉じられた空間(密室)が事件の舞台になっていることがうかがえるということです。

 そしてまた、(意外なことに)殺人加害者の男女比はおおよそ半々となっており、長引くコロナ禍がさらに多くの悲劇を生んでしまう可能性をはらんでいると記事は指摘しています。ちょっとしたきっかけで人々のストレスは高まり、(男性であっても女性であっても)いつ自分が被害者に、または加害者になるかわからない時代となっているというのが記事の指摘するところです。

 さて、前述の警察白書によれば、現在(2019年)の日本において、見ず知らずの人に殺される割合は殺人事件全体のわずかに9.4%、年間でも82件に過ぎないとされています。無差別の銃乱射事件や発砲事件などにより毎年2万人以上が亡くなっている米国などと比べれば、日本は極めて暴力とは縁遠い安全な国と言えるでしょう。

 しかし、そんなおとなしい日本人でも(なぜか)家族は許せない。身近であればあるほど、期待をすればするほど、その思いが届かないことへの落胆や反発は大きいということでしょうか。

 そう言えば、気持ちの優しいるいも、自分の前から突然いなくなった母をなかなか許すことはできませんでした。家族だからこそ許せないことがある。日本人にとって、一人の個人として家族の関係から自立することの難しさを、記事を読んで私も改めて感じたところです。

 



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