MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

♯862 幼児教育を無償化する意味

2017年09月02日 | 社会・経済


 6月9日の臨時閣議で決定された「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)2017」には、(「人材への投資を通じた生産性向上」という副題がついているように)経済成長を実現する観点から生産性を引き上げるための数多くの施策が盛り込まれています。

 中でも、今回の「骨太」で特に注目されているのが「教育への投資」です。人口が減るなかで教育により国民一人ひとりの能力を引き上げ、経済成長を後押しするというものです。

 その具体的な柱の一つとして、政府は今後、幼児教育・保育を最優先課題とし無償化に取り組むとしています。1.2兆円にのぼるとされる無償化の財源は自民党の小泉進次郎氏らが提案した「こども保険」方式などを検討するとしており、具体的な方針は年末までに固める方針だということです。

 一方、幼児教育の無償化に対するこうした政府の前向きな姿勢に対して、6月28日の日本経済新聞の投稿コラム「私見卓見」には、慶応義塾大学教授(教育経済学)の赤林英夫氏が「幼児教育無償化は意味がない」と題する興味深い論評を寄せています。

 幼児教育の無償化を早期に実現するという政府の方針に対し、赤林氏はその目的は曖昧で、何が達成できるのかもほとんど議論されていないと厳しく指摘しています。

 そこでは、「人への投資は収益率が高い」「国際的に見劣りする公的教育費」と言った大義名分だけが先行し、投資効果を省みることなく政策が作られようとしていると氏は言います。

 幼児教育への公的資金の投下は、所得上昇や経済成長への寄与が高いというノーベル賞受賞者のヘックマン氏の研究がエビデンス(根拠)として使われているが、これは米国と日本の社会的背景の違いを無視したものだというのが赤林氏の批判の論拠です。

 氏によれば、ヘックマン氏の主張の根拠は主に50年前の米国で、教育機会にめぐまれない就学前の子どもに質の高い教育を施したときの効果だということです。

 米国は(現在でも)、先進国の中で就学前教育(米国は4歳まで)の普及が最も遅れている国のひとつだと赤林氏は言います。日本では95%を占める4歳で何らかの幼児教育施設に通っている比率が、米国では68%。3歳児に至っては日本の69%に対し米国は39%に過ぎず、(彼の国において)幼児教育の普及はまさに社会的課題だという指摘です。

 これは、逆に言えば、日本の4~5歳では就園率を上昇させる余地がほとんどないということになります。従って、例え日本で4~5歳の幼児教育を無償化しても、保護者が進んで行ってきた私的支出を税金で肩代わりする意味しか持たないというのが、この政策に対する赤林氏の見解です。

 こうしたことから、肩代わりによる社会への直接のリターンはゼロに近く、これでは幼児教育の資金を調達するための国債発行なども許されないと氏は指摘しています。

 それでは、無償化は(この政策のもう一つの意義と目される)「教育格差の解消」につながっていくのでしょうか。

 保育所や幼稚園の保育料については、低所得者世帯では既に自治体などによる減免措置があるので貧困世帯に新たな恩恵は生まれないと、赤林氏はこの論評で言い切っています。

 一方で、この政策を実行すれば保育料を払っていた中高所得世帯にはゆとりができ、習い事や塾に通わせるための支出を増やすことができる。その結果、低所得家庭と中高所得家庭の教育支出の格差は(さらに)広がる可能性が高いとの指摘もあります。

 そう考えれば、日本では一律の無償化は必要ないだけでなく、教育格差のさらなる拡大をもたらす可能性すらあるというのが、この問題に対する赤林氏の結論です。

 そして氏によれば、さらに危惧されるのは4~5歳への無償化により、保育所の定員拡大のための補助金の充実や、保育の質を向上させるための支出の余地がなくなってしまうことにあるということです。

 赤林氏はこうした環境の中、幼児教育について支援の必要があるとすれば、4~5歳で幼稚園や保育所に通っていない5%の子どもへの支援と、3歳以下の子どもの教育と保育の充実に限られるとしています。

 ここに焦点を当てた政策でなければ意味がないと結ばれた赤林氏の投稿を読んで、幼児教育が「日本の生産性を上げるために」必要だとする政府のそもそもの発想の限界を感じるのは、私だけではないかもしれません。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿